ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ガザ問題について(1)

メムリ」(http://www.memri.co.jp
Inquiry and Analysis Series No 412 Feb/2/2008
ハマスパレスチナ解放とグローバルなイスラム・カリフ制回復の間で」
筆者:E. アルシェヒ
はじめに
パレスチナイスラム原理主義組織)ハマスはこれまで、ヨルダン川西岸とガザ地区に限定した宗教・社会運動として、主として(パレスチナ)内部の社会・宗教プログラムの実施に焦点を当ててきた。しかし、ハマスの2005年地方選挙と2006年(パレスチナ自治政府の国会にあたる)評議会選挙の勝利、その後のガザ地区制圧によって、その将来の政治活動の方向性に関し質疑が持ち上がった。この問題は最近最も頻繁に議論されているが、(そのポイントは)ハマスが(これまでと同様)方向性がローカルな命題を追求するのか、それとも(ガザ地区制圧で獲得した)政治的弾みを活用して(方向性が)グローバルなジハードの分野で活動し、その影響力を西岸・ガザ地区の境界を越えて拡大するかどうかだ。
この論文は、ハマスがグローバルなジハード運動、とりわけアルカーイダなどのサラフィ(イスラム原理主義)運動と作戦上の繋がりを樹立し、同運動のグローバルな計画に参加するかどうか、検討するものだ。論文は、ハマスイデオロギーハマスがエジプトのムスリム同胞団運動にルーツを持つことハマスガザ地区制圧以来採用してきた政策――を考慮に入れて、こう結論付ける。ハマスのローカルな方向性は同運動のイデオロギーに基盤を置いており、それだけにハマスがグローバルなジハードに携わり、グローバルなイスラム・カリフ制回復を目指すイニシアチブに参加することはありえない。(ここで言う)イスラム・カリフ制は、事実上1918年に解体され、1924年トルコの指導者ケマル・アタチュルク(Kamal Ataturk)によって公式に廃棄されたイスラムの伝統的統治制度である)。

1、ハマスとアルカーイダのイデオロギーの相違

アッラーの法が至上権を獲得した土地は、ムスリムすべてのホームランドである
ハマスイデオロギーの発展の枠組みを検討するにあたって、ハマスの結成文書━「ハマス契約(Hamas Covenant)」━の検討から始めるのが役立つ。※1 興味深い点は、この文書には、はっきりしたグローバルな抱負が全くないことだ。逆に、同文書は繰り返し、ハマスが「パレスチナ全域にアッラーの旗を掲げる」を命題とする宗教・民族主義運動であることを強調している。
このようにパレスチナという特定のイスラムの土地の解放に焦点を置いていること、これがハマスを、アルカーイダなどのグローバルなジハード運動からはっきり区別するものだ。一方、グローバルなジハード運動は、宗教的なモチベーションを普遍的な言葉を使って性格付けし、また、広範囲な地域を対象にした目標━たとえば、「スペインからイラクに至るイスラムの土地すべてが解放されるまで、またカリフ制が十分に回復されるまで、ジハードを行う」※2 あるいは「大洋から大洋まで(広がる)真の正当な国家━より大きなイスラム国家━を樹立する」※3━を追求する。
ハマスとグローバルなジハード運動を区別する別なファクターは、「契約」で繰り返し言及される言葉、民族主義(ワタニーヤ)の使用である。一方で、グローバルなジハード運動は、この言葉の使用を意識的に回避する。なぜなら、これらジハード運動は、グローバルなイスラムウンマイスラムの信仰共同体)以外のいかなる政治実体も認めず、個々のムスリム・ネーションやステートを認めないからだ。※4 グローバルなジハードを支持する著名なクウェートのサラフィ学者、ハメドアル・アリ(Hamed Al-‘Ali)師は2006年12月の記事「神を一つとする者たちの教義を防衛して・・・」で、この原則を表明して、こう述べた。「イスラム諸国家を(その付き従う宗教の)教義によって分類し、(世界を)イスラムの家と異端の家に分割する。アッラーの法が至上権を獲得した土地は、あらゆるムスリムホームランド━その人のエスニックな起源や出生地でなく(宗教的)教義に基くホームランド(ワタン)である」。※5
