ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

複雑な春

何年か前から、「本を書いてみない?」「いい編集者と巡り会えればねぇ」などとおっしゃってくださる方がいます。本当にありがたいと思うのですが、お話がそこで止まってしまう点、何か問題があるのでしょうねぇ。もっとも、第一級の資料をもっと探っていかなければ、本当には書けないことを知っているので、だからがんばらなくちゃ、と思う一方で、そんなことできるのかな、と及び腰になってしまったり、世の中のいわゆる「順当コース」からはみ出してしまったような自分をどう位置づけるか、と憂鬱でもあります。(「わけあり人生」だって思われているよね、という話をすると、主人いわく「全然、わけありなんかじゃないよ。普通だよ。何も問題ないよ」と。そうかしらん?)まっすぐ行けば「成功」し、幸せだとも限らないことは、この歳になるとよくわかってきますけれども。
主人のおかげで、生活そのものは、これまで何とかなってきたけれど、今の健康状態で、定年まで果たして働けるものか?これは、毎日、心理的にも非常に重い負担です。もう10年間、そんな日々を送ってきました。そこから少しでも脱却しようと、ブログやら専門外の読書やら音楽やらで気を紛らせているようなところもあるのですが。そういう状況が理解できずに、「暇だねえ、こっちは子育て/仕事で、そんな時間ありませんからね!」と高飛車に言い放つ人もいますから、余計に孤立した感じにはなってしまいます。
独身だったら、そんなことも言っていられません。とにかく、嫌でも何でも、えり好みせず、仕事に就かなければ、生活そのものが成り立たないわけで...。その意味では、好きなように自由な時間を持つことで、自分なりの体制を整える贅沢な時間を過ごさせていただいています。
だけど、だけど、なんです。こんな暮らしのために、子ども時代を過ごしてきたのかって。もっと、人生に希望や目標を持って、夢の実現のような生活を思い描いていたのに、こんなはずじゃなかった、といつも思っています。
それは、私以上に、主人の方が強く感じていることでしょう。今でも、よくぼやいています。「こんな病気になるなんて、人生で予想外だった。病気になっていなかったら、人生、全く違っていたと思うよ」と。昨日も、アメリカ出張を頻繁にしていた時代に、少し早めに着いて、レンタカーを借りて、車を乗り回してあちらこちら見物していたという話をしてくれました。「ビバリーヒルズだって見たことあるよ」「だから、今は全然おもしろくないんだ。どこにも自由に行けないからさ」。動きが遅いので、予定がこなせないのと、疲れやすいため行動範囲が狭くなっているのです。
「いつかは、マレーシアにも一緒に行かないといけないなあ」と、話だけは10年以上も前から出ているのですが、いざとなると、億劫で面倒で、結局は、私一人であたふたと用件を済ませるだけで終わってしまうという...。
時々、夢うつつのような無意識の感覚の中で、本当はこういう所に住んで、こういう家族環境で、こういう仕事をして、張りのある充実した暮らしをしていて...などと想像し、ふと、我に返ってがっかりする、という経験をすることがあります。現実を受け入れて、できることを淡々としていくしか方法はない、と頭では充分わかっていて、その通りにしているつもりですが、欲というのではなく、何かこのままでは足りないという心的状況が根底にあります。自分の力が充分に発揮できていないからだ、とも言われますが、そのために何をしたらいいかも、よくわかっていません。
一つ思い当たるのは、高校の担任の先生から指摘された、「人生に対して脅えているようなところがある」ということです。それを聞いた親からは、「あんた、また何か家のことで、変なことを先生に告げ口したんじゃないの?」とこっぴどく叱られました。(そもそも、そういう抑圧的で否定的な態度そのものが問題だったんですってば!すくすくおおらかに育ったという感じではありませんでしたから。これは、本当に今でも不甲斐なく、自分の力でどうすることもできない、後悔してもしきれない側面です。)
もう一つは、若い頃、自分にとって違和感を覚える環境にいたのに、その違和感こそが克服すべき自分の狭量さだと考えて、無理に無理を重ねてきたところがあったなあ、ということです。早いところ逃げ出すか、新しく居心地のよい場所を作り出すか、何かすべきだったのに、それこそ、世間の「順当コース」から外れる感覚が怖くて、できませんでした。「与えられた場でがんばる」みたいな言葉を真に受けていたところがあります。
しばらく前に、私の状況をご覧になったある名誉教授が、「母校はどこですか?」「指導教官は誰ですか?」と尋ねられました。心配されてなのか、普通なら、そこで何らかの導きを与えるのが上の人の仕事でもあるのに、どうしていつまでも一人でそんな風なのだろうと思われたのでしょうか。頼れる場所があるなら、ここまで不安にもなりませんけれども。久しぶりに母校へご挨拶にうかがった時でも、何だか、放り出されたような感覚でした。「キリスト教って、イエス様、イエス様って言ってるだけだろ。わっはっは!」こんな風でした。だから、とても戻れません。(大学って、名前じゃないですよ。そこにいる人脈動向で大きく左右されます。こればっかりは、もう運としか言いようがありません。)
そして、同席の韓国人の元留学生が言いました。「普通、こういう所に来るのは、出世した人だけなのに、よくそんな状態でここに来たね。ま、女性だから許されるんだろうけどさ」。もうそれ、韓国の感覚じゃないですか。だったら、なんで私にも招待状が来たんでしょう?今の日本では、ようやくその「古さ」を脱却しつつあるというのに...。思い切って外に出て行くと、こんな思いをさせられる。そんな風なら、家にいて一人で勉強していた方がましだっていう気になってしまいますよ。
「そんな狭いところで認められようとしているから、おかしなことになるんだ。広く海外にも出て行って、自分のやってきたことを発表すれば、また話の合う人が見つかるんじゃないか。ちゃんとしたところだったら、そんな変なこと言う人いないよ。だって恥ずかしい発言でしょう、それ...。相手にならんじゃないか」とは主人の言。私としては、足下から徐々に固めて上がっていければ、と思っていたんですが、それを言うと、呆れられました。「いったい、何がやりたいんだ?」
そうなんですよね。英語の文献を読んでいると、本当に世の中は広いと勇気づけられるし、海外では、私の論文を載せてくれたり教会説教で紹介したりする奇特な方もいらっしゃったのに、すぐそれを忘れて、小さな狭い雰囲気で何とか収まらなくちゃなんて考えてしまう私。何か人と違った新しい発見や見解を提出しなければ評価されない世界に触れていながら、なぜか、人と違う道を歩んでいることをどこかで恐れている自分。矛盾しています。
結局のところ、自分が内面として本当に納得のいく人生でなければ、意味がないということです。自分の価値観を持っていないわけではないのに、違和感を外から押しつけられると、すぐなよなよとしてしまう、そんなことの繰り返し。これを何とかしなければ。春は本当に交錯した感情の波うつ時期です。
さて、今日も一日がんばりますか。