ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ハマス関係者のキリスト教改宗

英訳の方は、既に昨日付英語版ブログ“Lily's Room" (http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20080912)でご紹介しましたが、念のため、以下に日本語訳をご紹介いたします。なかなか興味深い内容ですが、ムスリム共同体を離れなければ、このような現状暴露の「告白」がしにくい点、最大の問題かとも思われます。(あずき色は強調のため、私がつけました。)
メムリhttp://www.memri.jp

Special Dispatch Series No 2043 Sep/10/2008


ハマスの残虐行為が私をキリスト教へ導いた―ウェストバンクのハマス指導者子息の告白−」


 ウェストバンクのハマス指導者シェイク・ハサン・ユーセフ(Sheikh Hassan Yousef)の息子ムサブ・ハサン・ユーセフ(Mus'ab Hassan Yousef)がアル・ハヤトTVのインタビューをうけ、2008年8月19日にこれが放送された。以下そのインタビュー内容である。MEMRI TVで画像を見る場合は、次の参照(http://www.memritv.org/clip/en/1839.htm)。  


占領を憎悪し、銃を持つイスラエル兵、入植者を憎んだ


 私の名前はムサブ・ハサン・ユーセフ。シェイク・ハサン・ユーセフの長男です。ラマッラに近いビルゼイト村で生まれました…。
 私の父は、ムスリムの同胞団の生え抜きで、若い頃からアッラーイスラムのために身を捧げ、同胞団のパレスチナ支部の開設、勧誘説教、ムスリム青年の加盟徴募に挺身した男です…。
 正直な話、私は占領を憎みました。銃を携帯するイスラエル兵、入植者を全員憎みました。石を投げ、あらゆる形態のインティファダ活動に参加しました。平和的活動とか暴力行為とか、人によって呼び方はまちまちでしょうが、いずれにせよ、私は大抵の活動形態に従事しました。投石からタイヤ燃やしを含め、子供がやることの大半をやったわけです。当時つまりあの6年間、私はほんの小さいガキでした。いつもモスクへお参りしてました。ラマダン月に初めて断食したのは、5歳の時でした。以来キリスト教に改宗する迄、私はラマダン月には目一杯断食したものです。
 私は父がハマス創設者のひとりであるとは知りませんでした。秘密だったのです。その組織については何も知りませんでした…。


私はラマッラ高校のイスラムブロック長だった


 私はハマスに参加しませんでした。しかし運動を心底愛していました。父を愛するが故にでしょうか。高校に入学し、高校時代は父の存在のため、イスラムコーランの知識のため、そして自分の性格のため、イスラムブロックのリーダーになりました。ラマッラ高校のイスラムブロック長でした。我々はライバル関係にあるファタハハマスの内部抗争にかかわりました。このライバル関係はハマス創設以来続いています。権力闘争、大衆支配をめぐる闘争です…。
 卒業試験が終る10日ほど前、私は(イスラエルの)特殊部隊に捕まりました。連中は散々殴りつけ、おかげで顎骨が折れました。連中はロシアンコンパウンドという拘置所で3ケ月間私を尋問しました。独房暮しです…。



刑務所内の権力闘争


 3ヶ月後、一般棟に移されました。各派すべてのパレスチナ人囚人が揃っているところです。刑務所はイスラエルが運用しているとはいえ、内部では囚人達が仕切っていました。パレスチナ各派が囚人の問題処理をやっているのです。所内ではハマスが多数派でした。しかし、インティファダが始まった頃は、ファタハが多数派でした。それも後になるとハマスが多数派を占め、所内特に囚人達を支配するようになりました。私が疑問を感じるようになったのは、その時です。
 子供の頃私は、ムスリムは全員父親のような人と信じきっていました。イスラムの価値観をベースに育てられたら、どのような人間になるでしようか。私の父親のようになります。父親は私の手本です。私は心の底から尊敬し、愛しています。
 しかし、刑務所の中で考えが変りました。驚きの連続でした。入所して3日後あたりから、欲望の支配に気付き始めました。囚人がほかの囚人の食物を盗む。特権階級がいて、ほかの囚人のできないことをやる。例えば棟内の行き来です。これは所内のイスラム運動指導者数名に限られていました。
 このようなことは何処でも起り得る。人が貪欲になることもあるでしょう。信仰心が弱まることもあろうし、むさぼるように食べる場合もあるでしょう。


