ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

うさこちゃん びじゅつかんへいく

...というわけで、7月27日には、大阪港にある天保山サントリーミュージアムへ行き、うさこちゃんことミッフィー展すなわち、ディック・ブルーナ氏によるモダンアート展示会を楽しみました。
ここ数日ブログを更新しなかったのは、その余韻に浸っていたからでもあります。何しろ、12時に会場に到着して、1時55分までたっぷり、モダンアートの説明展示とたくさんの絵本とペーパーバック本の大量のカバーデザインを見て、その他にもテレビのミッフィー連続番組を眺めたり、コーナーに座り込んで、石井桃子先生はじめ、さまざまな訳者の絵本を読み比べたりしていたので、受けたインパクトはそれなりに強烈だったのです。昼食後にも一時間ほど、ディック・ブルーナ氏に関する本を立ち読みしたりして、結局会場を出たのは3時35分でした。
子ども向けの楽しいうさこちゃんシリーズなのかと思っていたら、子ども達も含め、青年や大人も充分楽しく過ごせるような充実した展示会でした。オランダ人なのか、体格の立派な白人青年も数人で来ていました。きちんとした教育を受けたような、感じの良い人達でした。さすがは、サントリー
ミッフィー」か「うさこちゃん」か、の分類は、講談社福音館書店かの問題でもあるようです。『ミッフィーのたのしいびじゅつかん』(2005年)という訳書もあるのに、わざわざ今回は『うさこちゃん びじゅつかんへいく』(2008年)の訳文を採用したことからもうかがえます。それはともかく、訳された年代と訳者に注目してみると、訳し方が微妙に異なっているので、翻訳者も相当の力量を備えた方々だろうなあ、と思いました。ある訳者は、テントが出てくる絵本に関して、日本では見かけないテントだったので、ずいぶん手間暇かけて調べたり用語を吟味されたりしたそうです。また、訳語の変遷や句読法の表示などを考えたりしているうちに、(これは、調べようによっては、立派な夏休みレポートになりそうだ!)と一人でわくわくしてきました。もっとも、本当にやろうとしたら、児童心理学とデザインの専門知識が必要なのでしょうが。
訳語について言い添えますと、石井桃子先生が、いかに苦心して特徴を出すべく、言葉を選び抜き練り上げていらしたかを改めて感じます。ナインチェを最初に翻訳したのが実は日本だったらしい点にも、その眼力の程が表明されていると言えるでしょう。
ぶたのポピーさんも、今では簡単に「ポピー」と済ませてしまいがちですが、「うたこさん」と訳し出したところに、ユーモアが感じられます。もっとも、時代背景から、カタカナ語がなじみにくかったという事情もあずかっているとは思いますが。でも、ポピーさんのいとこの「グランティ」は、「ふがこちゃん」なのです。他にも、「ぽよぽよ」「ぷわぷわ」など、楽しげな感覚語が採用されています。

結局、今回の展示で感じたことは、ブルーナ氏にとって、「ミッフィー」は当初に期待した以上の一つのヒット商品としての呼び物であって、本来は「ナインチェ」すなわち「うさこちゃん」が出発点であり中心モチーフだったのではないかということです。つまり、世界中の子ども達が喜んでくれるので、テレビ放映やキャラクターグッズとしての広がりを許容しているのであって、実は絵本作家という以上に、やはりグラフィックデザイナーとしての意識と思想が根底に根強いのではないかと思われました。私は、音楽は好きですが、美術の方はどうもよくわからないことが多く、これらはあくまで素人としての感想に過ぎませんが。
それと、絵本の中の「うさこちゃん」は、零歳から4歳までの擬人化された子うさぎとして登場していますが、テレビのお話では、学校にも通っている以上、どう見ても5,6歳のようですし、誕生してからもう50年以上もたっているので、顔立ちや体形にもどこかちょっとした変化が見られます。機械的な一貫性という硬直化したものではなく、創作上の柔軟性の表れが感じられ、ほほえましくさえあります。
以前にも書いたように(2008年1月5日付「ユーリの部屋」)、私にとっては、うさこちゃんは小さな子ども向けのようでいて、実は大人へのメッセージではないかと思います。実際、小学校低学年の時には、石井桃子訳の「うさこちゃん」が図書館に並べてあったのを知っていましたが、お話がすぐに終わるので直に飽きてしまい、小さい子向けのかわいい絵本程度にしか思えませんでした。ところが、結構な年齢に達した今の方が、かえって夢中になれるのです。暇だからなのか?まあ、それもありますけれども、多分、シンプルな図柄とはっきりした色遣いが発するメッセージとその背景を、無意識のうちに読み取ろうとするからなのだと思います。ですから、決して幼児化への退行現象という単純なものではなく、このような愛らしくも主張のはっきりとしたデザインとお話を作り続けるブルーナ氏の思想的背景や時代性へおのずと誘われるところに、おもしろさを感じているのではないかと自己分析しています。

