ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

犬養道子氏の著述から

4日前に近所の図書館で『婦人之友』(2009年4月号)を読んで以来、改めてしみじみ考えさせられていることがあります。それは、犬養道子氏の連載随想の一つ「星を見る」(pp.146-149)の冒頭部分です。少し引用してみましょう。

 この四月で満八八歳になります。(中略)じゃあ、死とは何なのでしょう。生命の最後?喪の時刻?いいえ、私は「そこに向ってこそ歩んで来た――曲ったりころんだり、正しさにそむいたりしながら――地上の生」が、神の無限の善さによって購われ、今度こそはそむくことの決してない、朽ちることもない「生そのもの」に入る時。まことの生の充満に入らせていただく感謝とよろこびの永続への門出。キリストのみわざと十字架の秘儀がこの私の上にも全うされて、アレルヤの賛歌が湧きつのる中、地上では再度会うことのできなかった友人たちすべてとも出会える宴の時。


 それなら「老いてゆく」日々は、肉体の上では悲や苦をともなおうとも、実は、本当の生に刻々近づいてゆくありがたい準備の時。(以下省略)

いやあ、全然変わっていらっしゃらないんだなあ、この何とも明るく前向きな調子。『幸福のリアリズム中央公論社1980年)の最終章そのままの姿勢です。もともと堅い信仰を持った「超保守」のカトリック信者として有名だった方でしたが(参照:2007年12月11日付「ユーリの部屋」)、一般日本人向けに『聖書物語』など、聖書に関連する硬派の本を何冊か出していらして、私も20代の学生時代には、時々参考にさせていただいたことがあります。ただ、すぐにわかったのは、プロテスタントの聖書学者が論文で書いている内容より、少し出遅れた感のある説が、「一般読者向けに」得々と書かれていたことで、その強気の筆勢には圧倒されたというのか、唖然としたというのか...。同時に(だけどこれぐらいの勢いじゃなければ、聖書についてなんて、怖くて書けないだろうなあ)とも思ったものです。
犬養道子氏のエッセイものは、学部時代に集中して楽しく読んだ記憶があります。特に、アメリカやヨーロッパの海外事情などは、いささか記述に主我が出過ぎて、強引な論の進め方や間違いも少々目立ったことを除けば、処女作『お嬢さん放浪記中央公論社1978年)など、こんな風に外国人の中に積極的に飛びこめるなんてと、おもしろく夢中になって読んだことを覚えています。学部1,2年の教養科目では、開始時間より10分から15分ぐらい遅れて先生が来られるのが普通だったこともあり、かえって、つまらない講義を聴いてノートをとっているよりは、こういう本でも読んでいた方が絶対に有効な時間の使い方だと思っていたものです。また、行き帰りの電車の待ち時間にも、氏のエッセイに没頭していた時期があります。風に吹かれて駅のベンチに座って読みふけっていた自分、風になびいたスカートのひらひらまで思い出すなあ...。
次々と図書館から借り出しては読み、ある場合には買ったりもしました。洋間の本棚にも、ある一角を占めているぐらいです。
確かに、学校と家庭以外、右も左も世の中のことがよくわからなかった当時の私にとって、現代に生きる女性の一モデルとして、批判的な読み方を忘れさえしなければ、考える指針の一つにはなったと思います。その意味で、『今日は明日の前の日』(1977年)『女が外に出るとき』(1979年)『男対女』(1980年)『アウトサイダーからの手紙』(1983年)『日本人が外に出るとき』(1986年)(以上はすべて、中央公論社)などは、一つの参考ではありました。
そういえば、『あなたは間違っている』なんて本も初期には出ていたのでは?確か、1960年代前半の出版だったような...。(読書ノートを見ればわかることですが、今日は面倒なので省略させてください。)図書館から借りたところ、著者写真の部分に、どっぺり図書館シールが貼ってあって、思わず笑ってしまったのを思い出しました。
一風変わったところでは、『世界のトップレディ中央公論社1960年)も、興味深く読みました。それから、『初めに終りを思う河出書房新社1964年)という随筆には、なんだか、日本にどうしてもなじめない欧米外国人の横文字不満を縦文字にしただけのような文章だな、と感じたことも覚えています。こういう風に、中身を素直に鵜呑みにするのではなく、考える一つの刺激剤としては、ありがたく重宝させていただきました。

