ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

たのしいクリスマスの私的小話

昨日は、クリスマスカードのお返事書きで過ごした他、マレーシアから届いたカトリック新聞『ヘラルド』や『カトリック・アジア・ニュース』を読んだり、神戸バイブルハウスや関西クリスチャン・アカデミーや後藤文雄神父さまのカンボジア支援活動AMATAK(参照:2007年11月5日・12月11日付「ユーリの部屋」)のお知らせに目を通したりしました。
ヘラルド』については、昨年の今頃と同様、次年度の発行許可がマレー当局からまだ下りていないために、編集長のアンドリュー司祭がやきもきされているようです(参照:2007年12月20日・12月25日付「ユーリの部屋」)。
この新聞、マレーシアの教会内で販売する価格は安いのですが、外国向けには送料以上に高く売っているようで、私も数か月前に前倒しで購読料を請求されました。ドルでチェックを送ったところ、リンギットに換算して余ったお金は、こちらが何も言っていないのに、いつの間にか「献金」枠に当てられていました。これもいわゆる「途上国」の生き残り術でもありますね。世の中は、結局のところ、持ちつ持たれつですから、あまりケチケチしないことでしょう。
それにしても、なんというのか、もっと安定して新聞発行が継続できないものでしょうか。「ムスリムキリスト教の影響から守るため」とはいえ、いつまでもそんなことをしていたら、相互の共同体が離反するどころか、ムスリムウンマ内だけで孤立して生きることになってしまわないでしょうか。
カトリック・アジア・ニュース』で笑ってしまったのは、レギュラー執筆者の一人である私の友人が(参照:2008年7月3日付「ユーリの部屋」)、またもや「リベラル過ぎる考え」をカトリックの読者から連名で非難されたことを受け、釈明応答していたことです。こちらは、まだかわいい感じですが。昔の日本を見ているようで....。
あしながおじさまからは、私の本棚に欠けていた本のシリーズを送ってあげよう、とのお申し出をいただきました。塚本虎二と三谷隆正のお二人です。もちろん、いずれは図書館から借りて読むつもりでおりましたが、こうして手元に置かせていただけるならば、ありがたい限りです。
そして、ヴォーリズ記念館へファックスを送り、『失敗者の自叙伝』を一冊注文しました(参照:2008年8月12日付「ユーリの部屋」)。もうすぐ届くことでしょう。楽しみです。
唯一の問題は、ただでさえ狭い我が家がだんだん本や資料でいっぱいになり、近い将来、部屋を歩くのに不自由するのではないか、という心配です。年末辺りに、また片づけることになるのでしょうが、本というものはなかなか捨てがたく、選別が困難です。特に、いただいた本は捨てない主義なので、自分で買った本を処分していくことになります。
さて、教文館メールマガジンから、興味深いと思った二冊をご紹介しましょう。

教文館メールマガジン・・・・・・・2008年12月18日 VOL.112


◆『覆刻『志無也久世無志與』』ネイサン・ブラウン/訳 新教出版社
 【菊判/1244頁/定価16,800円】 ISBN978-4-400-10680-7
           
 全世界で数部しか残存していない稀覯書の待望覆刻!『志無也久世無志與』は、日本語訳として初めての、新約聖書全巻の翻訳(明治13年、1870年)である。聖書和訳史上、また日本語研究上も、貴重な資料。タイトルは万葉仮名で「しんやくぜんしょ」と読む。アメリカ・バプテスト教会宣教師N・ブラウンがギリシア語原典から、大衆に分りやすい聖書となることを心がけ、俗語を交えた平明な文語体・平仮名書きで訳した。ブラウンおよび『志無也久世無志與』の歴史的意義については、研究の第一人者である川島第二郎氏が詳細な解説を執執筆(ママ:ユーリ注)、別冊として付す。


◆『遠くて近い道−聖書と人生−』小野 経男/著 新教出版社
 【四六判/252頁/定価1,995円】 ISBN978-4-400-51995-9
    
 心にしみる30の聖書講話。信仰を通して人生を複合的次元において見ることを学んだ著者が、聖書に含まれる圧倒的な知恵をできるだけ多くの人々と分かち合いたいと願って綴った。梶原 寿氏(元名古屋学院大学学長)推薦。

後者の小野経男先生は、指導教官ではありませんでしたが、名古屋大学大学院で生成文法などの講義でお世話になった英語の先生です。MITに留学されていたそうで、授業では、その話が何度も出てきたのですが、当時の私は、(自分には縁のないところ)と思って聞き流していました。ところが、人生とは全くわからないもので、結局のところ、MITに留学した夫と結婚することになったのです!
また、小野先生が教会に連なっていらっしゃる方だとは、院生時代、まったく知りませんでしたが、卒業後、何年もたってからいただいたお年賀状には、娘さんが教会でオルガン奏楽を担当されている由、書かれてありました。なぜ、突然のお年賀状になったのかと言えば、マレーシアから帰国後に受験した英検一級の二次試験の試験官が小野先生だったからです。しかも私は、トップバッターでスピーチをする順番に当たり、もう顔が上げられませんでした。(これは落ちるなあ)とうつむいていたところ、試験終了後に、先生の方から「お元気ですか」とお声をかけていただきました。「はい、元気ですが...試験結果は、もういいです」と足早に立ち去ろうとしたところ、先生がにこやかに、もう一人の外国人試験官に向かって、“She is my student.”と言われました。(先生、‘is'じゃなくて‘was’です!)と思っていたら、その外国人の先生も大変にこやかに、「おう、それはそれは...」と英語で応じられました。
結果は合格だったので、ほっとしましたが、一般向けの試験で、母校の先生に試験されるのは、もうコリゴリだと思いました。帰り道、同じ部屋で受験した通訳を目指しているという主婦の方が、「でも、あの先生達、相当の方達でしたよ。だって、受験生のスピーチ内容を聴きとって、幅広く時事的な観点から具体的に問いかけ直されていたでしょう?」と言っていたのを思い出します。
それにしても、小野先生が、このようなご本を出されるとは、院生時代のイメージが一変しました。人生は、だから楽しい!?