ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

先達に学ぶ (2)

引き続き、加藤静一(著)『十年経たるか』(形象社)から抜粋引用させていただきます(参照:2008年4月22日・2008年8月6日・2009年12月15日・2009年12月16日・2009年12月27日付「ユーリの部屋」)。

(前略) しかし問題はこれからの人生であります。アメリカの大学では学士号授与式をコメンスメントと呼んでいます。これは即ち学業を終ったというよりもこれから実社会への第一歩を開始するという心構えを示したものであり、諸君は今や社会人としての長いマラソン競走のスタートラインに並んでいるのだとも考えられます。これからの社会の波風は厳しいものがあり前途は決して平坦なものでないことを充分覚悟しなければなりませんが、今までの学生生活を通じて培ってきた英知と若さとを以て焦らず休まずたゆみない努力を続けてゆかれるよう、特に生存競争とはいうものの、醜い手段や策略などを度外視して終始一貫誠の心を以て誠実一路に世に処して頂きたいと切望しておきます。


目的のためには手段を選ばずいろいろな権謀術数の横行する現代であるが故にこそかけがえのない諸君のこれからの人生を通じて物質的な成功とか名声とかに眩惑されることなく、常に汚れなき高潔な魂を保持していくことが人生の真の生甲斐であることを銘記すべきであります。(後略)


(「昭和49年度卒業式における学長告辞」『信州大学学報 第253号昭和49年4月1日)p.27

大らかさと共に強靱さが要請される。教育の制度においても特に大学は学を好むもののエリートコースであり、全入全卒の理念は悪性インフレと同様の水ぶくれ教育であり、ここいらでその体質を強靱にする治療法が必要である。


(「エリートとは」『毎日新聞昭和49年6月11日)pp.35-36

大学の教職員の皆さんには常に堅実な姿勢を似て自らの職責を積極的に遂行されると共に相互の人間関係を大切にすることによって学園内に心温まる雰囲気を醸成して頂きたいと切望する。


(「年頭の辞」『信州大学学報 第250号』昭和50年1月1日)p.43

私はほとんど独学でエスペラント眼科読本を著し、フランスの同志の協力によって改訂再版を発行したのであるが、日常の文通、学術的報告、討論、さらに文学的表現にこれほど有用な言葉はないと信じているが残念ながら大多数の学生は未だこれを冷眼白眼視している状態である。


(「国際共通語」『大学と理想昭和50年11月)p.56

(ユーリ注:エスペラントに対する私見は、2007年8月4日・2007年8月12日付「ユーリの部屋」参照のこと。)

私自身従来から私の近親などに対しても大都会の大学よりも地方大学への進学をすすめているのであるが、若者の心理として何となく大都会への憧れが抜けきらぬようで残念である


(「あいさつ」『学生生活のしおり昭和50年)p.59

大学の重大な管理事項について学生が主導権を持っているかと考えているとしたら大変な思い上がりであり、特に医学部教官と学生とその熱望し目的とする所が一致しているのに自連合に義理立てて教官を困らせる挙に出るなど不可解至極なり、(中略)学生の思い上った態度依然たるものの如し


(「教養統合の胎動」『信州大学教養部報 第18号昭和51年1月20日)p.62

今日、エリートなる言葉は多少の反感を伴って発せられることが多い。一流の高校や大学を出たことによって立身出世の特急券を手に入れた連中だと白い目で見られる傾向も否めない。半面にこれは非エリートのひがみ根性的先入観にも由来している。このような大衆心理に迎合して、近ごろはすべての人が高校に、さらに大学に進学できるようにすべきだという説が幅をきかせているようであるが、これは考えものだと私は思う。


大学の先生であろうと、農業従事者であろうと、専門家としてエリートとなるには刻苦勉励が必要であり、レジャー本位で民族が興隆繁栄したためしなどないものである。」


(「エリートとは」『毎日新聞昭和49年6月11日)pp.35-36

《以上》