ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

閑話休題 その2

延長手続きを済ませて、『ショスタコーヴィチの証言』を読み続けています。この種の本を読むと学生時代を思い出し、とても懐かしく、かつ頭がリフレッシュされたような気分になります。ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんは、演奏がとても優れているのみならず、どちらかと言えば口数の少ない読書好きのお嬢さんで有名ですが、今時の若い世代に属するのに、硬派の本を次々と読破しているらしいところが、とてもうれしく励みになります。これからもクラシック音楽と読書は続けようっと!

ソ連邦が崩壊した今だからこそ、かえってこの『ショスタコーヴィチの証言』の意義と真実性が実感できるわけです。私の学生時代、社会科学系にはまだマルクス主義系の先生が多く、読まされるものにも、その系統の思想が影響力を発揮していたように記憶しています。海外に出て自分の目で確かめられない以上、若い頃は、誰の言っていることが本当なのか知りようがないのですね。この歳になると、さすがに見解の真偽が判別しやすくなってきますが、そういう時、年齢を積み重ねることを再認識させられます。

とはいうものの、時間ばかりかかって、同じような議論が延々と続くマレーシアの研究よりも、本来の私は、環境さえ整っていれば、ヨーロッパ系分野の方が合っていたのかもしれないのです。しかし、もうここまで資料を集めてしまったし、これまでにもさんざん悩んできたのだから、もう迷っている暇はない!と気を取り直しています。

先日、片づけも兼ねて、財団法人日本クリスチャンアカデミーの機関誌『はなしあい』の2007年5月号(第484号)を読んでいたら、とても感動的な実話が掲載されていました。
2007年4月28日に「2007年度第1回修学院キリスト教セミナー」(於:関西セミナーハウス)で講演された、元HOYA常務取締役技術研究所長の泉谷徹郎氏(83歳)の「ルターの信仰に学びつつ、光学ガラスの研究開発に生きる」という魅力的なタイトルの文章です(p.2)。以下に、内容をかいつまんでご紹介いたします。

氏は、京都大学理学部卒業後、工学技術院大阪工業技術試験所に入り、1958年に世界最高の品質を示す新種光学ガラスを開発されました。その後、株式会社保谷硝子に移り、1965年と1971年にも、世界的発明を次々生み出され、アメリカの国立研究所で使われるまでになったそうです。現在は、中国の広州に滞在し、若い研究者を指導されているそうです。

このお話の核心は、「これらすべての研究生活を支え、導いてきたのは、大学卒業後間もなく出会ったキリストの福音であった」とあることです。講演後の質疑応答で、「自分は光学ガラス以外の仕事をしなかった、そしていつも原理に立ち還って(ママ)考えるようにしてきた」とおっしゃったそうです。また、「一緒に歩む若い人が学歴や、経験や、国籍に左右されることなく、常にその与えられた賜物を最大限に引き出すことができるように、達成感のある生き方をできるように助けたい」「命の許される限り、与えられるもの全てを神様への捧げものとしたい」と結ばれたとのことです。
この報告を書かれた方の言ですが、「キリストによって自由にされた者は、周囲の人の価値観によって動かされない。これが、神様から与えられた持ち場であると受け止めたら、ひたすらその道を行く。その際、既存の説明に飽きたらず、本当はどうなのですかと神様に問いつつ、根元に立ち還って歩む。そうした歩みが、他の人が及ばなかった真理の発見へと繋がることは自然である」とありました。

実は私も、マレーシアへの派遣および現在の研究テーマは、与えられた持ち場であり使命であると考えて取り組んできたのですが、現実はやはり厳しい!マレーシアのリサーチ協力者達も皆びっくりして「あなた、人生犠牲にしていない?」「24時間ずっとマレーシアのことを考えているんだね」「ものすごくマレーシアの問題に関与している人だ」などと言われたこともあります。何というのか、話が単純な割に立証が難しいことと、日本の学界では、理論や思想ならば議論のしがいがあるものの、実例を並べて訴えるだけでは、「それで?」という反応が多いために、意気消沈させられることが頻繁です。客観的な証拠と資料で裏付けながらも、日本の学界の潮流に合わせる以上に、当事者の気持ちに寄り添う方が重要であると考える私のやり方は、主流とはいえないようなのです。

もし一つ利点があるとすれば、中途半端な知識や一時の訪問経験を別にして、現地の視点に立って研究を続けている同業者が、日本には今のところいないということです。つまり、ライバルがいないので、自分のペースで進められるわけです。また、海外を見渡してみても、この分野で、信頼のおける論文を出し続けている研究者が、実はそれほどいないようです。換言すれば、狭いコミュニティなので、競い合うよりは、むしろ仲良く論文交換や意見交換ができるのです。知り合いの知り合いは、実は私の知り合いという風に、人間関係がわっかのごとく循環しています。まぁ、専門というのは、そういう狭い世界で生きることを意味するのでしょうが。引用文献リストを見ていると、ほとんどもう目を通した資料ばかりになってきて、そろそろ新境地が欲しくなってきました。贅沢な悩みといえば贅沢ですが。

ところで、昨日届いた日本聖書協会の最新版情報誌には、国際聖書フォーラム2007の記録が掲載されていました。こうして私がうつつを抜かしている間に、着々と世の中は動いているのです!でも、書きますよ、自分のことばで考えたこと、学んだことを。そのためのブログ日記「ユーリの部屋」なのですから…。問題は、それがいつになるかということだけです。