ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

リベラル派アラブ人のハマス観

メムリ」(http://www.memri.jp)
Special Dispatch Series No 2173 Jan/5/2009
ハマスパレスチナ社会に破滅をもたらしている―著名アラブ人思想家の主張―
2008年10月17日、アラブのリベラル派思想家ラフーダル(Lafif Lakhdar)が改革派サイトe-Journal www.elaph.com に論文を掲載し、ハマスパレスチナ人特有の拒否主義に連なるものと規定した。妥協提案をすべて拒否する姿勢が全然変らないとし、この傾向は宗教過激主義に発するものであり、パレスチナ人に災厄しかもたらさない、と論じた。ラフダールはパレスチナ人社会に現状点検を促し、プラグマチックな政治思考にもとづく現実的決断をくだしていくように求めた。以下その主張である※1(2008年10月17日付www.elaph.com)。
パレスチナ側指導者は現実的思考に欠ける
1937年、イギリスのピール委員会がパレスチナ分割案を提示した。パレスチナ人に80%ユダ人に20%の分割比であったが、当時パレスチナ側の指導者であった大法官フセイニ(Mufti Hajj Amin Al-Husseini)は、宗教的根拠から即座に拒否した。パレスチナは、世界のムスリムにとってワクフであるから、ユダヤ人に1インチでも渡すのは禁じられている、とフセイニは主張した。これに対して、当時(パレスチナユダヤ人社会の指導者であったベングリオンは、綿密に考え抜いた末、その決定は、私はそれを拒絶することを拒否する。ユダヤ教の宗教法は、ムスリムの宗教法と同じく…土地を異教徒に1インチでも手放すことを、禁じていると応じた。しかし同時にベングリオンは近代人のメンタリティを有し、この(宗教法を)時代遅れと考えた。
ハマスの憲章は、1937年の分割提案拒否、1947年の提案拒否と同じく、強迫観念の如く執拗に拒否姿勢を貫いている。中世の宗教学者論議を引用して、これを正当化し、パレスチナは(宗教上の)ワクフであり、1インチでも手放してはならないとしている。これは魔法のような言葉で、この言葉を持ち出されるとたちまち思考停止におちいってしまう…ノーという呪文で、たとい現実の姿と違っていても、譲歩は夢のように消滅するのである。
(分割提案の)拒否は、政略的スキャンダルそのものだが、これが陰謀と結びつく。「パレスチナの略奪された土地」に対する「陰謀」という幻想にしがみつく位危険なことはない。ムスリム法と政治的意思決定を混ぜこぜにして生じる破滅を正当化するため、宗教的マゾヒズムのなかで安堵する(アッラーのおぼしめしのままに、我々には何もおこりっこないと)。これは極めて危ないことである。若い世代の頭にこの危険意識を叩き込むために、この拒否姿勢の愚を繰り返し学習させなければならない。
ムスリム法から(プラグマチックな)政策への転換遅延は、もつと危険度が大きい。その危険性を若い世代の頭に叩きこむため、拒否姿勢の罪を何度も説き聞かせなければならない。フセイニは、硬直した行動原則を特徴とするムスリム法に立脚し、住民の郷土喪失のもとをつくった。これに対しベングリオンは、政治即ち可能性模索術に立脚し、特定の時と場所によって生じる力のバランスを見究めて行動し、自分の民のために郷土を得た。
他者を魔物視する代りに、自分を省みて、過去に犯したあやまちを知る方がよい。パレスチナ人がこの70年間妄念のように繰り返したことを避けるために、この作業が必要である。
狂信的拒否主義が心を硬直させる
妥協を許さぬすべてか無かの病的な拒否のスローガンは、パレスチナの1インチすらも手放すことを禁じるムスリム法へ、無意識に回帰しているのである。そしてこのスローガンこそ、過去70年パレスチナ人がパレスチナを1インチずつ失う原因になったのだ。1937年、1947年そして2000年。いずれも非妥協を貫いて無残な結果を招いてしまった、2000年の場合は、パレスチナのムフティ・フセイニの衣鉢をつぐアラファト議長が、パレスチナ人が手にすることのできる最善の案といわれた(米大統領クリントンの提案を、拒否したのである…。