ハマスが・・・アッラーの言葉を至高とすることに誓約しているならば・・・(ハマスはなぜ)多神教の(パレスチナ)評議会の丸天井の下に(席を占めるのか)」
また、ハマスとアルカーイダのイデオロギーの際立つ違いは、ハマスが2005年の地方議会選挙と2006年のパレスチナ自治政府の評議会選への参加を決定したことだった。ハマスイスラム宣教の第一の手段としてジハードではなく政治参加を選択したことは、アルカーイダ指導部の厳しい批判を招いた。たとえば、アフガニスタンのアルカーイダ司令官アブーヤヒヤ・リービ(Abu Yahya Al-Libi)は、ハマスイスラムの目標に忠実ではないと非難した。「アッラーの言葉を至高とすることにハマスが誓約しているならば(なぜ)貧弱な政策を採用するのか、(なぜ)多神教の評議会の丸天井の下に(席を占めるのか)、(なぜ)不信心者の指導者たちと会合を持つのか・・・言いなさい、あなた方が言及しているのは、いかなるイスラムなのか。履行しようとしているのは、どこのシャリーアなのか」※6 ビンラーディンのナンバー2、アイマン・ザワーヒリ(Ayman Al-Zawahiri)は2006年1月エジプト(国民議会)選挙に参加したムスリム同胞団を非難したと同様、※8 ハマスが2007年2月メッカ協定に調印すると、ハマスの政治活動を非難した。※7
こうした批判に対するハマスの答えは、宗教・民族主義運動としてのハマスの性格を一層裏付けるものであり、ハマスとアルカーイダのイデオロギーの際立った相違である。ハマスはザワーヒリの非難に対し、2007年3月12日コミュニケを発表して、こう答えた。「ハマスはジハードと抵抗のサラフィ運動である。そして、パレスチナの土地が1インチでも占領されている限り、そうであり続ける・・・われわれはアッラーとの契約を裏切らない。この契約は、パレスチナの全土が解放されるまで、ジハードと抵抗の道を前進することを(われわれに)強いている・・・(ハマスが)選挙に参加し、政府を樹立し、またメッカ協定を受け入れ決定した動機は、パレスチナ人民の利益を守りたかったからだ」
ガザのハマス・スポークスマン、ファウジ・バルフーム(Fawzi Barhoum)は2007年7月の声明で、類似する観点からザワーヒリの非難に答えた。「ハマスは自分自身の歴史と(自分自身の)ジハードを持つ。ハマスはいくつかの戦線で戦っている。とりわけ、占領を(終わらせるために闘っており)、(ハマス政府に対する政治的経済的)包囲を打ち破るために(闘っており)、(パレスチナの)統一政府に対する支援を得るために(闘っている)、・・・われわれはパレスチナの解放に努力し、われわれの囚人すべてを自由にする。われわれの土地から、また、われわれの聖地から占領が取り除かれるまでやり通す」※10
批判に対するハマスの回答から目立って抜け落ちているのは、グローバルなイスラムの計画に対する誓約━つまり、グローバルなジハード・イデオロギーの中核をなす誓約の表明だ。その代わりハマスは繰り返し、(イスラエルの)占領に対する戦いという、方向性がローカルな戦いに焦点を置くと言う。
ハマスは自らの宗教・社会プログラムを他者には賦課しない」
この他にも、ハマスとグローバル・ジハード運動のポジションの相違がはっきり現れているものがある。ハマスが2007年6月ガザを制圧して以来採用した政策だ。ハマスパレスチナの軍事グループ、ジャイシュ・イスラム(Jaysh Al-Islam)※11やアイマン・ザワーヒリらアルカーイダ指導部 ※12の執拗な要求を無視して「イスラム首長国」樹立を宣言せず、また、シャリーアガザ地区に強制しなかった。その代わり、ハマスイスラムを公衆に賦課しないという、ガザ地区制圧以前からの約束を守った。※13 ハマス政治局長ハーリド・ミシュアル(Khaled Mash’al)は2006年のテレビ・インタビューで、こう約束した。「ハマスは自らの宗教的・社会的プログラムを他の人々には賦課しない。ハマスは(自らのアイデアを)公衆に提示するのであって、(その受け入れを)公衆に賦課することはない。(例えば)女性はヒジャーブ(ベール)を被るよう強制されない・・・ハマスは、『宗教に強制はない』『宗教は力ではなく、選択によって(受け入れられる)』の原則に(従う)」※14