ハマス囚人が囚人を拷問―刑務所内のミニ国家


 しかし、囚人がほかの囚人を尋問するようになれば、問題です。イスラエルの協力者と疑われた者を尋問するのです。これは実に深刻なことです。おかげで私の人生がすっかり変りました。私だけではない。多くの人の人生が変わってしまったのです。殴打、鞭打ちは当り前、つめの間に針を刺したり、熱湯状の溶解プラスチックを体にかけたり、何日も何週間も眠らせないで苦しめたり、残虐の限りをつくすのです…。
 ハマスが、もっと正確にいえば、刑務所内のハマス指導部が、この役割を果していたのです。彼等はハマスの保安機関を礼讃し、囚人仲間を拷問にかけていました。名前は言いたくありません。パレスチナの住民はこれに全然気付いていません。
 残念なことに、パレスチナの報道機関は、報道の自由がある筈ですが、刑務所の内幕に触れたことがありません。この人達が犠牲になっているのです。なかにはムショ暮し20年という人達もいるのですが、そのような人々を占領協力者と非難した揚句、尋問するのです。訳が判りません。その人達は、私やあなた方と同じように犠牲を払っているのです。私達と同じように人間なのです。その人達より自分が偉いと考え、その人達を見下すのみならず、拷問にかけ、殴打しつつ尋問するのです。そうです。残忍きわまりない拷問をやるのです。それも一晩中です…。
 私はまだ18歳で、自由を束縛され、占領者の刑務所で寝起きしていました。しかしそれでは足りなかったのです。彼等は刑務所内に刑務所をつくり、(イスラエル側の)拷問に加えて拷問をやるのです。丸々1年、毎夜拷問の連続で、一晩中悲鳴が聞えてきました。彼等は3人同時に拷問する時もありました。それも極めて残忍なやり方で拷問するのです。それが一晩中続くさまを考えて下さい。3年ほどで、16人をくだらぬ人々が殺されました。
 私は私の出身地ラマッラの住民に言いたい。もしこのテレビ番組を観ている人がいたら、たずねたい。ムハンマド・アブシャクラを殺したのは誰か。刑務所の外ではみなイスラエルが殺したと信じています。しかし実際にはハマスが殺ったのです。ハマスはこの犯罪行為の弁償として金を払いました。  私はパレスチナ人に呼びかける。ハマスが何をしているか、しっかり目をあけて見て欲しい。刑務所の中でミニ国家として機能し、刑務所のなかを支配している実態を知って欲しいのです…。


ムスリムにとってキリストを救い主として受け入れるのは針の穴に象を通すようなもの


ムスリム同胞団やアル・タフリル党などのイスラム集団或いはイスラムそのものから離れると、異端者として扱われます。そうなった人に憐愍の情を催して話かけようとする者がいるかも知れません。しかし、頑固で自分の立場を変えなければ、敵として扱われます…。


インタビュー記者 :あなたは、過激なイスラミストの環境のなかで、キリストをあなたの救い主として受入れましたね。


ムサブ・ハサン・ユーセフ:確かに私はキリストを私の救い主として受入れました。しかしムスリムにとってキリストを受入れることは、針の穴に象を通すようなものです。どういう意味か。つまり、メンタリティが、イスラムがキリストそして神そのものを理解する精神構造が、歪んでいるということです。 私はアメリカへ行き、パレスチナ情勢のニュースをしっかりフォローしています。特にガザ回廊の状況を見ています。無政府状態とかハマスがガザの武力解決を‘強要’されたといった話は別として、ガザで起きていることは、心が痛みます…暗殺が横行し、住民が高いビルから突き落され…、この組織と行動に対する世界の反応は弱い、とても弱いのです。

(引用終)