この病的な拒否主義は思考を硬直させ、物事を論理的に考えることを不可能にする。このような拒否主義は絶対に放棄しなければならない。これは一種の病気である。子供の発達過程で所謂肛門期に現われる…。
交渉は条件を話合うことである。パレスチナの拒否主義指導者は、政治思考上精神発達過程で、いつまで肛門期に足をとられているのであろうか。現在の交渉では、パレスチナ人に二つの選択肢がある。最も難しいエルサレムと難民問題を先送りして、すぐ履行できる部分協定をとりあえず結ぶか、原則協定を結ぶかである。後者の場合は、履行を10年間棚上げし、部族紛争に似たハマスファタハ紛争の解決を先延ばしにする。この部族紛争は、パレスチナ人の宗教上政治上の思考が未発達過程にあることが原因である。つまり、(20世紀前半の)フセイニ家対ナシャシビ家の紛争に、その根源をみることができる…(しかるに目下のところ)パレスチナ人は選択肢を二つとも放棄しているように思われる…。
パレスチナ指導部は過去の過ちに学んでいない
政治の世界では、相手の提案をかっとなってすぐ拒絶することはない。そして又、拒否された提案の代案を充分に研究し、用意しなければならない。それではパレスチナ側に、未公開ではあるが、実行可能な代案が用意されているのであろうか…代案は二民族併存国家案か、それともカッサム旅団とアル・アクサ殉教旅団のインティファダなのか。前者はサリ・ヌセイベの提案だったが、当の本人は己れの穏健を今では後悔しているようにみえる。後者はやってみたが全く成功しなかった。パレスチナ側指導者がこの二つの代案しか持たぬとすれば、過去の過ちから全く学んでいないことを物語る。ハビブ・ブルギバ(前チュニジア大統領)は、1965年のジェリコ演説で、まだ試みていないことをやれ、と呼びかけた。つまり現実的な選択肢を考えよといったのだが、誰も聞く耳を持たなかった。私の意見が、パレスチナ人の知性を喚起できるのであれば、よいのであるが。
このままであれば、パレスチナは究極の壊滅的分割に至る。ウエストバンクはヨルダンへ与えられ、ガザはハマスの手に渡るか或いはエジプトへ与えられる。そしてパレスチナの名称は歴史の一ページに残るだけとなる。この壊滅は考えられぬことではない。むしろ現実味を帯びているのである。危機的状況にある世界経済に石油とオイルダラーが重大要素であるように、中東の安定化にとってパレスチナ問題の解決が極めて重要である。国際外交は、パレスチナ側指導者が己れの拒否主義から立ち直るまで、手を拱いて待っているわけではない。
パレスチナ人の第一の敵は己れ自身
この拒否主義から立ち直る第一ステップは、自己批判である。己れの(最悪の)敵は己れ自身であることを認め、破滅を招いたのは、シオニスト帝国主義者ではなく、フリーメーソン共産主義でもなければ、ニューワールドオーダーのグローバル化のせいでもなく、己れ自身であることを認識することである。現状はと言えば、得体の知れぬ陰謀によってアラブ人が犠牲になる話にのみこまれ、幼児期の心理状態へ引き戻されているのだ。この精神構造から離脱しなければならない。更に又、(ハマスファタハの和解をめざす)民族統一計画に合意できないことが、民族のゴールを達成できない主因であることを、認識すべきである。20世紀の歴史は、人民が内輪もめをしていれば、民族解放運動が成功しないことを教えている。例えばシオニズム運動は、さまざまな政治派閥で構成されていたが、その武装組織は統一され、政治上の意志決定は一本化されていた。この運動が成功した一番重要なカギのひとつがこれである。
ハマス指導部の病的ためらい
エジプトがすすめるパレスチナ社会の和解工作は、エジプトを代表する有能な人物のひとりであるオマル・スレイマン(情報局長官)が指揮している。ファタハハマスの和戦遂行能力欠如に対する最後の機会が、この工作であるかも知れない。ハマスメンバーの頭脳にとって、宗教から政治への転換を押さえている心理的バリヤーを打破できる、またとない機会なのである。政治問題を扱うのにシャリアの法に執着しているのが現状であるから、これを、イスラエル建国に関する国連決議、イスラエルとの話合いを通したパレスチナ国家の建設原則といった国際決議を尊重する政策へ転換しなければならない。