上記のいわば、「生き方処世本」の他にも、海外経験として、『マーチン街日記』(1979年)『セーヌ左岸で』(1979年)『フリブール日記』(1981年)『私のスイス』(1982年)『ラインの河辺』(1983年)(以上はすべて、中央公論社)などは、『西欧の顔を求めて文芸春秋1978年)『アメリカン・アメリ文芸春秋1979年)『私のヨーロッパ新潮社1980年)『私のアメリ新潮社1980年)などと共に、新鮮な思いで読みました。
こうしてみると、中央公論社、新潮社、そして後述の岩波書店が、犬養道子氏ご用達だったことがわかります。それにしても、50代から60代にかけて、犬養氏は、実に多産な執筆活動だったわけですね。ちょっと驚きます。講演活動もあちらこちらでされていたようですし。決して頑強なタイプではなく、どうやらしょっちゅう病気それも大病を繰り返して入院していたらしいのに...。90年代前半だったかにも、大腸ガンにもなったとか、堂々と総合雑誌に書かれて日本の病院体制批判をものされていました。ヨーロッパの病院との比較で、うらやましいやら鼻白むやら...。

私が、これほど集中して若い時に犬養道子氏の本を読んでいたのも、歴然とした育ちの違いはあるものの、何よりも、視野が格段に広がり、生き方の上でも非常に勇気づけられ、励まされるような気がしたからです。その後、多少異なる分野として、アフリカ問題や難民問題に取り組む著作が増えたのですが、上記本でなじんでいたこともあり、素人の割には、比較的すんなり難民の問題に直面できたように感じています。
マレーシア勤務滞在の前後に読んだのは、例えば、『人間の大地中央公論社1983年)『国境線上で考える岩波書店1988年) 『飢餓と難民 援助とは何か岩波書店1988年)『乾く大地中央公論社1989年)『世界の現場から中央公論社1993年)でした。その他にも、個人史としての『花々と星々と』(1970年)『ある歴史の娘』(1977年)、新たな生き方指南書『あなたに今できること 若き女性に語る』(2001年)(以上はすべて、中央公論社)を読みましたから、聖書関連を除き、まずは大半を踏破したとは言えます。ここまで一人の著者について、読み通したのは、多分、犬養道子氏だけだろうと思います。繰り返しになりますが、それだけ、良くも悪くもいろいろと参考になる部分が多かったということでしょう。
今振り返って思うには、他の日本人女性作家に没頭するよりは、犬養道子氏がまあ妥当だったのでは、ということです。反面教師的にも読めましたし、何より、国際情勢について、これほど生き生きと読めたのは、やはり氏の功績だろうとは思います。

肝心の聖書関連では、学生時代だったからか、『聖書の天地』(1981年)『聖書のことば』(1986年)『天と地のシンフォニイ』(1993年)(以上はすべて新潮社)をおもしろく読みました。

恐らく中には、相当の批判を浴びたり反感を買ったりしたであろう著者のこれら主要著作を通してみて、やはりキリスト教信仰あってこその犬養道子氏だなあ、とつくづく思います。この勤勉で精力的な著作活動は、まさに上記に引用した、「そこに向ってこそ歩んで来た――曲ったりころんだり、正しさにそむいたりしながら――地上の生」そのものの軌跡だと言えます。私だって、同じ人生ならば、このような前向きで積極的でありたいと願ったものです。しかもそれが、一般的には20代30代の若く体力の満ち溢れるという時期ではなく、知識や人生体験を積み重ねつつも体力気力が衰えてくる50代60代になってから、主に著作が軌道に乗ってきたというあり方も、大きく頷けるところです。

さすがに最近では聞かなくなりましたが、私が10代20代の頃は、周囲で見聞する日本女性の典型としては、「20代前半までが人生の花で、その後は下り坂だ」という風潮がありました。特に、40代後半からは、記憶力も衰え、体力も容貌も低下するだけの我が身を嘆く嘆き節が普通だったように覚えています。または、子育てだけに夢中になって視野狭窄になったり、あるいは、不倫や浮気にうつつを抜かすような....。その中で、確かに、犬養道子氏は、毅然とされ燦然と輝いていました。また、そういうだらしない日本女性を叱咤激励されてもいました。

ただ、そういう意志強固でお元気だった犬養道子氏も、現実面では、やはり体の衰えは著しいようで、先の『婦人之友』によれば、「歩けなくなりました。手も指もまともに動かなくなりました。眼に至っては、一日の中で書いたり読んだり出来るのは四時間くらい。」(pp.146-147)なのだそうです。この記述で、冒頭の意味がよりよく味わえるのではないでしょうか。しかし、ここからが犬養氏の犬養氏たるゆえんです。「心の視界はびっくりするほど広がりました。」これですね、秘訣は...。
ちなみに、連載随想には「バスケット1」という題目がついています。ということは、「バスケット2」以下が続く予定なのでしょう。最期の最後まで、気力のある限り書き続ける、これにもあやかりたいところです。目指す地点は一致しているはずなのですから。

(追伸)書き漏らしましたが、犬養道子氏に関しては、「ユーリの部屋」の次の日付でも言及しています。ご興味と暇のおありの方は、もしよろしかったらどうぞ(2007年11月7日・12月11日・12月21日・12月24日・2008年1月5日・1月10日・1月29日・3月18日・5月20日)。