ハマスの評議会議員ハメド・ビタウィ(Hamed Al-Bitawi)は2005年2月20日、ヨルダンの日刊紙ガド(Al-Ghad)のインタビューに答えて、類似する発言を行った。「(ハマスは)青年の運動ではなく、暴徒でもない。われわれは、穏健な思考で知られるムスリム同胞団に長い歴史を持っている・・・われわれは、理性的で、また良いことを指示するイスラムの諸原則の信奉に努力を傾ける。しかし、イスラムシャリーアの無差別な強制はしない」。※15 これらの声明に反映されている見解は、アルカーイダなどグローバルなジハード運動の見解とは正反対である。これらグローバル・ジハード運動は、ムスリム国家すべてにおける速やかなシャリーアイスラム法)の賦課を自らの義務としている。

2、ハマスの現在の政策と声明は、実用的なアプローチなのか、それともイデオロギーに基づくスタンスなのか。

ハマスの現在の政策と声明は、明らかにグローバルなジハード運動の世界観と食い違っている。この問題は、ガザの経済状況の改善を目指す実用的アプローチなのか、それともイデオロギーのポジションなのか。見てわかる通り、この問題に断定的に答えることはできない。しかし、いくつかの要因を検討することによって、ハマスのポジションを評価することができ、また、今後数年間(ハマスが採る)可能性の高い進路を予測することができる。より特定して、ハマスの声明と政策の根底にあるイデオロギーを評価し、過去数年間ハマスが配布してきたテキストを検討してみる。その結果、ハマスが少なくとも近い将来ローカルなプレーヤーであり続け、イスラム・カリフ制回復を目指す大規模活動には携わらないことが推定される。
この評価を支えるファクターには、ハマスイデオロギーのルーツ、ムスリム同胞団イデオロギーがある。リア・ブリニャ(Lia Brynja)が指摘するように、同胞団は『イスラム・カリフ制の回復は・・・(ハマスの)最終目標』であり、同胞団の他の目的━つまり、エジプトの解放、同地におけるイスラム国家の樹立、アラブの統一の実現━の達成後に初めて達成されると認識している。※16 同胞団はさらに、カリフ制の回復は、現在追求される現実的な願望ではなく、遠い将来、それも特定されない時期に実現されるビジョンと見なしているようだ。ハマスは、これに類似するポジションを採用したように見える。このことは、ハマスの「契約」と指導部の大半の声明がなぜカリフ制に言及していないか説明するものだ。※17 対照的に、アルカーイダなどの組織は恒常的にカリフ制の回復を求め、この目標に向け努力を傾けるよう全世界のムスリムに促す。※18
ハマスのポジションはまた、同運動の殉教者たちの経歴紹介と最終証言(遺言)に反映されている。※19 明らかに、ハマスはこの十年間、殉教者の経歴紹介と最終証言をパレスチナ大衆の洗脳の決定的な道具に使ってきた。※20 好例は、(2000年の)第二次インティファーダ(反イスラエル占領闘争)勃発の直前にハマスが公開した文書だ。この期間、同運動はかつてない数の自爆攻撃を行った。※21 この攻撃の波の開始に先立ち、ハマスは殉教者の経歴紹介と最終証言の公表を開始した。これらは、それ以前に公表されたものと異なり、コーランの節、ハディース預言者の言行録)からの引用、および現世とその快楽を放棄するイスラム初期の精神から抽出した禁欲的概念に満たされていた。そのテキストは現世の意味のなさを強調し、殉教を天国━唯一価値のある、望まれる目標━に至る正当な『出世街道』と推薦する。これら文書は二重の目的━自爆攻撃増大のイデオロギー基盤の準備、および、これら殉教者の後に続くパレスチナ人の募集━に役立った。※22
