ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ロシアについての雑感

皆既月食の夜だと主人が教えてくれたので、昨日は時々ベランダに出て空を見上げていたのですが、満月が煌々と輝いているのみで、時折それに黒い雲がかかる程度でした。時間を間違えたのかもしれません。今朝の『朝日新聞』(大阪本社版)の一面には、幻想的な赤銅色の満月が写真になって登場していました。
仕方なく昨夜は、録画しておいた、2006年1月28日のN響ヘルベルト・ブロムシュテット指揮によるクリスティアン・テツラフ氏のブラームスのヴァイオリン協奏曲を楽しみました。テツラフ氏は40歳とのことですが、男性ヴァイオリン奏者は、さすがに舞台でも落ち着いて見えます。衣装が黒なので、オーケストラの団員と同じ色彩であり、華やかさはないのですが、その分、体の動きと音色で勝負、というところでしょうか。テツラフ氏、ずいぶん気分を出して気持ちよさそうに演奏されていました。おもしろかったです!
同じ曲目でも、細かい音の出し方は、庄司紗矢香さんの方が、丁寧ではっきりしていたように思います。テレビでの聴き比べの醍醐味の一つは、どのフレーズでどういう弓使いをするのか、動作はどうなっているのかが明確になることです。テツラフ氏と庄司さんとでは、同じメロディで似たような体の動きになっているということに、初めて気づきました。
昨日読んでいた『ショスタコーヴィチの証言』で、思わず笑ってしまった箇所は、ある作曲家のつまらない音楽の話で、聴いていて「そろそろ再現部に入るのかなと思っていると、いや、そうではなく、相変わらず展開部がつづいているというわけである」(p.237)などという下りです。確かに。お話と同じで、ある程度の時間で、構成が変わるのがわかるところが、クラシック音楽の楽しみなのですが。実はこれ、ショスタコーヴィチの師であったグラズノフ交響曲についての、元弟子からの率直な批評なのです。おもしろいでしょう?
そう言えば、今朝の『朝日新聞』には、スターリンの孫の逝去記事が小さく載っていました。
ガリーナ・ジュガシビリさん(元ソ連共産党書記長スターリンの孫)27日、モスクワの病院で死去。イタル・タス通信は69歳と伝えた。
スターリンの長男ヤコフ氏の長女として生まれた。モスクワ大学文学部を卒業し、ロシア作家同盟会員。スターリン家についての著作がある。
近年はモスクワのアパートで年金生活を送っていた。05年の週刊紙「論拠と事実」インタビューでは「私にはスターリンの血が流れています」と祖父への愛情を語っていた。(モスクワ)

ふうん...。ロシアへは行ったことがありませんが、学生時代に、英語で文通をしていたロシア人がいます。いつもバッチや絵葉書を大量に送ってくる人でした。一度結婚したけれどすぐに離婚したような...。淋しい人だったのかもしれません。英語はあまり上手ではありませんでしたし、内容もそれほどおもしろいものでもありませんでした。こちらも、共産圏に出す手紙だというので、検閲を承知の上で書いているのですから、本当に英作文の練習程度でした。それでも、経験としてはよかったと思っています。共産圏の実態を垣間見るという点で...。
その連想からですが、庄司紗矢香さんが、以前、ロシアへの想いを「ラジオ深夜便」で訥々とした話しぶりながらも、とても熱く語っていらっしゃいました。イタリアの明るい歌心と同時に、東欧系の深く暗い心理表現も巧みな紗矢香さんですが、教わった先生や音楽上の友達にロシア系が多く、英語で話していても「ロシア風」と言われるぐらい、どこか惹かれるロシア文化なのだそうです。今はパリ在住ですが、本当はロシアに住みたかったのだとのことです。ますます興味深い紗矢香さんですね。これからも、演奏活動を遠くから見守っていきたいと思います。

(追記)たった今、宅配便のおにいさんが、丁寧な梱包の小包を届けてくれました。何だろうと思って開けてみると、なんと日本聖書協会の『わたしの好きなみことば』(“Bible verses that touched my life”)という最新版の本が入っていました!ページを繰ると、知り合いの聖書学者の先生方ご推薦の聖句もあちらこちらにあり、(へぇ、あの先生が...)と新鮮な思いがしました。注文したわけではないのに私にも送られてきたのには、当然わけがあります。私の投稿した聖句が、162ページに掲載されているのです。内容は見てのお楽しみ、ということで、ここでは秘密にしておきます。2520円ですが「聖書新共同訳 発刊20周年記念」として立派な装幀になっていますから、充分堪能できることと思います。ご関心のある方は、ぜひお手元に一冊置いてみてはいかがでしょう?
失敗は、箱を開ける時にハサミをつかったために、せっかくの美しい表紙にキズがはいってしまったことです!まったく、私ときたら...!!!

旧ソ連邦では、ロシア語の聖書を持っているだけで精神病院や刑務所に入れられたという情報が、平凡な一学生に過ぎなかった私の元にも入ってきていました。1980年代のことです。ソ連へ旅行するキリスト教関係者は、ですから、マルクスレーニンの本に、ロシア語聖書をばらして一ページずつ散らして挟み込み、密かに持ち込んだそうです。そうまでしても、聖書を読みたいと願っていた人々がいたからです。表向きは「信教の自由」を掲げていても、実態はこうだったようです。結婚前、ある国立大学で留学生に日本語を教えていた頃、ロシアからの女子留学生が、私に決然と言いました。「信仰をやめることはできません」と...。