ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

思想が注入される外国語学習

学部時代と院生の頃、専攻との兼ね合いから言語学の講義を履修していたので、比較考察のために外国語を幾つか学ぶ必要性があった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/about)。
今でもハングル表示が何とか読めるのは、その時の経験からだ。日本語に最も近い文法体系を持つ言語だと教わったことと、国費留学生もいた院生時代は、クラスメートの間で少し流行していたからだった。
だが、いわゆる「韓流ドラマ」は見たことがない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131125)。チャンネルを触っていて画面が出てきたことはあるが、何となく合わない感触があったのと、内容が全くおもしろくなかったからである。
結婚後も、しばらくはドイツ語やスペイン語等をNHKラジオ講座で聴き続けていた。時間が短く集中できることと、毎日の放送なので、規則正しく学習できることが気に入っていたためだった。だが、内容が時々低俗だったり、ふざけていたりすることに気づき、何度か投書を送り、「昔のようなもっと真面目な番組を」と訴えたこともある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150220)。
英語に関しては、1990年代前半にマレーシアのクアラルンプールでブリティッシュ・カウンシルに通っていた頃から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101209)、(英会話だけではダメだ。もっとたくさん古典的な本やニュースを読んで、背景となる知識を増やし、異なる発想に慣れることと、自分の考えを深めて、まずは自言語でしっかりと発信できるようにしなければならない)と痛感した。従って、英会話などのラジオを聴くことは殆どなくなった。
今では、どの言語であってもインターネットで膨大な情報が直接得られるので、学生時代の思い出は遙か遠くになってしまった。
時々、「何十年間も毎日、NHKラジオ講座で外国語を勉強している」という80代以上の高齢者が、「老化防止によい」「孫とも世代の壁なく話し合える」「余暇を有効に利用している」等という美談としてニュースになっていた。今にして思うのは、確かに「継続は力なり」だが、昔はともかくとして、長く番組を聴き続けているうちに感覚が合わないという問題を感じなかったのだろうか、ということである。
今、ラジオ英会話番組にかなり長い間出演していたバレリー・ケーンというアメリカ女性のことをふと思い出し、ネット検索してみた。(この頃、何の気なしにふと思い立って検索してみると、かねてから気になっていた問題の糸口が見つかることが増えた。)
私が覚えているのは、結構長い間続いていた大杉正明という講師の頃、彼女の発言に対して、新鮮さと同時に不信感を抱いたことだった。一見、親しみやすいのだが、どこか同意できなかった。例えば、以下のような点がある。
(1)自然食品の愛好家で、マクロバイオティックという用語を導入し、夢中になって説明していた
(2)漢字が趣味のようで、紙に何度も何度も書いて覚えるのが楽しいと述べていた
(3)日本の中学校の制服が「軍隊のようで怖い」と描写していた
(4)歌が上手だということで、高音の出にくい声で、長々と貴重な番組の時間を使って歌っていた
なぜか、番組の中で大杉氏がいつも感情的に盛り上げており、視聴者として反対意見を出しにくい雰囲気が漂っていた。
今なら、米国西岸のリベラル左派の典型だとわかるのだが、当時は(NHKが放映するのだから、一応は人選を経てのことなのだろうか)とも迷っていたのだった。
インターネット情報は玉石混淆ではあるが、なかった時代よりは遙かにましでもある。早速、検索で見つけたバレリー批判がある。
(確か大杉正明氏の担当は、それ以前に13年間続いたという東後勝明氏よりも長かったのではないかと記憶する。今、ウィキペディアで見たところ、東後氏が1972年から1985年9月までラジオ英会話の講師を務めた一方、1947年生まれの大杉氏は、NHK語学講座番組に1982年から関わっていたようで、1987年から1992年まで「英語会話」を、1992年から1997年まで「英会話」の番組で講師を務めたらしい。計28年の「副業」としての関わりとのこと。私は1990年以降、全く聴いていない。)

https://blogs.yahoo.co.jp/saipan_is_number1/62747326.html


NHKの英語教育放送はここまで異常だった!」
2014/1/11


私が視聴していた時期(1980年代後半から90年代半ばまで)の「NHKラジオ英会話」における問題点を指摘してみたい。


1.日本人講師の公私混同脚本


・当時のラジオ英会話は一年間続く物語を通して、毎日・毎週そのダイアローグから英語を学んでいくという形式となっていた。

・その物語の脚本担当者は、①日本人講師、②アシスタントのアメリカ人、③外部委託という顔ぶれだった。ただ外部委託にせよ、当然この日本人講師の意向や編集(改作)が加味される。

・そのため講師の思想などが色濃く反映されるケースが出てくるのだ。特に1992年から97年まで担当していた大杉正明は、それが著しかった。

・大杉は、取り立てて発音がよいというわけでもなく、英会話の権威というわけでもないのに(本職は清泉女子大学教授程度であり、学歴も明治学院院卒レベル)、何ゆえこのような重要のポジションをこの男が長期間行っていたのかがいまだ持って不思議だ。


2.アメリカ人ゲストの品性の悪さ


・バレリー・ケインというアメリカ人女は悪癖があり、感嘆詞では再三下品な表現を多用してきた。
・具体的には「あれまあ!」「うわぁー!」「えーっ!」に相当する英語に、「0h boy!」「Oh man!」というものがあるが、この女は、物語のみならずスキット・解説・冒頭の会話などでも「Gosh」と「Gee」を絶えず連発してきた。後者はもともと「神を冒涜する」要素をもった意味合いから来ているため、品の良い人はあまり使用しない表現なのだ。
・取りも直さず複数の視聴者より抗議の手紙があったのだが、こやつが番組を降板するまでずっとこの愚劣な表現をやめることはなかった。
・またカップルが婚前旅行に出かけるなど未成年には相応しくない内容の物語もこの女は書いている。この点では相当反論が出ていたが、これについてもNHK側は謝罪無し


3.フェミニズムの吹聴


・市販のテキストでは、外部の米国人有識者による英文コラムがよく掲載されていたが、あるアメリカ人女のフェミニズムに基づく日本文化否定など複数回に渡って掲載されたこともあった。また全員ではないが、アシスタントの米国人女からも時折、フェミニズム的価値観による日本社会の否定的見解など良く出ていた。

(部分抜粋引用終)

[2017年7月4日追記]
他に思い出した事例としては、「お土産」に関する話題があった。バレリー・ケーンが「日本人は、旅行に行っても、お土産に頭を悩ますことが多くて、旅を楽しめない。お土産は‘must’であって、強制された義務なのだ。もしお土産を渡さなかったら、村八分になる。そして、たとえ中身が気に入らなくても、いただいた物には必ずお返しをしなければならない」という意味のことを、滔々と英語で述べていた。ジェフリーという相手役の男性が、「わさび漬けを洗ったら、何も残らなかった」という話を披露していたことも、併せて思い出す。
これなどは、聴いていて非常に不愉快だった。
お土産が義理感情から来る義務としての風習だという考え方は、確かに人によってはそうだろう。私など、若い頃には、出過ぎてはならず、控えめになり過ぎてもいけないので、目上の方には、何を差し上げるにしても失礼ではないかと、お土産をお渡しすることはビクビクものだった。だが、それも社会経験である。それに、日本の古い書物を紐解けば、村ごとにお宮参りをした時には、一緒に出掛けられなかった人々にも福をお分かちするという意味があったと記されている。
本質を無視して、勝手に公共放送でベラベラと「外人」が話すという外国語学習は、一体何の目的だったのだろうか。