興味深いことに、2007年インターネットに掲載された類似文書の多くを綿密に検討してわかることは、ジハードと自爆作戦が追求する目標として、イスラム・カリフ制への言及がまったくないことだ。※23 これら文書はジハードを、以下の目標の手段として正当化する。「殉教を達成する」※24、「アッラーにお会いする」※25、「預言者(複数)と会合する」※26、「(イスラムの)神聖な義務を防衛する」※27、「占領に抵抗する」※28、「天国(に到達し)処女(と結婚すること)」※29、「イスラムを保持する」※30、「ガザから偽善者を排除する」※31という目標だ。しかし、世界をイスラム支配下に置くという目標に言及している文書はない。逆に、これら文書は常に、ジハードの概念をパレスチナ文脈に直接結びつけ、グローバルなイスラムの目標に言及することをしりごみする。ハマスがよりグローバルな政策を優先し、長期に及ぶ民族主義的アプローチの放棄を意図したのであれば、ハマスはこれらテキストを、このイデオロギーの転換に必要な、イデオロギーの下部構造策定のために使っただろう。
2007年11月11日、イスラム主義ウエブサイトwww.alhesbah.net/v に掲載されたメッセージ「ハマスとアルカーイダ間の相違・・・」はハマスが焦点(を置く政策)のローカル性を強調している。この文書は匿名のハマス・メンバーが書いたもので、こう述べている。「われわれの組織ハマスは敵シオニストとの抗争のローカルな(性格を)信じ、(したがって、ジハードを)パレスチナの外部の(地域に)輸出することを拒否する・・・」。※32 このアプローチはまた、ハマスがその地域間・国際的関係に置く重要性と一致している。近い将来、ハマスがジハードを輸出して、これらの関係を危険にさらすことはありそうにない。

3、結び

ここで提示されている証拠のほとんどは、ハマス武装闘争のパレスチナ限定政策に固執する可能性の高いことを示す。しかし、これはハマスが必ずしも孤立主義のアプローチを採ることを意味しない。逆に、イランとの繋がりから明らかなように、ハマスは実用的な社会運動として、イスラエルや占領地内のファタハとの闘いで、ハマスを支援する外国の政治実体との接触を利用し、また、これら政治実体と繋がりをつくる可能性は高い。しかし、この点で、ハマスがグローバルなジハードを基本方針に採用するため、これらの繋がりを使用する可能性は低いようだ。
同時に指摘せねばならないのは、ハマスのメンバーがアルカーイダと繋がりを持つことが、いくつかのケースで示されたことだ。※33 しかし、こうしたケースは数少なく、また、アルカーイダと繋がりを築くというハマス指導部の決定が反映されたケースは全くない。逆に、こうした接触は、ハマスが宣言する反アルカーイダ政策に反対するメンバーの個人的イニシアチブによる接触のようだ。
最後に指摘するが、留意しなければならないのは、ハマスが現在の内部の緊張から亀裂し、それによって同運動がローカルなジハード運動としての性格を変えるかもしれないことだ。
アルシェヒ博士は、MEMRIのジハード・テロ研究プロジェクト部長である。

注:
(1) 「契約」の完全翻訳は、MEMRI Special Dispatch No.1092「イスラム抵抗運動━ハマスの契約」2006年2月14日で見ることができる。http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP109206#_ednref5 .
(2) 2007年3月8日発表のザワーヒリのビデオ。MEMRI Special Dispatch No.1500「ザワーヒリがメッカ協定調印のハマスを非難」(2007年3月13日)で見ることができる。http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=subjects&Area=iwmp&ID=SP150007 .