例えば、メラニーという茶色の子うさぎ。絵本でもデザインでも、比較的後期になってから、ミッフィーの友達の一人として登場しています。これは恐らくオランダへの移民の子で、多文化主義や寛容の精神を反映しているのではないか、だからメラニーインドネシア系オランダ人の子どもではないか、と勝手に想像していたのですが、会場での説明によれば、実は「文通友達」なのだそうです。

主眼としては、モダンアートを理解してもらうための展示なので、児島虎次郎やシャガールモビールを発明した北代省三、光に気づいた印象派の太田喜二郎、小林和作など、さまざまな作品も順序よく並べてあり非常に勉強になりました。こういう美術的背景を知った上で初めてディック・ブルーナ氏の仕事の意味がよりよくわかるように思えるからです。単に眺めて楽しむというだけではなく...。

さて、1927年8月23日にオランダのユトレヒトで生まれたディック・ブルーナ氏は、本名をHendrick Magdalenus Brunaといい、作品上ではディックという愛称をそのまま使用されているようです。ご生家は、曾祖父の代から出版業を営むA.W.Bruna&Zoonで、お祖父様の代までは神学書を主に扱う会社だったそうです。お父様の代になって、時代に合わせてペーパーバックなど一般書も扱うようになり、ブラック・ベアのロゴで代表されるような一連の人気シリーズものも手がけ、今やオランダ随一の大出版社だとか。裕福で文化的な環境で育ち、ご長男だったので、当然ディック・ブルーナ氏は出版社を引き継ぐよう期待されていたそうですが、画家になりたくて出版社経営には向いていないと若い頃から感じていたとの由。戦時中は、ナチスの迫害を逃れるために、隠れ家生活に入ったとのことですが、その間に画家の本を読んだり絵を描いたりして過ごされたとか。
結局、高校を中退して、出版業の修業のためロンドンやパリに2年間出された間に、ついに出版に向いていないと悟り、その代わりに美術館に通って絵を学んだのだそうです。特に、マティスピカソゴッホレンブラントに惹かれたようです。直接的には、マティスの原色のみを使ったシンプルさから影響を受け、切り絵の手法に学んだといいます。
ブルーナ・カラーと呼ばれるオリジナルの6色は、基本が赤、青、黄、緑、黒、白からできていて、それに茶、後に灰色が加わった模様です。ただし、単純に「赤」といっても温かみの感じられるオレンジ系の赤であって、ここに落ち着くまで、相当のたゆまぬ研究と膨大な試行錯誤があったのではないかと思われます。何しろ、これがモダンアートなのですから。赤は喜びや強さを、青は静けさや寂しさを、緑は若さや生命力を表現していると言われれば、ひとつひとつのデザインや絵本の見方も、(なぜここでこの色が使われているのか)というように変わってきます。
200年ほど前の西洋では、見えるものを描くという今なら当たり前と思われる作業が通常ではなく、目に見えない神、悪魔、昔の出来事、お話の世界をもっともらしく描くことが絵画であったのだそうです。150年前から、自分達の周囲の人々、出来事、社会を描くことが大切になってきたようです。20世紀初めになって、画家の心の表現を絵画が示すようになったそうです。従って、モダンアートとは、「目に見えるものを描く」ことから始まったという解説でした。
