ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『異端者と呼ばれている私』(1)

しばらく自分に与えた休暇中ということもあり、日課を休んで、昨日から今日にかけて、ある本に没頭して過ごしました。

その本とは、昨日届いた『異端者と呼ばれている私』(別訳『今や彼らは私を不信心者と呼ぶ:なぜ私はアメリカやイスラエルテロとの戦い向けのジハードを放棄したか』)です。2008年4月15日付「ユーリの部屋」で、イスラーム棄教の背景分析(と呼べるかどうか?)に関する論文紹介の中で言及したものです(Nonie Darwish "Now they call me infidel: Why I renounced Jihad for America, Israel, and the war on terror" Sentinel 2006/2007)。

正直なところ、英語そのものは非常に読みやすいのですが、一般向けとはいえ、258ページいっぱいに綴られた内容はあまりにも重く、大変疲れる読書です。疲れる割には、つい次々とページを読み進んでしまえるところが、この本が持つ一種の説得力を証明しているのかもしれません。

もっぱら自己の経験に基づく話が記されているため、いささか一方的な主張だとのそしりを免れない点がないわけではありませんが、もしも、著者の経験や見解を裏付けできるか、客観的に証明できるような、他の文献やテレビや新聞記事のタイトルなどが引用されていれば、もっと公平感を与えるものとなっていたでしょう。ただ、マレーシア滞在計4年間プラス調査目的でのマレーシア訪問や勉強の14年間に加え、各種文献や聞き取りから得た知見や、外国人ムスリムおよび日本人ムスリムによる日本での講演や大学での各種会合などの経験を踏まえると、非ムスリムとしてざっと読んだ限りにおいては、この本には、まったくの偽りや偏見が書かれているとも断定できないように思います。綴られたエピソードのところどころに、そうそう、と思い当たる節があるからです。

アメリカに対してちょっとナイーブ過ぎるほど「自由と希望と平等の国」だと持ち上げているのは(p.89, 115-131, 195)、もう出身国へ戻らないと決めた移住者だからこその心理ないしは条件であることも加味する必要があるかもしれません。また、イスラームから福音派キリスト教に改宗したことや保守的な共和党を支持している点も、この書の背景としては、極めて重要な要因だろうと思います。特に、現在は60歳という著者の世代を考慮する必要があるでしょう。

私は当初、この本には「なぜキリスト教に引かれたか」という証のようなものが、聖書引用と共に綴られているのかと想像していましたが、全体として、彼女のエジプト(ガザとカイロ)での特権階級としての生い立ち(父親(Mustafa Hafez大佐)が故ナセル大統領当時のエジプト軍上級情報将校で(p.3)、イスラエル撲滅のための任務に当たっていた1956年7月11日、35歳でイスラエル軍に暗殺された(pp.12-13)。エジプトでは「殉教者」として奉られ(p.13, 18など)、学校や道路に名が残っている(p.45))と、1978年に30歳で移住したアメリカでの暮らしぶりと内的葛藤および母国批判が、主に社会政治的側面に重きを置いて書かれています。硬派といえば硬派の部類に属する読み物かもしれません。多少記述に重複する繰り返しがあるところが、アラブ系の特徴なのでしょうか。

従って、「どうしてイスラームを棄ててキリスト教に改宗したのか」についての具体的な記述はほとんどありません。信仰的な、ましてや神学的な論考らしきものも出てきません。どちらかと言えば、単純に素人的な‘比較文化’をして、「ユダヤキリスト教文化」に基づく西欧社会(p.78)、特にアメリカ社会を無邪気に賛美する傾向が過ぎるように思われます。ユダヤ教はともかくとして、(そんなにアメリカのキリスト教やクリスチャンって立派な人が多かったっけ?)と思わず笑みがこぼれそうになるほどの書き方でもあります(pp.158-159)。アメリカのカトリック聖職者の少年への性的虐待の事件や、福音派メガ・チャーチ系列の牧師の派手なスキャンダルは、まだ記憶に新しいところです。主流派リベラル系教会の教勢低下もしばしば指摘されています。確かに、こういう本を今のアメリカで出せば、賛否両論合わせて、世間的には注目度が高いでしょう。共和党や保守的なクリスチャンは、さぞかし喜ぶでしょうね。

一方で、エジプトの恥と名誉を重んずる文化や女性の権利を抑圧する多重婚制を許すアラブ・イスラーム文化への批判は、あまりにも率直だと驚く一方、同時に、私の親の世代までの日本社会にも、どこか似ているところがあるのではないかと感じました(pp.61-92)。人々の嫉妬を恐れる心理や本音では決して信頼できない人間関係に関しては、『源氏物語』の世界とも重なる記述があちらこちらに散見されます。従って、イスラームだから、アラブだから、というよりも、中には非西洋圏の文化風習という側面も含まれているのではないかと思います。

ただ、この著者は、生まれつきの率直でまっすぐな性格(p.156, 169)、利発で質問をよくする知性の持ち主だったからこそ(p.62)、このような戦時下のどろどろしたエジプト社会にはもはや属せないと感じて(p.60)、先進的に映ったアメリカへの移住を希望されたのではないかと思うのです(p.119)。ご参考までに、この方のお姉さんはパリ在住とのことです(p.170)。また、お母様の方針から、上流階級が通う英国系のカトリック私立学校で教育を受けたこと(pp.18-19, p.35)、カイロのアメリカン大学(プロテスタントの宣教師達が始めた大学)で開明的な雰囲気に親しんだことも影響していると思います(pp.47-48, 51)。それゆえ、彼女の経験は、一般のエジプト人とはかなり隔たりのあるものだということは承知しておかなければならないでしょう(pp.93-94, 106)。だからこそ、かえってこのような「内部告発」ができたのかもしれません。

