ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

一人反省会

9月19日、20日に行われたキリスト教史学会での研究発表の一人反省会です。
まずは、会場提供をしてくださった九州ルーテル学院大学の先生およびお手伝いしてくださった学生さん達、学会運営係の方達には、いろいろとお世話になりました。懇親会では、たくさんの食べ物が余っていて、もったいなく思いましたけれど、私自身、二皿で充分となり、食べきれませんでした。申し訳ありません。それから、レジュメの余部を持ち帰るのを忘れてしまいました。いつもならば、ちゃんと持ち帰ってきたのに、です。お気づきになった方は、もしよければ、メモ用紙にでもお使いください。
18日の午後の便で伊丹から熊本まで飛行機に乗れたことは幸いでした。台風のため、鹿児島便はキャンセルでしたが、熊本は大丈夫でした。機内アナウンスで、「これから台風の影響で揺れることがあります」と言われましたが、案外に揺れは少なく、たいしたこともありませんでした。マレーシアに向かう機内で、時々、フィリピン上空では揺れますし、1999年8月にミュンヘンからマドリードに飛んだ時、ピレネー山脈の上空あたりでひどく揺れて怖かったことを思えば、何でもありません。でも、19日の朝の便で来た院生の方が「もう、泣きそうでしたよ」と揺れを語っていました。この方とは去年からの知り合いで、今時珍しいぐらい芯のしっかりした若くてかわいらしい女性です。「うちの大学にも来てくださいよ」と誘ってくださったのですが、いつになることやら....。具体的な日取りが決まらないと、よそ様の大学には、なかなか足を運ぶことが難しそうですね。
熊本市内は、小泉八雲夏目漱石にゆかりの場所が幾つかありましたが、その他キリスト教関連として、熊本バンドと呼ばれる同志社精神の真骨頂の初期具現が「熊本洋学校」として記念されていますし、細川ガラシャ夫人ゆかりのガラシャ御廟、ハンセン氏病の人々に尽くした女性宣教師リデル氏の記念館もあります。二日目の午後は、バスツアーの一環として、47名の参加者と共に訪れることができました。とにかく暑かったのですが、それだけに思い出に残るツアーとなりました。
研究発表は、学会入会後2年目になったこともあり、どれも興味深く、勉強になりました。気づいたのは、日本であれ、韓国であれ、マレーシアであれ、西洋由来のキリスト教宣教における語学試験や留学斡旋や聖書翻訳などの活動には、どこか一定のパターンがあるのではないか、ということです。それがわかると、自分のテーマに関しても、資料の読みのポイントがよりはっきりしてくるように思います。
私自身については、準備段階に手間取った割には、イントロ程度のレジュメになってしまったこともあり、早口でしゃべり続け、時間配分にちょっと失敗したかな、と思います。計69枚の写真や地図をパソコンに入れる作業は主人がやってくれ、私はもっぱら紙媒体中心だったのですが、ギリギリまでがんばった割には、充分に整理しきれなかったような感じもします。主人に言わせると、「スクリーン説明だけでも25分におさまりきれないよ、これ」とのことでしたが、視覚資料があった方がイメージもわかりやすいでしょうし、枠組みからきちんと説明しないと、各論がずれてくるようにも思いましたので...。
また、マレーシア研究会で発表した内容は、既にネット上に掲載されていることもあり、もう繰り返したくはありません。マレー語や地域事情に関しては、マレーシア研究会の方が詳しい人が多く、キリスト教については、キリスト教史学会の方が専門家が多いことは当然で、その狭間にある者としては、どこまで説明すればよいのか、最初からあまり詳しくし過ぎると、コメントのしようがないほど、蛸壺化してしまいそうですし....悩ましいところです。また、現地で苦労して集めた資料も、日本語訳すると大した内容ではないように思われて、その「落差」にも悩まされます。
ただ、ロシア正教会の研究をされている先生が挙手して質問をしてくださいましたし、終了後、ベトナムカトリックについて研究されている方からも「興味を持ちました」と名刺をいただきました。東南アジア学会でもご一緒の方で、「名前を見たことがある」と言ってくださいました。また、昼食の時、同じテーブルだった先生から、「去年からこの学会?もう4,5年前からの知り合いのような気がする。発表、すごいインパクトありますよ」と言われて、とてもうれしかったです。私も、先生の研究内容は、固有名詞として頭にインプットされていますよ!早速、来年3月の関西での部会も、もう日程を教えていただきました。次の発表テーマは、先生も私も、もう決まっています!
結局のところ、人を引きつける研究というのは、職位職階や小手先の技術や難易度ではなくて、その人の内面から出るパワーというのか、「どうしてその研究をしているのか」という強い動機と意欲が伝わるかどうかだ、という話になりました。「同じようにある国に住んでいても、テーマや問題に気づかない人もいる中で、ちゃんと気づいて、ここまで資料を探して日本で発表できるなんて、それは恵みだよ」と。そうですね、感謝して、安心して邁進しなければ!
帰りは、在日二世だという女性研究者とご一緒して、いろいろと印象的なお話をうかがいました。日本社会の差別の問題に対して、頭で知っていることと感性で直接受けとめることの違いを経験させられた思いでした。キリスト教信仰によって「恨」を克服し、人生前半の言葉にならない痛苦が逆転して、道が大きく開けたというお話には、とても励まされましたが、ご本人の努力と同時に、お父様もご主人も意識の高い牧師だという境遇もあずかっているのではないか、とも思いました。詳細については、考えさせられることが多く、とてもここでは書けない内容ですが、ともかく、お話できてよかったという一言で今日のところはとどめます。