ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

平板になった日本

全体的な印象だが、平成になって、社会も文化も軽く平板になったようだ。
この頃、主人の若い時の荷物などが少しずつ届いているが、アマチュア無線士だった中学時代の写真や説明書などを見ていると、とても懐かしい。将来、技術者として身を立てようとした素地ができていて、家族に見守られながら、そのまま進んできたことがわかる。また、この方面に興味と能力のある少年達を大切に育てようとした、技術立国日本の誇りと心意気を感じる。(無線の機械を買うために、義父と自転車で日本橋まで出掛け、道具を荷台にくくりつけて帰ろうとしたら、「将来はお医者さんにでもなるんですか?」と聞かれたとのこと。無線のアンテナは、大黒柱の同居の父方の祖父が屋根に登って取り付けてくれたという。)
それに引きかえ、最近の大手メーカー数社の巨額赤字や大量リストラのニュースに触れる度に、まさか、入社当時はそんなことになるだろうとは予想もしていなかっただろうに、と胸が痛くなる。私共の結婚当時には、業績としてはむしろライバルだったはずなのに、今では見るも無残な状態だ。
私が国文学科の大学生だった頃、外国語を勉強するために、毎日のようにラジオからテープに録音した英語、ドイツ語、スペイン語を、通学時も電車の中でも家の庭の掃除の時も、ソニーウォークマンを耳に、いつも繰り返し聞いていたものだった。また、実践としては、海外ペンパルを求めて、英語とドイツ語(とスペイン語)で文通を続けていたものだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)。切手なども、出来る限り珍しく、きれいなものを郵便局で探して貼っていた。お返事が届くのが、いつも楽しみだった。
無邪気に、素直に、自ら求めていけた時代が、我ながらうらやましい。
写真を見ていても、主人と私は、いい時期に生まれ、いい時期に学生時代を送り、いい時期に海外へも仕事で派遣されたのだったと思う。皆、ぷっくりと頬がふくらみ、自然な笑顔で充実した印象だ。
本当に、国を立て直していかなければならない。