アメリカに移住して身分を確保した上でのアラブ・ムスリム社会の痛烈な批判である以上(pp.130-131)、著者に向けられた身の危険の可能性は、ご本人が一番よく承知されていることでしょう(p.x, 211)。アイビーリーグも含めたいろいろな大学で講演をされているそうですが(pp.vii-viii, 222-241)、ボディーガードがつくぐらいですから。ある面、非常に勇気ある女性だと思いました。エジプトに在住の姉妹や弟やその家族やいとこなど、部族社会の慣習の残るアラブ文化で、よくこここまで、とびっくりさせられます。

前から不思議に思っていたことで納得させられた記述には、「自分の非を謝らないムスリム文化」という点が挙げられます(p.50, 91, 119)。また、「イスラームを守るためなら、嘘をついてもよい」という考え方があるとのこと(p.152)。これらは、マレーシアにおいても、残念ながら、しばしば直面させられたことでした。表面的には親しみやすいのですが、一歩踏み込むと、自分達こそが優越しているかのように振舞われること、いつも問題は他者にあるかのように語られること、たとえ約束を守らなくても「ごめんなさい」という言葉を、教えていたマレー人学生以外からはあまり聞いたことがないこと、会うたびに、または会話の途中で、話がころころと変わり、辻褄が合わないことがよくあること、などに相当するかと思われます。異文化を真摯に理解する目的でまじめに付き合おうとすれば、正直なところ、大変イライラさせられるものです。あたかも自分がなくなっていくような感覚さえ、しばしば経験しました。余談ですが、以前、日本のある大学の講演会で「原罪観念のないイスラーム」について話すという前宣伝を聞いたことがありますが、実際、講演当日になって、その議論はどういうわけかとりやめになりました。

ですから、著者自身、You Tube上のテレビのインタビューでも語っているように、「ムスリムからクリスチャンへの転向は、非常に時間がかかり、たやすくはなかった」という過程は、私の場合、逆の立場で考えますから、いかに大変だったかは、想像できなくもありません。

一点だけびっくりさせられたことがあります。著者の最初の結婚相手は、家族総出でアメリカに移住したコプト教徒のエジプト人男性で(p.98, 106-107)、到着後数日で、ロサンジェルスのモスクでイスラーム改宗したのだそうです(pp.113-114)。それは宗教的な理由ではなく、彼女と彼女の家族のため、また、エジプトに戻った時の安全を確保するためだったとのこと。二人の子どもを授かったものの、どうしてもうまくいかなくなり、1987年に離婚(p.157)。その後、1991年に再婚。二人目の夫は、非常にリベラルな背景を持ち、特に宗教的でもなく(p.160)、大学共同体内で卓越した家系の出身だとの由(p.157-158)。そして、二人の間に、かなり歳の離れた子どもが一人生まれたそうです(p.163)。
キリスト教への素朴なあこがれを持っていた割には(p.80)、アメリカに移住したコプト教徒の配偶者がイスラーム改宗したなんて、いささか軽率のようにも思えますし、それが負担となり、亀裂をもたらす結果になろうとは、誰も予測しなかったのでしょうか。あるいは、移民第一世代に特有の、二つの文化を同時に生きることの困難さと不安定さがもたらした結果でもあるのかと思いました。

ともかく、異なる視点から文句をつけようと思えばつけられなくもない内容ですが、読み物として興味深いことは確かです。書かれたことがそのままエジプトやアラブ・イスラーム世界の事実だとストレートにとらえず、中上層階級のエジプト出身の元ムスリマの置かれた環境から察するに(p.66)、そういう見方もあるんだなと一呼吸してから読むならば、結構考えさせられるところもあります。彼女自身、9.11事件発生のまさに直前、家族一同で一か月のエジプト滞在を経験し(pp.170-188)、アメリカ憎悪とイスラエル非難が格段に広まっている空気を直接見聞したため、自分の使命として、ムスリム世界の内部事情を語ることにしたのだそうです。特に、母親を除いて、エジプトに残っている家族親族や知人などの、恐ろしいまでのアメリカ・イスラエル誤認や「そんなこと言って、あなた、ムスリムじゃないの?」という詰問の繰り返しやダンマリを決め込む態度を見て(pp.191-193)、ますます何かをしなければと考えたようです(pp.194-195, 201, 214-215)。

もう一つ重要な点は、アメリカに移住したムスリム共同体が、ホスト国であるアメリカ社会への同化を考えていないという記述です。また、アメリカのモスクでは、母国でと同様の、過激なメッセージが語られているとのこと(pp.138-141, 144, 148, 150)。さらに、英語で非ムスリムに向けて語るイスラームと、アラビア語ムスリム共同体に対して語るイスラームとでは、メッセージがかなり異なることなども指摘されていました(p.244)。これについては、本当かどうか、しっかりした研究調査によって検証すべき問題であろうと思います。

現在、マレーシアでも「ムスリムにもいろいろな考え方がある」と聞かれます。確かにその通りなのでしょうが、だからこそ、彼女のような考え方も排除せずに含めなければ、本当の「いろいろな考え方」の証明にはならないのではないかと思われます。しかし、現実にはそうなっていないところに、ムスリム社会の持つ矛盾が露呈されているようにも感じます。

(追記)2008年5月5日に、ページ数などの加筆修正を施しました。