色とデッサン(線)を切り離すレジェの方法からも影響を受け、マン・レイの写真からも表現の可能性を広げたとのこと。フォルムと色のどちらも大事であるといい、描き過ぎてはいけない、複雑にし過ぎてはいけない、あくまでシンプルに、見る人のイマジネーションを働かせなければならない、というのが信条のようです。動きや感情を抽象的でシンプルな色と形を通してどのように表すのか、を主要なテーマとして、自分だけの特別な描き方を創出することが非常に重要なのだそうです。ことばで表現すると簡単そうですけれども、実は非常に難しいことをなさっているんだなあと改めて思いました。
確かに、うさこちゃんないしはミッフィーにしても、(これなら私にも描ける)と思ってしまいますが、できあがったものを模倣することならできても、何もなかった、誰もしなかったところから立ち上げて、世界中の多くの人々に直接訴えかけるというデザインは、高度な技術でしょう。実際に、自分でミッフィーを描いてみると、目の位置一つで感情も性格もまるで違って見えますから。100枚以上のスケッチと下絵をすると知ったのは2006年4月の梅田大丸での展示会でしたが、考えてみればものすごい仕事量です。
2000冊以上ものペーパーバックの表紙デザインと100冊ほどの絵本と、福祉団体などからの依頼ポスター各種、日本のふみの日の切手シリーズなど、お父様の出版社でデザイナーとして仕事された時代からメルシス社設立を経由して現在に至るまで、本当によい仕事をなさってきたんだなあと感嘆の思いです。メグレ警部や聖者シリーズなど、本そのものは読んだことがなく、今では懐古調であっても、確かに見覚えがある表紙ですから、すごいインパクトですよね。特に、聖者シリーズの著者は、シンガポール生まれだったのだそうです。それは今回、初めて知りました。
それから、さすがはというのか、やはりとも言うべきか、ノアの方舟やクリスマスをテーマにした絵本も作られていました。ノアの方舟は、現代風アレンジで、みみずのような小動物ケムエルの目を通したお話になっています。決して調子が崩れないところがディック・ブルーナ氏の特徴です。だからこそ、安心して子どもに与えることのできる絵本なのだろうと思います。

オランダといえば、専門からはつい、インドネシアが強く抵抗した元植民地支配者とか、戦時中の反日感情とか、江戸時代の蘭学や長崎の出島などが思い浮かびますが、実直で勤勉で清潔な暮らしを大切にするあの小さな低地国の人々が、これまで商業活動中心に生き延びてきて、ついにはこのような世界的なグラフィック・デザイナーを生みだしたことを考えると、その経緯がとても興味深く思われます。また、社会活動としても、動物愛護のポスターや医療のポスターとステッカー、人権啓蒙ポスター(子ども強制労働、未就学児童、飢餓など)、オランダ到着直後の移民の子どもにトイレットを教えるステッカーなど、作品完成の年を見ると、オランダの時代状況を映し出しているかのようです。
楽しげで愛らしくユーモアたっぷりのかわいい表情の主人公からは、格別に恵まれ大変幸せな環境で育ったディック・ブルーナ氏がそのまま表出されているようにも思えますが、現在のヨーロッパの抱える複雑な諸問題を考えるならば、だからこその作品であるとも言えます。とにかく、ハッピィ・エンディングでなければならない、というのがポリシーだそうですから。

これまで三回も来日してくださったオランダの誇るディック・ブルーナ氏のことをもっと知りたくなり、日本語版やインターネット情報だけでは物足りなくて、英語版の本を一冊注文することに決めました。552ページもあるそうです。楽しみです!