ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前田護郎主筆『聖書愛読』(7)

昨日は、ほぼ一日中、資料整理にかこつけて、本棚の整理に明け暮れてしまいました。こんなことをしている場合じゃないのにって...。つくづく、前田先生のご著書から抜き書きを作っておいてよかったと思います。自分で言うのもなんですが、ブログにアナをあけないためにも、助かります。では、どうぞ。

・第121号 1974年(昭和49年)1月「書斎だより」(p.8)
朝5時半のNHKヒルティについての自分の声を聞く。10時から小諸の勤労者福祉センターで“救世主の実在”と題して話した。来月の学会発表の予告編でもある。十字架なしの空論に振り回される神学界は困りものであるが、平信徒の間に健全な福音が浸透するのはよろこばしい。(9月2日, 日曜).

・第124号 1974年(昭和49年)4月「書斎だより」(p.7-8)
夜はオランダのクイスベル教授をわが家に迎えた。(中略)これからもたびたび欧文で論文を出しなさい等々の意見を出された。言語について1948年に出版した著書はフランス語圏の友人へのお別れに書いたのであるから、早い遅いは問題ではない。今は時間も力も足りないが、書くべきテーマに事欠かないのは感謝である。(11月25日,日曜).

・第125号 1974年(昭和49年)5月「書斎だより」(p.7)
東大聖書研究会のクリスマス講演会にのぞむ。(中略)聖書の学問的研究によって明らかにされることを信仰的に受けとめるよろこびにも触れつつ、自分の救いのためのクリスマスの意味を強調した。会後ある年配の人が挨拶に来られて、牧師への御訓戒として今日のお話を承りました、といわれた。予期しなかった反響である。今年も安田講堂のすぐ近くで無事講演会が行われたことの感謝はつきない(12月15日).

・第126号 1974年(昭和49年)6月「安息の祝福」(p.1)
20年をこえる経験から見ますと、日曜の集りに出て聖書を学ぶことを中心に毎日の生活を整える人に祝福があり、自らの都合でそれをやめる人は不幸な状態におちいりがちです。

・第127号 1974年(昭和49年)7月「旅立つにあたって」(p.1)
学会の新しい成果に触れ、それを持ち帰って若い学徒とともに学ぶようにしてきました。機会をとらえては向うの人々に日本やアジアの事情を説明するようにも努めています。(中略)平信徒として地味に真理を求めて、それをわかりやすくお分けできればと思っています。(7月16日朝)

・第129号 1974年(昭和49年)9月「書斎だより」(p.8)
日本基督教協議会の臨時総会に招かれ、信仰秩序のことその他について種々発言し、研究部の必要性を力説した。教会の行きづまりを傍観したくはないが、組織に依存する習慣との応対はむずかしい(4月19日).

・第130号 1974年(昭和49年)10月「書斎だより」(p.12)
自分の勉強もおもしろいが、若い学徒のことも考えざるをえない。利己的な学問は長つづきしないことをたくさんの例が教えてくれる(4月22日).

・第131号 1974年(昭和49年)11月
「永遠への目ざめー南原繁先生の追憶―」(p.5-7)
教養学部報第207号(昭和49年7月1日発行)所蔵)
昭和26年の4月に「教養学部報」が創刊されたとき、時の総長であった南原先生は「新しい大学生活」という一文を寄稿して、「学問と文化が余りに専門化し、技術化し、ついに人類と国民との生活目標を見失った」という現代の病弊を指摘しつつ、自然・人文・社会の諸分野にわたる一般教養の重要性を論じ、包括的な立場から「諸々の価値や理念を把握すること」をすすめ、それは「究極において、われわれが一個の人間として人生と世界に対する態度―随って道徳と宗教にまで連なる問題である」といっておられる。(中略)他方知識自体が蔑視せられ、非合理性が高唱せられた結果権力意志の主張と闘争となって現れた戦中の状況を批判し、戦後精神的教養、人間個性の完成が説かれることをよろこびとしつつも、教養人が宗教に触れず、宗教なしにすませることを慎しみと誇りとする風潮に対して反省をうながしておられる。(中略)ヒルティについて放送しつつ、老年は暗いものではなく、若いころの過ちをくり返さないですむばかりでなく、永遠への希望に目ざめて働きつづけるならば極めて明るいものである、という意味の彼のことばに言及したのがとくに先生のお気に召したらしい。(後略)
「アフリカ・ヨーロッパ通信1974 (Ⅳ)」(p.9)
(前略)このように、土地の新聞がキリスト教精神を強調しうるところにガーナの強みがあることも、ガーナ人に接してみるとよくわかります。(中略)独立だけではアフリカは幸福になれない。問題はアフリカ人同士の間にある。そこで聖書の精神による希望が意味をもってくるが、キリスト教が従来植民主義の手先に使われていたという残念な事実がある。多くのアフリカ人がキリスト教を受け入れない。アフリカにおけるキリスト教徒には同胞からの迫害がある。気候の圧迫と人種的偏見その他外部の圧迫と内部の不和に苦しめられているアフリカ人にとって、ヨーロッパ人とはちがった意味で希望が考えられねばならない。組織化された西欧の宗教すなわち教会が従来アフリカ人を苦しめたので、それと同じものを継続すべきではない。教会は奴隷売買のための船を祝福したし、資本主義の僕にもなった。(中略)教会はあらゆる植民主義から脱却すべきである。

(引用終)