ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ロシア音楽演奏会の小感想(2)

以下は昨日のメモの続きです。♬

・今回のオール・ロシアもの大曲三曲は、聴く側にも体力がいる。しかし、惹きつけられる内容の演奏だと、疲れ方も心地よい。ミルシテインショスタコーヴィチなどの関連書籍を読んでおいてよかったとつくづく思った。
チャイコフスキー交響曲「小ロシア」は、ウクライナを指すが、ロシア楽団の誇りが感じられる演奏だった。心の奥底までよく響き、記憶に残るものである。メロディラインが非常に美しく、親しみやすく、すぐにでも部分的に歌えそうなロマンティシズムあふれる曲であった。しかも雄大で音色が温かく優雅である。
・ピアノは一曲目の間は舞台の向かって右側に寄せてあり、指揮者が袖に戻って二曲目に入る前、四人がピアノを移動させて中央に持ってきた。なお、コントラバスは客席から見て向かって左側に配置。
ウクライナ生まれのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、何とも技巧的な難曲で、華やかで繊細で、かつ新しい組み合わせの響きも含む、壮大なスケールを感じさせるものであった。プログラム写真ではわからなかったほど、ころころと太って大柄なピアニストのイェフィム・ブロンフマン氏(1958年タシケント生まれ。テル・アヴィヴでピアノを学ぶ。1973年イスラエルに移住。1989年に米国市民権を獲得)のテンションの高い派手な演奏ぶりも、何ともいえず魅力的で素晴らしい。右腕を高く振り上げて演奏終了。直後に、わぁっという声援とブラボーが湧き、拍手も一段と熱を帯びた。
・考えてみれば、ブロンフマン氏の生まれた年にフェスティバル・ホールが設立された。そして、今年3月上旬、私はタシケント経由でテル・アヴィヴを往復したのだった。旅行前に、イスラエル人の先生が「ウズベキスタンタシケントーテル・アヴィヴ…。あのルートは全部ロシア語なのよ。飛行機は、古いのもあれば新しいのもある。私なら、絶対に嫌だと言うわ」と確信を持って私に語ったのを思い出す。それもそのはずである。ソロモン・ヴォルコフ氏の『ショスタコーヴィチの証言』(1980年)には、次のような箇所がある。
無数のユダヤ人が収容所で非業の死をとげたあとになって、わたしははじめて「ユダ公がタシケントで戦っていた」ということを聞かされた。だが、戦功による勲章をつけたユダヤ人を見ると、「あのユダ公め、どこで勲章を買ったのだろう?」と人々は叫びだすのであった。そのとき、わたしはヴァイオリン協奏曲と連作曲『ユダヤ民族誌より』を書き、その後に、弦楽四重奏曲第四番も作曲した。これらの作品は、当時、どれも演奏されなかった。これらはいずれも、スターリンの死後、ようやく陽の目を見たのだった。(p.229)
音楽を鑑賞する時、曲の背景のみならず、演奏家の背景も知ることで、より深く味わえるようになる。今回も、3月のイスラエル旅行の経験が、非常に役立った。
・アンコールはショパンエチュード「革命」。私も高校生の頃、練習した曲。プロコの勢いにのったかのようなアップテンポ。感情全開のアグレッッシヴで荒く激しい弾き方だった。もう少し深く丁寧でもよかったか。また、オール・ロシアのプログラムからすれば、ロシアによるワルシャワ侵攻を契機としたこの曲は、やや外れか。打ち合わせで決めたものか、それともそれこそ即興で弾いたのか?ゲルギエフ氏の意見を聞いてみたいところだった。ラフマニノフのピアノ小品などはどうかと思うのだが。
プロコフィエフは、ヴァイオリン協奏曲も、美しいきらびやかさとギコギコした響きの混じった実験曲のようなおもしろい難曲を作っている。この作曲家は政治面には疎く、いったんソ連を出た後、彼なりのタイミングを見計らってソ連に戻った‘失敗’が、作曲能力を枯渇させたのだという話がある。その当否はともかくとして、この時期に作られた作品は、どれも斬新な感性からできたもので、非常に興味深い。
・休憩は8時35分までのはず。しかし、35分になっても、舞台で待機しているのは、ハーピストのみ。8時40分になって、ようやくオケ団員がぞろぞろ登場。
ショスタコーヴィチ交響曲第15番の日本初演は、奇しくも同じ大阪フェスティバル・ホールで、1972年(昭和57年)にモスクワ放送交響楽団によるものである。同じ舞台で同じ曲を奏でるというのは、指揮者と楽団員にとってどのような感慨だろうか。
マリンバの音を聞くと、ソビエト音楽風だと感じる。これこそショスタコーヴィチ的だと内心ニンマリと楽しくなる。そして最後は静かな小さな音に集約、突然のようにとっと終わってしまう。
ショスタコーヴィチ交響曲第15番は、音だけ聞いて理解しようとしても、初めてならば限界があるかもしれない。第一楽章のウィリアム・テルのテーマ引用数回は、誰でも楽しめるが、それがどんな意図を持つのか、どうしてこの引用回数なのか、重苦しく、拍子が次々に変わっていく第二楽章以下とどのようなつながりがあるのか、などについては、やはり彼の生涯全体と音楽さまざまを理解しないと、どこでどのような引用がなされているのかわからないだろう。特に、スターリン時代の恐怖と抑圧の経験を知らなければ、なかなか難しいのではないだろうか。
・最後のアンコールとして演奏されたのは、プロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」というポピュラーなもの。これは、五嶋みどりさんのヴァイオリンにロバート・マクドナルド氏のピアノ伴奏でCDを持っている。しかし、オーケストラで聴くのは、やはり迫力が全く違う。聴けてよかったと心から思った。ところで、この曲は、なぜか休憩時間に舞台裏から管楽器が練習しているのが丸聞こえで、思わず笑ってしまった。プログラムにない曲を聞こえるように練習しているということは、本来、お楽しみ即興のはずのアンコールを、みすみす前もって聴かせているという意味なのだ。ホールのつくりのせいなのか、楽団員がうっかりして大きな音で練習してしまったのか、こんな経験は初めてだった。休憩時間に、練習の音は確かに直前まで聞こえることが多い。しかしそれは、次のプログラム曲目である。ロシアの楽団だから、その点大らかなのだろうか。
・どの曲も、ティンパニとドラの奏者が格好よかった。チェロ独奏の部分は、まるでヴァイオリンソロのように響いていて、見事であった。
・終演後の楽団員を見ていると、コントラバスなどの大楽器をトロトロと運んでいた。以前、北ドイツ放送交響楽団の演奏会に行ったが、ドイツ系楽団員は姿勢がよく、非常に規律正しくて、ピシリとした演奏ぶりである。定刻通りに始まり、ピタリと終わる。演奏会直後には、舞台上で、隣同士にっこりしながら握手する習慣がある。これは見ていてとても気持ちがいい。さすがはプロ、「世界に冠たるドイツ人」といった感じである。これをN響のある楽団員にお伝えしたところ、「N響もそういったパフォーマンスが必要かもしれません」とのお答え。別にパフォーマンスだとは思わなかったのだが。ついでながら、N響は、概して静かで背筋を伸ばしたような端正さと落ち着きがある。

(メモ終わり)

結構、大仕事になってしまいました。それだけ重量感のある演奏会だったということです。ゲルギエフ氏については、本1冊とCD2枚を買い物のついでに近所の図書館で、また借りてきてしまいました。こんなことをやっている場合じゃないのに、もう...。