(3) ビンラーディンの、イラクのムジャーヒドゥンに宛てた演説(2007年10月23日)http://www.al-faloja.info/vb/showthread.php?t=21215 .
(4) 同様に、イスラム主義者は「抵抗(ムカーワマ)」という言葉を拒否する。一方、ハマスはこの言葉を自らの組織名(「イスラム抵抗運動」)の一部として選択し、出版物で広く使用している。これに対し、グローバル・ジハード運動は自らの軍事活動を「抵抗」ではなく、「ジハード」と表現する。というのも、前者はイスラム法が承認し、後者は国際法が承認するからだ。例えば、アルカーイダの司令官ヤヒヤ・リービの記事「ジハードかムカーワマか」を見よ。 http://www.alhesbah.net/v/showthread.php?t=153702 .
(5) http://www.h-alali.net/m_open.php?id=4d62b09a-d740-1029-a62a-0010dc91cf69  
(6) MEMRI Special Dispatch No.1568「警告の呼びかけ」(2007年5月3日) http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=subjects&Area=iwmp&ID=SP156807 .
(7) MEMRI Special Dispatch No.1500「ザワーヒリがメッカ協定を調印したハマスを非難」2007年3月13日を見よ。 http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=subjects&Area=iwmp&ID=SP150007 .
また、2007年12月のザワーヒリのメッセージ「アナポリスの・・反逆」を見よ。ザワーヒリはこのメッセージで、「カリフ制樹立、・・・アッラーの言葉が至高のものとして(支配)するまで戦うこと・・・(また)アンダルシアからチェチェンに至るイスラムの土地すべてを解放することへの誓約を宣言するようハマスに呼びかけた。http://al-hesbah.com/v/showthread.php?t=157128
MEMRI Special Dispatch No.1787 「ザワーヒリの最近の2つのメッセージ:イランはイスラム・ネーションを背後から刺した;カリフ制回復への誓約を宣言するようハマスに促す」‘2007年12月18日)を見よ。
http://memri.org/bin/latestnews.cgi?ID=SD178707
(8) リディア・カリール(Lydia Khalil)、「アルカーイダとムスリム同胞団:戦略では一致し、戦術では分裂する」
http://www.jamestown.org/terrorism/news/uploads/TM_004_006.pdf
(9) http://www.palestine-info.info/ar/default.aspx?xyz= U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s73U04Hy5EzozcaeDmuC%2f%2fWboCU2vOpUHfEJj6x%2fFzBqZaC33y%2bYlOIQekhMO%2bJO5a1r1PaOjO3MP1fSApQY5onKmhrtJsGd6cxx3PwS5nMmo%3d . 
(10) http://www.aljazeeratalk.net/forum/archive/index.php/t-23451.html  
(11) MEMRI Special Dispatch No.1641「ジャイシュ・イスラム(Jaysh Al-Islam)からイッザディン・カッサム旅団(’Izz Al-Din Al-Qassam Brigades)へ:ガザにおけるイスラム首長国の樹立を宣言せよ」(2007年6月29日) http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP164107 .
(12) MEMRI Special Dispatch No.1634「アルカーイダのナンバー2、アイマン・ザワーヒリが、ガザにおけるシャリーアの強制をハマスに呼びかけ」(2007年6月26日)を見よ。
(13) http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=subjects&Area=iwmp&ID=SP163407 .
(14) これはガザ制圧直後ハマス当局者の一部、たとえばニザール・ライヤン(Nizar Rayyan)が行った声明と相反する。ライヤンは、制圧は「ガザにおける世俗主義の終焉を意味した」と宣言した。(MEMRI Special Dispatch No.1633「パレスチナ自治政府の恐怖:ガザはタリバン型の首長国になるかもしれない」(2007年6月26日)を見よ。
(15) http://memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP163307 .)
