ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

サバ神学院から本が届きました

昨日は、サバ神学院から、また本が一冊届きました。これは、1998年出版のマレー語と英語の二言語で書かれたキリスト教神学論文集で、特に社会面に重点が置かれた考察です。実は、2000年11月に、マレーシアからシンガポール聖書協会を訪問した私のために、この本の一部分をコピーしたものをスシロ先生が予め用意し、応対した方を通して渡してくださったのです。最近になって、やはり全部を通して読む必要に迫られ、注文したというわけです。

目を通してみると、これまでの日本国内でのサバ研究とはまた違った側面が浮き彫りになってきます。研究者というのは、どの分野でも、自分に都合の悪い情報は、たとえ耳にしたとしても、さりげなく無視して論文を仕上げるものだと、ハーヴァード大学で博士号を授与された方から聞いたことがあります。その当否は別としても、これまで、なぜイスラームムスリムばかりに焦点を当てて論ずるのか、また、種族ナショナリズム(?)との関連でしかキリスト教を論じていないのはなぜなのか、長年、疑問に思っていました。サバ州といえば、カトリック司祭が一人殺害されているところなのに、です。地元の新聞は当然のこと、カトリック教会の指導的立場にある方なら誰でも知っている事実なのに、です。また、日本軍占領期には、結構ひどい目に遭わせられた宣教師達もいたのに、です。

ところで、マレーシアに本を注文すると、たいていはきちんと領収書もつけて二週間以内には届くのが、とても気持ちが良いです。実は、スシロ先生に指示されて、インドネシアにも何冊か注文したのですが、連絡は確かにあるものの、その後が不確定なのです。例えば、注文していない本が突然送られてきたり、本には領収書も手紙もついていなかったり、ということです。また、ルピアで支払うべきなのか、それともドルも使えるのか、何の指示もありません。その点、マレーシアの方がしっかりしています。1990年半ば頃までは、あの地域一帯でのリサーチや文献資料については、シンガポールが一番、信頼性が高かったようですが、マレーシアも最近はかなりよくなってきました。こういう点から考えると、やはりマハティール氏の‘WAWASAN2020’構想は、人々に一応の方向性と夢を与えたという意味で、それほど荒唐無稽というわけでもなさそうです。というところが、東南アジアの勉強をする上で、なかなか判断が難しいのです。

そういえば、昨夕、ショスタコーヴィチの本やらCDから部分複写したものをノートに整理しながら貼り付けていたら、FMラジオから何と、ショスタコーヴィチ交響曲第5番が流れてきたので感激!こういう‘偶然’が、最近なぜか多いのです。このシンフォニーはとても有名でポピュラーなので、皆さんも聴けば(ああ、知っている)と思われることでしょう。共産主義の優越性に対する民衆の「強制された歓喜」という解釈は、いかにもショスタコーヴィチらしい音楽の二重性をダイレクトに表現しているようで、思わずニンマリと笑みがこぼれます。