ハマスの政治局長メシヤル(Khaled Mash'al)は、イスラエルを?存在する実体?として認めた。しかし国際法からいえば、半分の認知は認知していないと同じである。ハマスイスラエルを正式に認めなければならない。PLOPAが承認した公的な国際決議を正式に認めなければならい。パレスチナ史では、その承認の言葉は黄金の文字で書かれる。それが、凪状態にあるパレスチナイスラエル間の平和プロセスを動かす燃料になるからである。
ヤシン(Sheikh Ahmad Yassin)時代、ハマスは憲章の主要条項のいくつかを破棄することに同意していた。1967年の境界でパレスチナ国家を建設する見返りとして、パレスチナ全域を解放し、これを世界のムスリムのためのワクフとして維持するという条項が、そのひとつである。最後の審判の時までジハードを続ける原則も、暗黙裡に放棄するとしていった。しかし、2006年の選挙に勝利して以来、ハマスの指導者達は、少なくともその一部は、ハムレットの逡巡に陥った。政治交渉を抑圧するためらい病である…英委任統治領全域の解放は非現実的とするハマス創立者(ヤシン)の暗黙の認識や現在の指導者メシャルの?存在する実体?の認識。彼等はそのどれも否定しないし、かといって、この二つの主張をはっきり受入れているわけでもない…。
1967年の境界を持つパレスチナ国家を望む者は、単純明快な論理を適用し、その目的を達成する唯一の方法、即ち(イスラエルを)承認し、それと交渉する方法をとらなければならない。PAパレスチナ諸派の大半の支持を得てやっていたことを続行することである。パレスチナ国家は、(聖母の)無原罪懐胎によって現世に生まれたイエスとは異なる。暴力が第二の天性になったカッサム旅団。ハマスメンバーのなかの知識人は、いつまでその愚かな頸木につながれているのだろうか。彼等のなかに知識人がいると確信するのだが…。
私がハマスのなかの知識人であるとすれば、政治状況や聖職者達の策略に拘わらず、オマル・スレイマン将軍が進めようとしている和解を受入れる…。
イスラエルとの停戦(tahdiah鎮静)は、最終目的ではなく交渉の橋渡し的役割を持つ。ハマスは停戦を受入れ維持し、これを妨害しようとするイスラムジハード諸派内の抵抗勢力を排除しなければならない。ハマスが停戦に応じ境界線を守っている姿は、ハマスがジハーディストの夢から覚めて、現実と向き合い始めた兆候となる。エフード・オルメルトイスラエル首相)が言ったように、(イスラエルの)“退役将軍達“は、平和の選択よりパレスチナ、シリアとの戦争選択肢のほうが良いと言っているが、その道をふさぐのが今やハマスの役割である筈だ。
メンバーを恐れるハマス指導部
サウジのスルタン公(Prince Bandar bin Sultan)は、選挙の翌日ハマス指導者達が、メンバー達を3か月以内に説得する旨約束した、と言った。イスラエル承認の必要性を受け入れさせるというのだ。翌月にもその約束を果してスレイマン将軍を驚かせても良かったのではないか。(ハマスの指導者達は)メンバー特にカッサム旅団の一派を恐れているのである。ルーズベルトは「我々が恐れなければならぬことは只ひとつ。恐れること自体である」と言った。政治上の決断の勇気を指しているのである。この言葉をかみしめることだ。政治運動は第一に人民に奉仕することでなければならぬ。指導者達が政治決断の勇気に欠けるからといって、人民を国家のないまま飢えと封鎖の状態に放置しておいてよいのか。ハマスは人民の直面する窮状に対処すべく、古き衣を脱ぎ棄て頭を切り替える重大岐路に立っているのである…。
中東の政治家の多くは、かたくなな盲目状態に苦しみ続けている。(イスラエルの政治家の中には)ウエストバンクと東エルサレムの占領継続を“有利な立場”としか見ない者もいる。一方(パレスチナの政治家の中には)、英委任統治パレスチナの全域解放という病的願望にしがみついている者もいる。そして(イランは)精神錯乱とも言うべき原爆保有熱にうかされている。この一連の政治家達は、立ち向かうべき本当の問題が見えない。しかしいずれの日か、戦争、抵抗といった血みどろの相剋で時間と金を浪費し、無駄な血を流す代りに、前へ向かってかじ取りをするアラブ・イスラエル・トルコ・イランの協力の必要性を受け入れざるを得なくなる。これが人の道というものだ…。
(引用終)