ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

余白の残し方 余白の受けとめ方

昨日は、思いがけず、某所から電話インタビュー(?)を受け、半日、一人で興奮状態でした。その詳細はいずれ明らかになることとして、ポイントは、忙しい現代社会において、「いかに余白を残すか」「余白をどう受けとめるか」ということに尽きるかと思います。余白から何が生まれるか、あるいは、生まれないか。それも未知数だからこそ、よいのです。

結論として、「じゃあ、ユーリさんとしては、どうされますか」と問われ、「自分の言動には裏表がないように普段から心がけ、自分が公に発するメッセージには責任を持つことだろうと思います」と、教科書みたいなセリフで終わってしまったのですが、突然のお電話でもありましたし、ある面、某所の性質からも、やむを得なかったですね。
「そのためには、どうしたらいいでしょう?やはり教育ですか」とも聞かれたのですが、「教育制度の影響もあるでしょうが、小さい頃からどういう体験を積み重ねてきたかにもよるのではないでしょうか」と評論家みたいなことを口走ったところ、「小さい頃ねえ」とつぶやかれました。

話は飛躍するようですが、昨日の午前中、FMラジオを聴いていたら、ペルシャやアラビアのモティーフから作曲された美しいクラシック音楽が流れてきました。初めて聴いたもので、曲名は失念しましたが、(これだ!)と思うのですね。私の研究分野の関連で言えば、例えば、「西洋社会」VS「イスラーム世界」と学会でもジャーナリズムでも論じられがちですが、実はその枠組みは、決して固定化されたものではあり得ないということです。昨日の音楽に限らず、シューマンがアラビアの物語にヒントを得て作曲した子ども向けのピアノ曲がありますが、小学校の頃、私もピアノを練習しながら、その楽譜の説明を読んで納得していました。音楽だけではありませんが、ささやかながらも、そのような経験をいろいろと持っていれば、大人になっても、情報に振り回されない心得がある程度はできるのではないか、と思うのです。それが、私のいう「余白」です。

なぜ、すべての情報が網羅されているわけでもない電子文字を見て即断/速断するような人が、法的にも社会的にも高度な自由が保障され、知の先端に属しているはずの大学研究者にも、一部出現するのか。私見では、それは学歴の高低にかかわらず、心の耕し方の問題ではないか、と考えます。それと、心身共に柔軟で成長期にある中高生の頃から、「次の4つの中から、正しいものを1つ選べ」なんて問題ばかり解いて、受験競争に打ち勝ってきた人達ならば、発想が固定化し、評価を恐れ、多様性の現実に対してどこか身構えてしまうのも、むべなるかな、です。

そして、なぜ私が、ずっと興奮状態だったのか。やはり人間性の根源に関わる問題に、自分が触れていると感じたからです。こういうテーマには、どうしても熱くなってしまうのですね。

ところで、2008年2月4日付『朝日新聞』朝刊には、松谷みよ子氏の『自伝 じょうちゃん』記事が大きく掲載されていました。

2008年1月5日付「ユーリの部屋」でも言及しましたが、子どもの頃、松谷みよ子氏の『ちいさいモモちゃん』シリーズを愛読していた時期があります。妹が、末っ子の弟に読み聞かせた想定で読書感想文を書き、出版社経由で松谷みよ子氏宛に送ったところ、まもなく、妹宛に温かく丁重なお手紙が来ました。よい仕事をされる作家は、こういう点が違うのだと、子ども心にも感銘を受けたものです。
最近のことはすぐに忘れても、子ども時代に何を食べたかどこへ行ったかなど、鮮明に覚えているものですが、童話作家はそのことを留意され、子ども達からの一枚一枚の感想文に、きちんとお返事を書かれているのでしょうね。
1926年(大正15年)生まれの松谷みよ子氏も、81歳。『お月さんももいろ』については、読書感想文の宿題のせいで、いかにも親の手が入ったとわかるような委縮した文章しか残っていませんが、一人で自由気ままに読んでいた時間を思い出すと、よいお話を書いてくださって、と感謝したくなります。
ちいさいモモちゃん』シリーズの特異な点は、小さい子を預けて働くお母さんの話や、離婚や魔物に襲われる話や反戦思想などが、甘いオブラートに包まずに率直に描かれていたことです。しばらく前に、『本当は怖いグリム童話』などのどんでん返し風の暴露本めいたものが流行りましたが、日本の児童文学にも同じような傾向がある、と知っていましたので、その手には乗りませんでした。子ども時代にどんな本を読んだかというのは、どんな音楽を聴いたかと同様、その後の人生をかなり左右するものです。
記事によれば、お父様が社会派弁護士で、末っ子のみよ子氏は、「子供が読むなんて考えたこともなく、書きたいものを書いていた」そうです。坪田譲治氏の『びわ実学』に参加し、坪田氏の「作品のかたちは何でもいい。ただ人生をお書きなさい」という勧めに従ったそうです。
それにしても、新聞記事のお写真を拝見して、妹がお返事をいただいた頃とちっともお変わりないお姿にびっくりしました。少しでもこんな風になれたらいいのですが。

さて今日は、中国正月です。昨日のうちに、早速メールで何人かのお世話になった中国系のマレーシア人に宛てて、お祝いのメッセージをお送りしました。まもなく数人からお返事が届き、それぞれの人生経路を歩もうとされている由、近況を知りました。
うち一人は、お母様を亡くされたばかりでしたので、「ここ日本では、家族の一員を亡くした時、その翌年の新年祝いは送らないし受けもしない習慣があります。マレーシア華人の間ではどうされているのかわかりませんが、もしそれに従わないことが失礼ならば、無知をお許しください」と断り書きを添えた上で、ご挨拶をしたら、「確かにその通りだ。華人は一般に、死者への敬意から、遺族は中国正月をお祝いしない。けれど、うちはキリスト教だから、そういう古い習慣には従わなくなっているんだ。福建語では、‘pang-tang’と呼ぶが、タブーについては、英国人でも、黒猫や13日の金曜日などあるよね。ところで、日本人クリスチャンは、それらのタブーから解放されているのかい?」とお返事が届きました。なるほど、異文化交流では、常に新鮮な視点を与えられますね。私の経験した範囲内では、日本人クリスチャンは、年末に喪中葉書を送って、新年欠礼をお詫びしています。または、寒中見舞い葉書です。そういうご連絡を何度もいただきました。つまり、タブーというよりは、長年の社会慣習に従っているといえそうです。
ところで、別の一人からは、なんと「今年は私にとっての分水嶺になりそうなんだ。野党から出馬する予定になっている」と書いてあり、こちらがびっくりしました。2006年11月にマレーシアで会った時には、「自分はアポリティカルな人間なんだ。アポリティカルとはね…」と、こちらが頼みもしていないのに、わざわざ自分で定義まで披露した人だったのに、です。「え!あの時の言葉、まだ覚えているのに。どうして心変わりしたんですか?野党ってどの政党のことなんですか?」と尋ねましたが、さすがにそれは企業秘密のようです。
それにしても、変わり身が早いですね。これは、彼に限りません。だいたい、人生をその場その場でフルに生きているタイプの人は、突然、結婚したり、突然、転職したり、突然、他国に移住したり、突然、人生設計を変更したりするのです。あ、これは私の知るマレーシア人に限りますけれども。