ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

キリスト教の人脈ネットワーク

アメリカの南メソディスト大学パーキンス神学部で教鞭をとっていらっしゃるロバート・ハント教授から、一か月ぶりにメールが届きました。トルコのスーフィズムであるギュレン運動に関する本を編集されたのがハント先生なので、早速、近況かたがたご連絡したのが、9月下旬のことでした(参照:2008年9月25日付「ユーリの部屋」)。
スーフィズムについては、ハント先生のご専門であったウィリアム・シェラベア博士も、東南アジアのスーフィズムに関心を寄せていた時期があり、さすがは同じメソディズム精神がこのように学的にも継承されているんだなあ、と感慨深く思いました。時代や地域や民族などを超えた精神の脈々たる連なり、これがキリスト教の強みでもあり、変革の難しさでもあります。
また、今年の7月、マドリードでのサウジアラビア主催による宗教間対話会合に参加された時、確かに日本からの代表団にも少しだけ会った、とも書かれてありました(2008年9月1日付「ユーリの部屋」)。その代表団は、私のかつての職場でもあります。紹介されたのが、日本にしばらく滞在されていたハント先生の女性の同僚だったとのことです。
こういうことがあるので、人間関係は重要だと思うのです。人は、どこでどのようにつながっているか、表面からだけではわかりません。苗字が違うので他人だと思っていたら、実は親戚だったとか、若手だと思って適当にあしらっていたら、その人のおじいさんがその方面の偉い先生だったとか、親の恩師の著作を娘が研究している、など、日本国内でもやっかいな事情は数多くあります。そうはいっても、結局のところ、いかに誠実に正直で率直であるか、ということなのだろうと思います。実力不相応に背伸びをせず、あるがまま、事実や史料に即して分析をし、借り物でない自分なりの考察をする姿勢、これさえあれば、特に誰の前でも怖いことはないはずです。
だからこそ、今の日本の表面的な競争社会がなんだか危険だとも思います。経済面しかり、大学での業績評価しかり、です。適度な刺激としての競争は決して悪くはないものの、論文の剽窃だとか、アカハラとか、若手研究者の自殺だとか、真理の追求の場であるはずのアカデミアの病理性は、もっと透明に公正に明るみに出された方がいいのでは、とも愚考します。
話を元に戻しますと、ハント先生によれば、アメリカ国内のイスラーム理解は、徐々によい方向に向かっているとのことです。ただし、宗教間対話については、アメリカでも問題が多いそうで、それに関する論文コピーをまた送ってあげよう、とのことでした。楽しみです。