ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前田護郎先生の選集・中国のこと

昨日届いた教文館メールマガジンに、故前田護郎先生(1915-1980)の選集の出版案内が記されていました。
2007年7月6日付「ユーリの部屋」でも書いたように、この選集の出版計画については、随分前からご連絡をいただいていました。内容が重厚なだけに、私にとってはやや高価なのと置く場所の問題があり、加藤常昭先生は顔をしかめられる(?)かもしれませんけれども、自家製ライブラリーとして全巻購入というのは、申し訳ないことですが今のところ少しペンディングにして...。でも、真っ先に読みたい巻はもう決まっています。第一巻聖書の思想と言語』と第三巻真理愛の拠点』です。以前読んだものと重複するのではないかと思いますが、特に、次の項目が私にとっては重要です。

第一巻 1. 聖書の思想 「神の名」2. 聖書の言語 「ヘブライ語考」「エルサレムギリシャ名」「宗教批判と言語批判」3. 聖書と古典世界 「ヨーロッパ精神の源流」 〔付〕 A propos du nom divin 訳:神の名について
第三巻 1.真理を求める心 「神学の科学性―聖書学を中心に−」「真理愛の拠点」「真理を求める心」「学問と聖書」「諸学の系譜と真理愛―方法論の再検討―」

ある時、ヨーロッパ留学から帰られて大学の神学部で教えていらっしゃる私と同世代ぐらいの先生が、「その、前田護郎先生って、そういう先生がいらしたんですか?」と余裕たっぷりに微笑みながら大まじめに私に問い返されたので、こちらがびっくりしました。え!会場には、荒井献先生もいらっしゃったのに、畏れ多くもそのような質問を!! 
聖書学、とりわけ新約学を西洋古典学の一部門としてわが国に導入した第一人者として、佐竹明、八木誠一、荒井献など日本を代表する多くの新約聖書学(ママ)を育て、他方、無教会伝道者・説教者として日曜聖書講座(世田谷聖書会・現経堂聖書会)を主宰した聖書学者の業績の集大成」と教文館の広告にはあるのですけれど、これも時代なのでしょうか...。

話は全く変わりますが、もう一通のメーリングリストで、華人研究の会合案内が届きました。それを読みながらふと、なぜか脈絡もなく、過去のささやかな一経験が蘇ってきました。

院生時代、私は大学の留学生寮住み込みチューターとして、一年半を過ごしました。留学生寮といっても、ワンルームマンション風の快適な住まいです。当時は、女の子は短大の方が就職率も高く、「結婚したら家庭に入る」ということばが大手を振っていた頃でした。結婚適齢期を「クリスマスケーキ」と表現するのが当然のような風潮もありました。その中で、先生の勧めで大学院まで進んでしまったことに戸惑いを覚えながらも、一方で、早く自立しなければと焦っていたことも事実です。まずは一人暮らしをしたいと願っていた私には、この住み込みチューターの役目はうってつけでした。日本語教育の実地訓練が時間を問わず寮で与えられ、日本にいながらにして異文化に触れる機会がふんだんにできる上、謝礼と引き替えに家賃は無料というのですから。

天安門事件の後、突然、中国の国費留学生が喋り始めたのにびっくりした私。それまでは、おとなしくて勉強熱心で、中国のよき文化の話ばかりする人達、という印象でしたので...。

例えば、事件前は、「中国では、結婚しても女性は仕事を続けることができる。日本人女性はやめないといけないでしょう?」「中国では、皆が助け合って一つのことをする。今の日本は、個人主義的でバラバラじゃない?」などと言っていました。私はと言えば、真面目に相づちを打って、「中国はいいですねぇ。女性の活躍の場がたくさんあって...」などと返答していたのですから、今から思えば何とも素直というのか、無知丸出しというのか。当時は、マルクス主義の先生達も大学には多かったので、人権無視だとか、一部の上級幹部のみが甘い汁を吸っているなどという情報も入りにくかった面があります。

しかし、天安門事件以降は、がらりと変わりました。毛沢東主義を自称していた一人の男子留学生は、「退党」というプラカードを高々と掲げてテレビに報道されました。信じていた共産党に裏切られたので脱退するというわけです。本当かどうかはわかりませんが、テレビに出たことで尾行が付いたと後で私に言いました。また、北京出身の女子留学生は、共産党幹部の個人名を次々と挙げて、「この人は、本当はこうなんだ。今まで黙っていたけれど、北京の人なら誰でも知っている」などと解説してくれました。

共産党は別としても、印象に残っているのは、堰を切ったように話し出した次の話です。

「日本に来る前は、帝国資本主義によって、どれほど日本の人民が搾取されているか、という話をよく中国で聞かされた。自分は、留学が決まった時、日本の実態を見て、日本人に新しい考え方を教えてあげようと意気込んでいた。ところが、日本で暮らし始めてしばらくたつと、だんだん様子がわかってきた」
「結論からいえば、資本主義の日本の方が、かえって社会主義的な福祉や公平感がある。日本人は、勤勉にまじめに働く。女性は結婚したら仕事をやめなければならないというけど、それは夫の働きだけで充分食べられ、家まで買えるからなんだ」
「奥さん達は、夫の言いなりになってかわいそうと思っていたけど、こっちに来たら、昼間はカルチャーセンターで、習い事をしたり勉強までしたりしている。子ども達も、教育面で大切に育てられている。第一、日本人はいい洋服を着て、おいしいものを食べて、幸せそうに暮らしている。これは一体何なんだ、と思っていたら、今回の天安門事件だ」
「日本政府は、いろいろ問題があるとはいっても、政府自らが国民を殺したりはしない。でも中国政府は、今回、民主化要求した学生達を戦車で轢き殺した。中国の人民日報よりも、日本の新聞の方が、中国について詳しく報道している。私は日本の新聞の方を信じる」

今、格差社会だの、ワーキングプアだの、ネットカフェ難民だの、日中関係だの、さまざまな社会問題が山積みになっています。かつて、中国人国費留学生から生の声を聞くチャンスに恵まれた私は、小さな経験を書き記すことで、こういう時期もあったのだと思い返したいのです。