(14) www.palestineinfo.info/arabic/Hamas/hewar/2006/khalid_meshel/meshel_new_tv_19_3_06.htm+%D8%AE%D8%A7%D9%84%D8%AF+%D9%85 %D8%B4%D8%B9%D9%84+%22%D8%A7%D9%84%D8%AF%D9%8A%D9%86+%D8%A7%D8%AE%D8%AA%D9%8A%D8%A7%D8%B1%22&hl=en&ct=clnk&cd=1 .
(15)http://www.al-barq.net/showthread.php?t=8823 .
(16)これらの優先事項は、ムスリム同胞団設立初期に(同団創設者)ハッサン・バンナ(Hassan Banna)と彼の追随者が設定した。〔参照:ブリンジャル・リア(Brinjar Lia):エジプトのムスリム同胞団ソサエティー、リーディング社、英国、1998年、p, 80〕。ムスリム同胞団の現在のウエブサイトはグローバルなイスラム・カリフ制の樹立に言及していない。この事実は、これらの優先事項を同運動がなお信奉していることを示唆している。
(17)ハマスの指導者たちはカリフ制の再樹立にはほとんど言及しない。言及するにしても、その言及は簡潔か、(カリフ制回復の)時間表や、この目標達成の方法にはまったく言及しない。
(18) こうしたビンラーディンの訴えは、MEMRI Special Dispatch No.1286「ビンラーディンの演説2003−2006」(2006年9月8日)を見よ。また、アルジェリアの「宣教と戦闘のためのサラフィスト・グループ」(現在は「イスラムマグレブのアルカーイダ」と呼ばれる)が雑誌ジャマーア(Al-Jama’a)2005年10月号に掲載した記事「イスラムなしには平和はない」を見よ。
http://www.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP128606 .
 この記事の筆者、アブームスアブ・アブドルワドウド(Abu Mus’ab Abd Al-Wadoud)(現在、この組織の指導者)は政府との協定に調印しないよう、また、歴史的なイスラム・カリフ制再樹立に努力を傾けるよう、アルジェリア人に呼びかけた。ジャマーア、2005年10月、p. 24
(19)「殉教者」という言葉は、ここではイスラエルへの攻撃を実行して死亡したハマス・メンバーを指している。
(20)これらの文書は広く、さまざまなメディアを通じてパレスチナ人大衆に配布されている。意図された聴衆は、ムスリム・コミュニティー一般ではなく、明らかにパレスチナ人である。
(21)データによると、1987年から1999年にかけ、ハマスのテロリストは、年平均約6回の自爆作戦を行った。しかし、第二次インティファーダの間に、ハマスが行った自爆作戦の平均数は、年あたり24.75パーセント増加した。イスラエル軍部が2000年から2006年にかけて未然に摘発した数百回の自爆作戦を考慮に入れると、その増加ぶりはさらに激しい。
(22)ハマスが自爆攻撃の正当化と促進のために使った殉教者列伝、つまり殉教者の経歴紹介と最終証言の分析については、エリ・アルシェヒ(Eli Alshech)の「自己本位の殉教と2005年地方選挙におけるハマスの成功:ハマス殉教者の倫理的遺言、経歴紹介と死者への賛辞の研究」Die Welt des Islam、近刊48.1(2008)を見よ。
(23)私を助けてデータを集積したダニエル・ナギ(Daniel Nagy)に感謝する。
(24)例えば、ムハンマド・アブーカルシュ(Muhammad Abu Karsh)の経歴紹介を見よ。
http://www.palestine-info.info/ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s73wnXfQGWYP8168h%2bsuO77PTz4Cn2VpabVJtDbySG1KbyDiXaDTcZvBYWyZJL%2fpI7eRj1Wz6mVFVA88%2bCetvIDCtB7Y%2fKbFh8h0Fr%2bAVHS4I%3d .
(25)例えば、フセイン・シュバシ(Hussein Al-Shubasi)の経歴紹介を見よ。
http://www.palestine-info.info/Ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s7rK0bXJeStg%2fo%2fcSoHxlZ%2bJcIq6oFQrTlmDNx7tZtpI9NFmWXRdG3syyRGB0cMP5csoVKC3pjNSVPH2jK%2bsFpft5KQnxNm9bRVcvxw1qVZSw%3d .
