ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

うさこちゃんことミッフィーのこと

お正月休みに、テレビで放映された「ミッフィーのせかいりょこう」という番組の録画を見てみました。二本立ての計20分番組で、ぬいぐるみ風のアニメーション(と言ってもいいのかどうか)でした。最初は、パイロットのおじさんが操縦する飛行機に乗って、お正月らしき日本(‘Far East’と英語のナレーションは表現)を訪れたミッフィーメラニー(茶色のうさぎ)の異文化接触体験の巻。次は、北極へ船で旅したミッフィーと子犬のお話でした。

我が家にも、小さなぬいぐるみのミッフィーがいます。2006年4月22日に大阪梅田の大丸で開かれたミッフィー50周年展を見に行った時に、かわいくてつい買ってしまったのです。あおぞら銀行からもらった「ぴょんぴょん」という名の、もうちょこっと小さいうさぎのぬいぐるみと一緒に、食卓に鎮座しています。こちらは、2002年6月26日、「ゾーラ」(象のぬいぐるみ)や「ホーホー」(ふくろうのぬいぐるみ)と一緒に、プレゼントとして届きました。

今は寒いので、二匹(二人?)とも残り毛糸で編んだポシェットやマフラーや帽子を身につけて(?)いますが、あたたかくなったら、また着替えるのです。ミッフィーのオレンジ色の洋服には、花模様の刺繍もつけました。

出し抜けにうさぎのぬいぐるみの話なんぞ、と思われた向きもあるかもしれませんので、少し説明を加えます。昨日は、久しぶりにスペイン料理を食べに梅田へ出かけ、CD販売の階にも立ち寄りました。クラシックのコーナーで、なんとミッフィーのパズル付きCDなど、胎教にいいというシリーズが何枚か並んでいるのを発見したのです。タイスの瞑想曲など、簡単でポピュラーな短いクラシック音楽の曲が集められたCDの表紙に、ミッフィーの絵柄がついていて、なんだか時代を反映しているように思いました。わたしが一歳前後ぐらいの時には、「ことりレコード」というSP盤の童謡集を、土曜日毎に父が一枚ずつ買ってきて、繰り返し聴いては歌っていたんです。今の赤ちゃん達は、いきなりクラシックですからね。

ミッフィーといえば、近頃はローソンの旗としてたなびいているのですが、私にとっては、石井桃子氏の訳による「うさこちゃん」シリーズ絵本の方がずっとなじみ深いものです。つい先日も新聞に、石井桃子氏が百歳を迎えられたという記事が掲載されていましたが、ローソンの旗の日本語訳より、石井桃子訳の方が上品で愛らしい印象を与えます。石井桃子訳では、「くまのプーさん」も楽しく読みました。犬養道子氏の文章には、自宅に来た石井桃子さんの語るプーさんのお話がおもしろくて、幼かった弟さんと一緒に、笑いながらでんぐり返しをした話が出てきます。(参考:犬養道子花々と星々と』中公文庫1974/1993年12版 p.200・『ある歴史の娘』中公文庫1980/1993年4版 p.185 ・2002年8月12日付『朝日新聞』夕刊 p.10)
ただし、ミッフィーことうさこちゃんとの初めての出会いでは、今ほどの愛着はなかったような記憶があります。というのは、うさこちゃんシリーズを最初に見かけたのは名古屋市の区立図書館内で、当時の私は、既に、妹と二人で連れ立って歩いて行ける年齢に達していたからです。うさこちゃん絵本は、デザインが単純過ぎて、すぐにお話も終わってしまうので、物足りなく思っていました。それより、松谷みよ子氏の「ちいさいモモちゃん」シリーズの方が大好きでした。その後生まれた弟にも、赤ちゃんだった頃、うさこちゃんではなくて、モモちゃんの方を何度か読み聞かせしました。

