ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アラブ世界への批判的意見

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Special Dispatch Series No 2067 Oct/6/2008

世俗主義なきところに民主主義は存在しない ―シリア出身知識人のアラブ世界批判―
 フランス在住のタラビシ(Georges Tarabishi)はリベラル派知識人として著名なシリア人であるが、ロンドン発行アラブ紙Al-Sharq Al-Awsatのインタビューで、アラブ世界の民主々義、原理主義者の挑戦、世俗主義について語った。世俗主義が、プロテスタントカトリックセクト主義の救済策としてヨーロッパに出現したように、アラブ世界では党派を克服し、民主的な未来への道を築く必要がある、と論じた。以下その主張である※1。
問)あなたはシリアのバース党から実存主義哲学、マルキシズムからリベラリズムへ移り、そして最近はアラブの精神構造を批判されている。このようにあなたの知的軌道はいくつかの変遷を経ている。この軌道の終点はどこなのか。あなたは、この度重なる軌道修整を見直して自己批判をなさる段階なのか。それともアラブの現実を批判する段階なのか。
答)私の世代は、他国の他の世代が100年、200年かかることを、50年で経験した。私もその世代のひとりである。私の世代は、アラブの或る小説のようである。この作家は50年の間に歴史小説から写実小説に移り、そこから象徴主義へ。そして(イスラムの)伝統を扱う小説になり、結局形而上の世界に遊んで終った。換言すれば、ナギブ・マハーズの小説上の変遷は、ヨーロッパの小説が300年かかってたどった道を50年で通過したのである。  
我々の世代は、目まぐるしい変化にさらされた。ナチズムの興亡そしてマルキシズムの興亡を目撃した。学生の反体制暴動も体験した。ヨーロッパの思想界は実存主義に始まり、フランクフルト学派が登場し、構造主義、そしてポストモダニズムになった。それと同時に重大な世界的事件が起きた。第二次世界大戦終結、冷戦の勃発、民族解放運動と第三世界主義、社会主義陣営の崩壊と続き、そこからグローバリゼーションへ向かった。
 我々の世代はこの一連の事象すべてに対応し、意識の中にそれを咀嚼する余裕をつくらなければならなかった。新しい流れに対し、それに適応すると同時に批判的姿勢を保つにはどうすればよいか。我々の世代はこれを考えなければならなかった。目まぐるしく変わる時代と俱に生きていきたいのであれば、ひとつの固定したビジョンだけをとるわけにはいかない。
 私の歩いた道は、世代自体の軌跡を物語ると思う。変化段階に従ったひとつの思潮から次の思潮へと移っていったのである。勿論批判と自己批判の原則を適用してのことであった。変り行く状況に適応しつつ自分のアイデンティティだけは維持しなければならぬ。批判と自己批判が、自分を見失わぬための保証となる。
 打ち続く変化の軌跡は、前の段階のものをすべて否定することを意味しない。とりこみと再構築の過程があった。私が汎アラブ主義、実存主義マルキシズムそして精神分析の段階を経てきたとしても、それは私が各段階の要素をとりこまなかったということではない。思想を構築し、私の住む現実を見るビジョンを組み立てるうえで、過去の体験はそれぞれに有益である。
 この現実とは、アラブ世界の軌道にみられる新しい曲り角のことである。それは原理主義運動の始まりに端を発するが、その現象は拡大しつつある。私が文芸批評からアラブ・イスラムの伝統批判に転じた背景には、ひとつにはこの現象がある。私のライフワークである「アラブの精神構造批判の批判」で表明した通りである。ちなみにこのプロジェクトは今尚続き、百科事典的分量に達し、二十数年前私が着手した時には予想もしなかった規模になった…。
問)それでは、近代(modernity)をめぐる戦いにおける(イスラム−アラブ)伝統という文脈で、あなたのプロジェクトが入ってくる。そう理解していいのか。
答)伝統やほかのこともある。近代と伝統主義者との戦いは激しく長期間続いている。今後少なくとも50年いや100年はかかるだろう。この伝統主義者とは、科学と知性の成果、近代の成果を以てしか対決できない。あるいは又、伝統主義者が自己の立場を強めると主張する伝統の、根源をつきつめて考えてみなければ対抗できない。
 今日我々が対決している原理主義は、私の意見では、新しくつくりあげられたものである。証拠はある。伝統に立ち戻ってみると、あの時代に生きていた人々で、自分を?イスラミスト?と認識していた者は、ひとりもいなかったことが判る。ムスリムキリスト教徒、ユダヤ人、ゾロアスター教徒はいたが、イスラミストは存在しなかったのである
問)アラブの精神はかつて花開き、外部に開かれた時代があったが、没落していった。没落の理由は何であろうか。我々はアラブのルネッサンスプロジェクトが必要なのであろうか。必要なら、そのアウトラインは何か。
答)この種の質問に数行で答えるのは難しい。私は数冊の本を書いて答えたのである。ここでは、?精神?という言葉の使用は差し控える、とだけ言っておきたい。多くのアラブ知識人とその聞き手は、精神ではなくメンタリティで考える。双方には大きな違いがある。
 アラブの啓蒙(nahda)プロジェクトは、近年挫折してしまったが、その再興は、知識人がメンタリティの代わりに精神をベースとして、再び進む力があるかどうかにかかっている。精神は批判力を持つ時にのみ精神といえる。
 メンタリティの特徴は言い訳にある。防禦的で正当化の傾向を持つ。これが今日アラブ世界で優勢な文化を支配している。アラブの衛星放送が特に然りである。批判されると防禦的となり、精神を刺激する代りにメンタリティをいたずらにかきたてる…。
