ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ユーリの部屋 再開します

しばらくお休みをいただいていた「ユーリの部屋」を少しずつ再開いたします。

まだ頭がぼんやりしていて考えがまとまらないのですが、急なご不幸に(人生ほどわからないものはない)と改めて思わされました。6年前までは、主人の祖母や伯父などの法要の際、最も歳の近かった彼女と一緒に、お茶出しやお皿洗いなどをしていたその同じ場所で、今度は彼女を見送ることになろうとは...。順序が逆というのか、ことばがうまく見つかりません。主人の母方のいとこなので、いわゆる「血が濃い」関係ではなかったものの、人出不足のこういう時期には、お互い様というものです。また、本には書いていないこと、学校でも教わることのないことを学ぶよい機会でもあります。

田舎は頑迷保守で後進的で男尊女卑で...などと評した書き物がありますが、必ずしも一概には言えないのではないかと思います。結局のところ、地域性もさることながら、それぞれの家系でしきたりや風習が異なるからという当たり前のことなのですが。都市部なら進歩的でリベラルで開放的かといえば、かえって別の面で窮屈なところがあるかもしれません。

主人の母方の家系は、基本的に男性と女性の役割分担がはっきりしているものの、男性が家の中のこまごましたことにも関心を持ち、身軽に動く傾向にあり、女性も抑圧されているどころかズバズバと物を言いますし、80代ぐらいの方々も男女席を共にしてのびのびやっています。戦後の農地改革で生活は激変してしまいましたが、古くから続いてきた家柄だからということもあるでしょう。過去帳によれば、その昔は天皇家に仕えていた家だったとか、どこまで本当なのかは不明ですが、とにかく数年前に、亡くなった伯父さんが私に話してくれました。

ただし、家はそのままでも、時代が変われば人も変わります。主人の小さかった頃は本当に楽しく過ごせた環境も、気がつけば新しい家が増えたりなどして、遙かなる思い出になってしまっていました。

やはり人は、生まれてきた以上は、健やかに寿命を全うするのが本来のような気がします。普段は、本を出版したとか、学会で何度発表したとか、論文をどこに何本出したとか、そういう日常的あるいは社会的な価値観に振り回されていても、こういう事態に直面すると、そのような価値は、どうでもよくはないにしても、二の次三の次だな、と思わされます。

若手不足のために、汗びっしょりになりながら私もお手伝いに加わっていた時、頭をちらちらとかすめたのは、このような山地で、キリスト教エスペラントが浸透することは恐らくないだろうな、ということでした。興味を持つ人がいないのではなく、そういう人なら学校を終えたらさっさと都会に出てしまうだろうな、と思うのです。国内では特に珍しくもない典型的な一地方であっても、仲間作りなどなかなか難しいだろうと思いました。
同時に、京都大学東南アジア研究センター(現:東南アジア研究所)の講義で聴いた話が脳裏をよぎりました。それは、5年以上も前に大阪大学のある教授(ベトナム史専攻)がおっしゃったものですが、頭の中だけで考えた理論によりかかる某大論文の嘘を喝破したのは、都会出身の学者ではなく、地方の農村出身の研究者だったとのことです。その方は長男のため、どんなに多忙でも冠婚葬祭には田舎に帰って親族一同を取り仕切っていたのですが、その経験から、東南アジアの農村との比較における某論文の誤りがすぐに見抜けたそうです。しかも論証付で...。

仏教の葬儀に際して、キリスト教会では「このような機会はキリスト教のよい証の時です」などと書かれたものを時々見かけますが、これは恐らく、都市部でキリスト教会が多い地域に限るだろうと思われます。今回も、遠方から駆けつけた親族の一人が教会の教え通りにしていましたが、かえって誤解を招いていたことは明らかでした。その人は、それまでの葬儀が仏教や神道ばかりでクリスチャンの自分は関われないという理由で、一切欠席にしてきたのだそうです。普段は往来のない親族の安否の確認も兼ねている葬儀や法事に、長らく姿を見せなかった人が突然現れて「クリスチャンですから焼香はいたしません。偶像崇拝になりますから、合掌もしません」と明言したために、特に「本家の嫁」なる人にとっては「あ、そ」と冷淡な返事しかできず、互いに気まずくなっていました。

これは、キリスト教を中心に考えるからそうなるのであって、逆の立場を想像してみれば、よくわかることでもあります。例えば、親族の一人がキリスト教に改宗して、葬儀を教会で行ったとします。その時、事前に通知しておいても、献花ではなく仏教式のお供えを用意されたり、「故人の好きだった賛美歌を」の呼びかけに「私は仏教徒ですから」と拒否し唱和されなかったとしたら場が持ちません。そういう話が実際にあるかどうか聞いたことがありませんが、日本のような宗教環境では、案外盲点ではないかと思われます。

私の立場は、「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のように」臨機応変に対処し、できる限り相手の信条を尊重するというものです。葬儀は自分の信仰を披露する場ではなく、当事者とその家族が主人公となる人生最後のお別れの時です。そこを間違えないようにしたいと思います。