この頃の勉強
今日は、銀座の聖書図書館から、依頼しておいた昨年発行の英文の文献コピーが届きました。アラブでのイスラームの発生とアラビア語への聖書翻訳の関係性について言及されていること、初のドイツ語訳聖書は、マルティン・ルターによるものではないなど、なかなか興味深い内容です。こういう背景を知っているのと知らないのとでは、マレー語聖書翻訳に関する勉強も、まったく違ってくると思うので、タイミングよく助かりました。著者の一人とは、10年ほど前に、メールでやり取りをしたことがあります。本当に、なつかしい思い出です。
『ヘラルド』も、無事、マレーシアから届きました。聖書をもっと重視するように、という内容の記事が目立ちました。
昨日は、マレーシアのカイロス研究センター所長のDr. Ng Kam Wengとメール交換をしました。博士の書かれた論説文(参照:2008年1月2日付‘Lily's Room’(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080102)に書かれてあったことで、最初のマレー語のキリスト教文書は本当に1514年でよいのかどうか、という点を議論しました。「先生は、ヨーロッパ滞在中に、現物を証拠としてご覧になったのですか」と尋ねた後、現物が存在するにせよ、ジャウイ版マレー語文書かアラビア語のキリスト教文書かの判別が重要ではないかと私は主張しました。(ご参考までに、英国図書館蔵の該当文書は、「マレー語コレクション」ではなく「アラビア語コレクション」に分類されているようです。)
このようなことは、日本なら基本中の基本で、ごく当たり前のことだと思います。万葉集の歌が漢字で書かれているからといって、誰もそれを中国語だとは思わないように、いくらアラビア文字を使って書かれてあっても、文章がマレー語かアラビア語かの区別は、最低限すべきでしょう。
マレーシアで一番いやなのは、どこかから引用してきただけなのに、引用元を出さないで、それを事実と断言する傾向にあることです。引用なら引用とすべきで、事実と判定するにはそれなりの論拠が必要です。ここがいい加減なので、外国人リサーチャ―にとっては、確認をとるのに、必要以上に時間がかかるのです。しかも、こんなことを突き止めたからといって、日本語にすればものの一文で終わってしまい、何らメリットがあるとも言えず...。
連休中に、シンガポール大学の若い助教授が書かれた『ラッフルズ再考』という本が届きました。注文してから、ずいぶん遅れての到着です。この助教授は、お名前からイエメン系ハドラマウトの方ではないかと思いますが、インド系の血も混じっているとのことです。ともかく、読んでいて、そういう見方があるということは認めるものの、内容にいささか懸念を感じました。アカデミズムにおけるイスラーム復興の一種なのかもしれない、とも思います。憶測が単純に間違っていればいいのですが。
今日発見したのは、欧米のキリスト教ミッションが、ずいぶん昔に、インドネシアのイスラームに対して日本軍が与えた影響を分析した文献を出していたことです。
お昼頃、大阪市内のある施設に、我が家では使わない家庭用品を献品として送りました。大学病院へ診察予約を入れようとしたら、もういっぱいとのことで、来週に回されました。久しぶりに注文のあった本を送ろうとしたら、郵便ポストに入らず、明日に持ち越しとなりました。あれやこれやで、まだお約束した原稿ができ上がっていません。本当に申し訳ないことです。ごめんなさい。