ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前田護郎主筆『聖書愛読』(6)

ここ数日、そしてこれから10日ほど、大変忙しくなりそうです。昨日は一日中家にこもり、六畳の部屋いっぱいに資料を広げて、整理をしていました。つい、座り込んで読み始めてしまい、夜には腰がだるくなってきました。あらゆる機をとらえてリサーチをし、それこそ先手仕事で文献も取り寄せているのですが、どのように考えをまとめたらよいのかは、いつも考えさせられるところです。基本的な了解事項が必ずしも一致しない会合で、個別事例を述べるのは、結構難しいものです。
それから、昨日は『わだつみのこえ』冊子が届きました。すぐにでも読みたいのですが、それをすると、どんどん時間がなくなってくるので、お預けです。そうこうするうちに、積ん読状態になるのですね。子どもの頃、(どうして大人はすぐに物事を片づけないのだろう)など思っていましたが、単純な生活の子ども時代には想像のつかなかった時間の流れです。
こんなことにでもなろうかと予想し、しばらく前にワードに入力しておいた前田護郎先生の『聖書愛読』の続きをご紹介いたします。どうぞ、ゆっくりと味わってお読みください。

・第98号 1972年(昭和47年)2月「冬の芽のように」(p.1)
はじめて聖書に接しえてから40年をこえますが、このごろその魅力が増す一方です。理由は聖書が神の温かい愛を示してくれるということに尽きますが、これをわからせてくれる事実が次々におきるのです。まず、聖書を共に学んだ若い友人たちが、学問や生活に苦しみながらも、救いの希望による心身の平安を与えられて、地味な、しかし人間味のある道を感謝をもって歩んでいる諸事実を挙げねばなりません。教えた人々から暗黙のうちに与えられる教訓は雄弁です。それに、歴史学や考古学の発達が聖書の背景を明らかにしてくれまして、前には否定されがちであった聖書の歴史性も今日では大幅に肯定されていることも強みです。(後略)

・第100号 1972年(昭和47年)4月「第100号の感謝」(p.1)
本誌が第100号になりました。創刊以来いろいろな困難があり、たびたび発行が遅れましたが、とにかく一号も休刊せずに100か月目を迎えることができました。(中略)もうだめかと思ったことも何度かありましたが、そのたびに不思議な道が開けました。商業出版でなく、細く長くという地味な行き方なのでつづいているともいえましょうが、何といっても、すばらしい聖書の真理に接してそれを読者にお分かちするよろこびがいろいろな困難を押えてくれるのです。

・第104号 1972年(昭和47年)8月「書斎だより」(p.15)
大学紛争と同じく、相対的・部分的なものを絶対的・全体的なものと混同する考え方、自己の判断を至上視する人間神格化の結果である。若い人に謙虚に全能者の前にひれふして学ぶ姿勢をすすめる教育がなされなければいくら責めても際限がない(5月30日).

・第105号 1972年(昭和47年)9月「平信徒の世界」(p.1)
あるキリスト教団体に長年勤めた人が戦後政府の要職に迎えられて数年を過したことがあります。(中略)復帰をためらったのは、別に名誉心からではなく、役所の能率がよかったこと、いわゆる宗教とか信仰とかの美名のもとに誤魔化しがなされえなかったことによるということでした。その人は、ヤソは駄目ですな、と述懐していました。
なるほど、学徒が団体の募金に奔走させられたり、十分学力があっても先生どうしの仲たがいのために学生の就職が拒否されたり、純真な信徒の心をこめた献金が一部の人の利益に悪用されたり、いろいろ困ったことがあるのですが、それが聖なるもののためということで済まされてしまいがちです。(中略)そして変な宗教性のないほうが仕事の能率もいいようです。

・第106号 1972年(昭和47年)10月「再び平信徒について」(p.1)
たしかに平信徒にも問題はあります。ちょっと聖書を学んで危ない講義をしたり、家庭集会で人的関係が破壊されたり、立身出世した人が自薦他薦の指導者になったり、人物崇拝が行われたり、集団指導が無責任体制になったり、いろいろな例を挙げることができます。

・第110号 1973年(昭和48年)2月「愛国心と国際精神」(p.1)
学問その他で国際的な協調精神で仕事をしている人々はそれぞれ自分の国を愛して、自分の国の人として他国の友人と交渉しているのが目につきます。よい国際人は自国から浮き上がっていないのです。逆に国際的な視野をもちますと、自分を育て上げてくれた国への愛が増して、同胞に真の国際状勢を知らせて世界意識を持たせたくなるものです。

・第112号 1973年(昭和48年)4月
「救いの完成の時(上)」3月25日(日)内村先生記念講演の補正(p.11)
このごろ諸学問が大きな曲り角に来ているといわれますが、それは結局従来人間不在といいましょうか、空理空論を回転させたり、一部の人だけが利益を得たり、人間のあり方を忘れて狭い専門に分かれて掘り下げすぎたことへの反省です。この人間の問題こそ聖書の提起するものでして、現代ではこの点でも聖書が諸学問ないし文化に対して発言権を持ちはじめています。

・第113号 1973年(昭和48年)5月
「この世への批判力」(p.1)
内村先生の流れを汲む人々は、この世の人の宣伝に対する批判力が養われていて、だいたいの方向を予感しえたとともに、国の不幸を同胞のそして自らの罪の問題として謙虚に難局に当たってきたといえます。(中略)組織に頼らず、固定集団をも持たずにひとり聖書を学ぶものへの恵みの光は、この世の暗闇が増せば増すまど(ママ)輝くでしょう。究極の勝利はわれらのものです。
「救いの完成の時(下)」(p.12)
学問や文化は人間の営みであるかぎり行きづまりますが、高く大きな神の次元としての真理の一環として見ますときに、真理の全体に奉仕する部分を受け持つよろこびがあります。人の上に立って見おろすのではなく、人の下から奉仕する姿勢です。この隠れたところに真理にいますものからの直接の光がさしています。
最近の学問は聖書の歴史性を立証しつつありますし、聖書が古代世界に書かれたものとして高い水準にあることを示しています。(中略)また、学問や文化は人間の協力なしではできません。低いところで奉仕する人があってこそ可能です。

・第118号 1973年(昭和48年)10月「書斎だより」(p.8)
ある教会の調査によると、人事興信録にしるされた11万人のうちクリスチャンが2,498人で2.26%となり、日本の全人口1億人のうち50万人すなわち0.5%という率の4.5倍強である。知識層の責任は重い。(6月25日)

・第119号 1973年(昭和48年)11月「未信者の反応」(p.1)
しかし、クリスチャンは暗やみを恐れないと思わせた一種の定評には底力があります。酒やたばこをのまないので健康であり、経済的にもあるおちつきがあれば未信者からは金持ちとも思われましょう。職場で同僚や上役からいじめられても仕返しをせず、信仰をもってこつこつ働いている人など、未信者からは尊敬もされますが、ときには善意が悪用されるものです。
(引用終)