問)最近の著作「民主々義、世俗主義および近代に関する異端思想とアラブの拒否」(Heretical Thoughts on Democracy, Secularism, Modernity, and the Arab Refusal)で、アラブには近代哲学がないと仰有っている。バダウィ('Abd Al-Rahman Badawi)、アミン(Samir Amin)、ハナフィ(Hasan Hanafi)の思想家としての業績は翻訳。精々翻訳を通した欧米思想の紹介者であると考えておられる。これは少し不公平ではないか。
答)もう一度言おう。哲学は精神の産物である。今日アラブ文化に流れているのはメンタリティであるから、今日アラブ哲学は殆んど存在し得ない。多分この言葉は一般化のしすぎがあるかも知れない。しかしそれでも私は否定的である。アラブ哲学者として名前をあげる価値がある人物がいたら、ひとりでもよいから名をあげて欲しい。私自身この判断から除外されるわけではない。
 欧米の近代をつくりあげたのは、まず第一に哲学であるから、悲しい話である。アラブの近代的性格が形成されていないのは、少なくとも一部には、アラブ人哲学者の欠如に原因があるのではないだろうか。
問)最近ダマスカスで開催された「東方アラブの世俗主義」(Secularism in the Arab East)会議で発表された論文で、あなたは民主々義と世俗主義の組合せの必要性を強調された。そして、世俗主義は宗教上のセクト主義の弊害に対する治療法として欧米という実験室で発達した、と仰有ったが…。
答)世俗主義を伴わない民主々義は存在し得ない世俗主義のもとでしか宗教やセクト的メンタリティから自由になれず、自分の理性で考え選択することができない。この理由により私はいくつかの研究論文で、民主々義は投票箱だけの話ではなく、頭脳という箱に大きく存在すると主張した。
 スンニはスンニ以外の候補者にしか投票せず、同様にシーアはシーアに、カトリックカトリックに、オーソドックスは、オーソドックスにしか投票しない。これが判っている時持続性のある民主々義はイメージし難い。
 エジプトを例にとってみよう。コプトは総人口の8−12%を占めているものの、今日みられるセクト主義的状況が災いして、国会議員にはひとりもコプト教徒が選ばれず、国家はやむなく数名のコプト教徒を議員に任命している。現在のイランではどうだろうか。この国では総人口の20%ほどをスンニが占めている。しかし、私の記憶が正しければ、議席600のうちスンニ派議員は僅か10名である。イラン及びエジプト、いやほかのアラブ諸国における自称民主々義が、世俗主義から遮断されているために、こういうことになる。
 レバノンは、最も民主々義が根づいているアラブの国であるが、民主々義の危機を例証する国である。民主々義は単なる投票箱と化し、投票は全くセクトをベースとするものとなっている。真の意味での民主々義を体現する投票箱は、殆んどすべてのアラブ諸国に存在しない。
問)論文のなかで、セクト主義イスラムにとって異質ではないとし、むしろ(イスラム)史に一貫してみられるイスラムの固定的要素のひとつ、と主張しておられる。この主張に反対する人々がいる。セクト主義の意味と真髄が権力闘争にあるとすれば、主なファクターは政治及び社会的闘争であり、これを無視してセクト主義の問題を宗教上の紛争に帰すのは如何なものか。反対者はこのように言っているが…。
答)セクト闘争が純粋に宗教上のものと誰が言った。私はその存在を例証するために、イスラムにおけるセクト闘争に紙面をさいて説明したのである。イスラムにおけるセクト闘争が、権力闘争と社会的紛争とのつながりを持つことを否定しない。
 キリスト教におけるセクト闘争を処置する一方法として世俗主義が欧米の実験室でつくりだされた、と主張する者に対して私が反論するなかで、イスラムにおけるセクト闘争の存在を強調したのである。
 世俗主義が欧米で作られたことを否定しないが、だからといって、アラブ世界に適用不能という証拠にはならぬと思う、先の論法に従うならば、我々は、アラブ世界で民主々義を根づかせることを拒否しなければならなくなる。何故ならば民主々義も欧米という実験室でつくられたからだ。
 世俗主義セクト闘争に対する治療法であるとすれば、イスラム世界は欧米以上にこれが必要である。ヨーロッパでは近代の始まる頃カトリックプロテスタント間にセクト主義の弊害がみられたが、イスラム世界におけるこの弊害はもっと深刻で急を要するからである。
問)しかしそれでも思想家のなかには、アラブの世俗主義者はアラブ世界に適用可能な世俗主義モデルを発展させることができなかった、と考える者もいる。この点はどうか。何か解決法があるのか。
答)私は世俗主義に関する著作でアラブ世界における世俗主義は作業マニュアル付きの出来合い公式ではない、と一度ならず主張した。アラブの現実と要件に合うように、再発見、再考案し発展させる必要がある。
 逐語的に(欧米モデルから)翻訳した世俗主義は、アラブ哲学と同じ運命に陥るだろう。
アラブ哲学なるものは翻訳哲学の域にとどまっているから、前述のように存在し得ない。
 欧米における世俗主義は、次の著作「異端思想2」(Heretical Thought 2)で詳述することになるが、国家と宗教の分離をベースとしておこなった。それは公的側面に限定され、一般社会へは広げられなかった。アラブ世界では宗教と国家の分離でよしとするだけでは充分ではない。
 世俗主義(アラブ世界の)は、社会の根本に大ナタを振るわなければならない。そうしないと、今日トルコを引裂いているような危機に直面する。トルコは、世俗化した国家とイスラミストの社会、或いは再イスラム化した社会に分裂しているのである。
※1 2008年1月23日付Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)
(引用終)