ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ミーチャはひと休み

先程、9月18日に注文しておいたヤッシャ・ハイフェッツの『ラスト・リサイタル』(1972年)CD2枚が届きました。うわあぃ!うれしいな、ということで、早速聴いてみることに....。枯淡の域というのか、若い女性ヴァイオリニストの前向きな勢いとは違った、経験を積み重ねた上での何とも透明感のある音色で、すばらしかったです。

おととい(9月20日)には、マレーシア神学院図書館アシスタントのインド系クリスチャン男性サクティさんから、またもや貴重な資料をPDF形式で3点に分けて、メール送付していただきました。インドネシアやフランスのイスラーム事情についての論文です。

こういう資料を見ていると、マレーシアのキリスト教指導者層や神学者達が、どのような問題や事象に関心を持っているかがよくわかります。日本では、「話はわかったが、学問的枠組みでは、どういう位置づけにあるのか」とマナジリをつり上げて尋ねてくる中堅の先生がいます。それに対しては、遠慮なく変化球(?)で打ち返すことにしているのですが、そもそも質問そのものに疑問を感じます。同じキリスト教現象を扱っていたとしても、手法や問題意識などが異なるのに、ちょっと違和感があると高見から云々してくるというのは、一体どうなんでしょうか?現地の人々にとっては、実地に暮らしに関わる緊急の課題ですから、ガクモンやら枠組み以前に、必要不可欠のテーマなわけです。日本国内でのガクモン的議論のためにマレーシアが存在するのではなく、マレーシアはマレーシアのために存するのです!
上記の資料などは、今回、別にこちらから頼んだわけではないのですが、2000年11月の訪問以来、このような交流が続いています。リサーチの焦点が絞られてきたことによって、サクティさんも、ますます意気込んで、リサーチの手伝いをしてくれるようになりました。私がブログ日記も立ち上げたのを知って、「絶対、本を書くべきだよ」と助言までしてきます。それについて考えていることはあるのですが、今はまだ秘密です。計画をよく練って、熟成を待ち、機を見計らって出発するやり方が、私には合っているようです。学生時代から、もともと競争に向いていないので...。

先週の学会の興奮と長旅(?)の疲れもとれ、家の中が片づき、頭も落ち着いてきたところで、ようやく、学会でいただいた大量のレジュメの復習と、草稿書きに入ろうと思います。「え、今頃?」なんておっしゃらないでくださいね。「ユーリの部屋」をお読みくださればおわかりのように、何も「この道一筋」に生きているのではないのですから...。要は、各々の締め切りと人生の最後で、すべての帳尻が合えばいいわけです。最近、このように気楽に考えるようにしています。

ところで、旅行そのものは嫌いではないのに、外泊がなぜ疲れるのかというと、私の場合、次の3点が理由に挙げられます。(1)初めての場所だから(2)野菜不足ないしは栄養の偏りが出るから(3)公式用の服装が体型の変化でキツくなったから、です。 (1)は慣れの問題、(3)は新しく洋服を購入すればよい、と解決法がありますが、(2)だけはなかなか難しいですね。ビタミン剤や鉄錠剤を日数分用意し、野菜ジュースも何本か持参し、工夫はしているつもりですが、外食そのものが、そもそも野菜不足なのですから。それが証拠に、自宅に帰って自分で台所に立って、野菜たっぷりの食事を作ると、効果てきめん、すぐに元気が戻ってきます。

水と枕については、これまでの人生で問題が生じたことはありません。マレーシア滞在計4年間でも、気をつけていたためもありますが、お腹を壊したことはなかったし(安倍さん、政治家ならば、少しは見習ってくださいね)、どこでも大丈夫でした。枕が変わろうが何だろうが、睡眠についても、ぐっすり眠れる幸せなタイプです。本当にこれには、感謝してもしきれないぐらいです。人生は長丁場ですからね。

では、今日はこれから、小さなアルバイトが入ってきたので、とりあえずそれに集中しつつ、今後の段取りを工面しようと思っています。秋に一つ公的試験を受けようかと考えているのですが、スケジュール上、ちょっと無理でしょうか?また、12月のマレーシア研究会での発表の資料整理にかかる必要もあります。(文献リスト作りは、できるうちにやっておいた方が発表直前は楽なのです。)そして、学会会報の原稿書きと研究会会報用の文章を仕上げなければなりません。

というように、遊んでいるようですが、自分なりに毎日、いろいろ少しずつ家事と仕事を進めていくのが私の日常です。では、今日はこの辺で!