ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今日一日の短い報告

今日の午後は、関西セミナーハウス主催/カトリック京都司教区・フランシスコの家協賛による、伏見とキリシタンという史的テーマで、ご講義と史跡巡りの4時間をたっぷりと楽しみました。例によって、メモを右手に左手にカメラを持って、講師の三俣俊二先生(聖母女学院短大名誉教授)の後をついて歩き回り、写真を撮ったのみならず、目にしっかりと風景および光景を焼き付け、殉教を遂げたキリシタン一人一人の気持ちをできる限り想像しながら、帰って来ました。道中考えたことは、また明日にでも綴ってみたいと思います。
夜には早速、お正月以来撮ったものも併せて、主人が焼き回しの手はずを整えてくれました。やはり、一回一回の体験は大切にしないと....。
ところで、故石井桃子先生の自叙伝風小説『幻の朱い実』(上)(下)岩波書店1994年)を読み終わり(参照:2009年2月13日・2月16日付「ユーリの部屋」)、ノートもとり、伏見に向かう前に図書館下のボックスに返却しました。これも、感想をまとめられればいいのですが、正直なところ、重たい小説だったと思います。内容もテーマも文体も全く異なるものの、読後感としては、ちょうど学生時代に読んだ故有吉佐和子氏の『恍惚の人』と似ています。どうしてなのかわからないのですが、やはり、実体験に基づく作品であることと、社会性を伴う内容であるからだろうと思います。
児童文学では、「いしいももこ」「石井桃子」と表紙に書いてあれば、まず間違いなくおもしろく、安心して子どもにも大人にも勧められる太鼓判の本だと自信を持って言えますが、その人生は、単に長生きされただけではなく、その内実がどっしり重いのです。まっすぐな人柄で、作家によくありがちな生活苦や異性関係のドロドロなどがまったくないところだけは想像通りでしたが、その他の周囲の人々の状況やその関わり方などが、時代もあってか、本当に重々しく感じられました。それに、あの世代の教育を受けた女性達は、実にまめまめしく手紙を書いていたんだなあ、と驚きます。それも結構な長文で、日本古典のもじりもさりげなく入り、教養とユーモアに満ちたものです。これにも、現在の状況を振り返り、ため息が出る思いがします。
この2巻本は、出版直後に相当、この町の図書館でも借りて読む人が続いたようです。今と違って、裏表紙にカード入れの小さな袋がついていて、カードには貸出の日付入り印が押してあるので、借りた状況がよくわかるのです。これも、懐かしく思いました。学部生時代も、大学図書館はそうだった....。私が借りた本を、先に教授も読まれていたことが何度もあり、いつも励みにしていたのに...。今では、そういう私が「ばっかじゃない?」などと言われて低く軽く扱われ、20歳も年下の院生が、昔なら学部の演習でやっていたような内容を、学会で堂々と発表し「私の業績」とか何とか言っている時代です。
ともかく、石井桃子先生の本は、私にとっては、自叙伝よりも、児童文学の方が明るく爽やかで勇気凛々わいてくる感じがします。これからは、なるべく音楽と同様、読む本も、読後感が明るく楽しく意義深くあるようなものを選ぼうと思います。ただし、このように感性が優れていて人生体験の豊かな方だからこそ、子どもの本が書けたのだという点は、決して忘れられてはなりません。