(26)例えば、ムニール・ムハンマド・タニラ(Munir Muhammad Tanira)の経歴紹介を見よ。
http://www.palestine-info.info/Ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s7NjvwrzDpVD%2bIPmjB3RmbTIsmz7prl3Xy1CrrsPCD88OQLuuR0GUktGqVeZ1l8IsrVF2ot%2fX6Ea1MEPVGLP3U%2fGBif8wSG2biTDJubUxdICI%3d .
(27)例えば、ジャマール・アブドッラフマン・アブーシュワイレ(Jamal Abd Al-Rahman Abu Shwayre)の経歴紹介を見よ。
http://www.palestine-info.info/Ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s7lJupzK6sKJkSf1w%2f8A%2b1uS3cbFYr5slYx%2bmYP0b%2fSIKIWBWeRGpYFbmDvrWIupv0nhCI%2fFyx2B2kfjux%2fXEZttbSRN4OoSPCM2dbT6xXwoQ%3d .
(28)例えば、フセイン・カリール・アブーアウダ(Hussein Khalil Abu ‘Awda)の最終証言を見よ。
http://www.palestine-info.info/Ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s7ceOCa820TX5kLg1%2bvYydBGXtVnODaH%2fBAaOHBkkmSVhr1kyHdCgpW%2fnXqOG1Tssm9wPni%2fKwPTtjXsw%2bhvpNjXVCJfVm87U2ku1PidWYjJE%3d .
(29)例えば、ハニ・ムハンマド・サレハ(Hani Muhammad Saleh)の経歴紹介を見よ。http://www.palestine-info.info/Ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s7TEGvAB6AaIIyH5L712sJHgEiNWhzDmnvtIEn32NlSaq3kq2TAFJNJrHeqmqmJ2QOQ2Ksj%2f09Wd%2fNNCHZ3Bxew0xk%2bktebQ94dOU%2fpDl11JE%3d .
(30)例えば、ナイエフ・イブラヒーム・アブーハスン(Nayef Ibrahim Abu Al-Hasun)の経歴紹介を見よ。
http://www.palestine-info.info/Ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s7gSbRGOTm5npCSOzn8WxULZElxrJpVf0r4%2fCyDw5ZPPVQIITI%2f6gkJKKznMWvfC7n2B2t%2b%2fDqMH%2bc6l9pXaNA7u5WCoPF3eYcXApzhEsS%2bno%3d .
(31)ハマスのアブーハスンの死亡声明を見よ。
http://www.palestine-info.info/Ar/default.aspx?xyz=U6Qq7k%2bcOd87MDI46m9rUxJEpMO%2bi1s7gSbRGOTm5npCSOzn8WxULZElxrJpVf0r4%2fCyDw5ZPPVQIITI%2f6gkJKKznMWvfC7n2B2t%2b%2fDqMH%2bc6l9pXaNA7u5WCoPF3eYcXApzhEsS%2bno%3d .
(32)http://www.alhesbah.net/v/showthread.php?t=152437 ハマスの、アルカーイダ活動家をエジプトに国外追放する決定は、同運動が実際アルカーイダに距離を置こうとしているもうひとつの証明である。
http://www.haaretz.co.il/hasite/pages/ShArt.jhtml?itemNo=908685&contrassID=1&subContrassID=0&sbSubContrassID=0 .
(33)こうした繋がりは、例えば、ドア・ゴールド(Dore Gold)の記事「中東におけるアルカーイダとハマスの繋がりは、長期にわたり、また頻繁である・・・」(San Francisco Chronicle、2006年3月5日)で取り上げられている。また、ザキ・シェハブ(Zaki Chehab)の「インサイドハマス:過激なイスラム運動の語られざる物語」(ニューヨーク、2007年)pp173-196。著者はこの中で、ハマスのメンバーとアルカーイダ活動家のシナイ半島における接触を述べている。
(引用終)