小学校の頃から、図書館で読んだり買ってもらう本は、一学年上のものでした。親が強制したのではなく、自然にそういうものを好んでいたのです。義務教育の間は、新しい教科書をもらうと、国語と社会に関しては、その日のうちに全部読み上げてしまっていました。小学校一,二年の頃、名古屋の栄にある百貨店に出かける用事があると、母はまず、妹と私を本屋さんに連れて行き、偉人物語など小学生向けの本を一冊ずつ選ばせました。そして、私達をデパート内の隅っこに座らせて、買い物を済ませるまで「二人でここで本を読んで待ってなさい」と言い渡したのです。もちろん、私は夢中になって読みましたが、それでも時間が余るので、妹の読んでいた本ととりかえっこして、二冊とも読み終わってしまうことがよくありました。「ずいぶん、長い買い物だったんですね」と思われるかもしれませんが、とにかく、本を読むことは小さい時から大好きでした。一方、妹の方は「本を読むと頭が痛くなる」としょっちゅう言っていて、あまり読まなかったようです。それでも、以前書いたように、妹の方が、学校の成績は遙かによかったのです。この因果関係はどう説明すればよいのでしょうか?

実際の年齢より上を対象とした本を読む癖は、大きくなってからも続き、中学生の時には、父の本棚にあったビジネスマン向けのダイヤモンド社の本をこっそり読みふけったり、20代の時には「30代になったらすべきこと」などと題する本を、三十路前後には、「女の人生40から」などというものを読んだりしていました。ただし、子どもの時ならともかく、ある程度歳を経たら、年上を意識した本を読むことはあまり意味がなくなり、時には害ですらあることに、だんだん気づきました。つまり、若い時期を若い者として生きること、すなわち、今を今としてしっかり生きる姿勢が崩れてくるのです。足元を固めないで、先走って本を読み、人生を予測して備えをしたつもりになるのは、自分に対しても周囲に対しても、実に不誠実であります。

話はミッフィーに戻りますが、大丸での展示会で作者のディック・ブルーナ氏が映像で語っていたところによれば、実は子ども向けに制作したのではなく、大人に向けてのメッセージなのだそうです。確かに、そう言われてみれば、冒頭の「ミッフィーのアジアりょこう」の巻でも、中国と日本の文化混淆のような節が見られ、科白の一言一言に考えさせられる意味を含んでいることに気づきます。小さな子どもというものは、何事も感覚で好き嫌いを決めるものかと思うのですが、ミッフィーは、一つ一つの新しい出来事の意味をじっくりと考えて、納得してから次の行動に移っているのです。かおだちはシンプルでかわいらしいのですが、子どもを型どっているように見えて、実は大人用の内容なのです。ここが、恐らくはミッフィー人気の秘密なのだろうと思われます。

展示では、下絵の段階や物語の草稿の様子も垣間見ることができました。色は非常に限られた種類のみ。登場人物(動物)も、最近はうさこちゃんシリーズ時代より増えてきたものの、だいたい一定です。縁取りは黒。それも、ふるえているようなラインです。そこにも意味が込められていて、かすかな不安を表しているのだそうです。目の位置とか服や背景の色の組み合わせも、かなり工夫が凝らされているようでした。

一見単純で何でもないようですが、これほど長期にわたって人気を誇るという作品には、確かに相当の努力が必要です。ブルーナ氏が、規則正しい生活の中で、一つ一つの作業をとても丁寧にされている姿勢に感銘を受けました。自転車で住まいからアトリエまで通い、昼食は奥様と必ず自宅で一緒にとられるのだそうです。プロテスタント的だと評されているコラムを見かけたことがありますが、確かに根底には、そのような思想が含まれているのかもしれません。世界の多くの言語にも翻訳されていますが、どこかに普遍性ないしは共通性がなければ、それも成立しないことでしょう。アラビア語版の展示を見た時、なぜかとてもうれしく思った次第です。

新年にはカレンダーを取り替えましたけれども、今、パソコンに向かっている机の前の壁には、ミッフィーの2006年カレンダーのデザイン部分だけ切り取って残してあります。うさこちゃん時代と比べて、いつの間にか、まんまるく太ったミッフィーになっていますが、かまいません。童心、おさなごころを忘れないようにというメッセージだけは、変わっていないと思うからです。

(追記)2008年1月20日、一部加筆いたしました。