ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシアのエスペラント運動

「ダンコン」
今回の新渡戸シンポで、この単語だけは、しっかりと覚えました。誰かがブラ、ブラ、とエスペラントで自説を開陳し、一区切りつく度に、司会者が「ダンコン」と言っていたからです。やり取りから、ある人の言語行為が済んだ後に聞き手が発する単語だということは察しがつきます。おそらくは「どうも」という意味なのでしょう。しかし、「大変興味深いご意見をありがとうございました。それでは、どなたか他に、ご意見はございませんでしょうか」とか「すみませんが、もう少しわかりやすくおっしゃっていただけませんでしょうか」というような長い文章は、どうやら聞かれなかったように思います。

それと、初めてエスペラントを聞いて気づいたのは、語彙に関して、英語とドイツ語とスペイン語の知識が多少あれば、その応用編のような形で、何となく(今こういう話題について話しているらしい)などと想像がつくということです。よくエスペラント入門書などに「4時間で覚えるエスペラント」などと題されていることがありますが、私が(じゃ、やめとこか)と感じるのは、実のところ、「4時間で」などと書いてあるからです。(人間の言語行為をそんなに単純化してしまっていいの?)と思わされます。

それに、新しく学ぶという点で同じ努力をするなら、ヘブライ語ギリシャ語を始めたいところですし、実際的には、むしろドイツ語とスペイン語を上級レベルに引き上げる方に精力を傾けたいと思ってしまいます。エスペラント学習を躊躇させるのは、ただでさえ、マレー語で話そうとすると、どういうわけかドイツ語かスペイン語の短い単語が時々入り混じってしまい、スペイン語で話そうとするとドイツ語やマレー語の単語が浮かび上がってくるという妙な癖に悩まされ、なまじ同じアルファベットのせいで、文法もスペルも崩れかかって修復に苦労しているのに、これ以上、‘簡単’でどこか似たような言語を学んだら、どういう恐ろしいことになるかと思っているからです。

以前読んだエスペラント関連の本には「危険な言語エスペラント」とか「異端視され、なかなか理解されないエスペラント」などと説明されていたように覚えています。「希望」の意を持つ言語名に反して、どうもネガティブなニュアンスが伴う気の毒な言語です。その理由は、よく言われる「人工語」だからではなく、恐らくは、一定の思想や運動を伴う言語活動だからだと思うのです。その点、どうぞ誤解なきよう。

ところで、新渡戸シンポ当時、マレーシアの新聞からずい分前に切り抜いておいたエスペラントの記事をどこに保存してあったか、気になっていました。昨日、マレーシア製のごつごつした事務用ファイルを6冊取り出して、言語関係の新聞スクラップを一枚ずつ確認していったら、なんと3つの記事が見つかりました!

(少しだけ自慢話をお許しください。2006年6月中旬、京都大学名誉教授で今は龍谷大学に勤務されている社会人類学者の加藤剛先生から、突然、マレー語のローマ字表記について、確認の質問メールをいただきました。‘こんな偉い先生がどこをどう間違って私なんかに問い合わせメールを??’とびっくりしたのですが、同時にどこかで見ていてくださっていたんだなと、うれしかったです。マレー語と英語の関係およびイスラームキリスト教の問題に関する限り、90年代の「古い」情報を自前で保存しているところに、インターネット全盛時代における私の存在価値(?) があるかもしれない、と密かに自負していたので…。加藤先生は、コーネル大学で学問的訓練を受けられた非常に聡明で優秀な方ですが、同時に、いつまでも若々しく柔軟で青年のような心をお持ちの魅力的なシニア紳士でもいらっしゃいます。調べた結果をご報告すると「さすがは餅屋は餅屋というか、とにかく圧倒されました」と最高級のおほめの言葉を賜り、思わず部屋の中で飛び跳ねてしまいました。←単純だね。論文発表の方が大事だよ。)

今日のところは、最も古い記事を、英語版はてな日記(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/)に書き写しておきましたので(ただし、一部省略)そちらをご覧ください。マレーシア国内でのエスペラント・キャンペーンの状態が垣間見えるかと思います。その後、どうなったかというと、残念ながら、どうもあまりパッとしない気もします。電子版のマレーシア新聞(英語2種とマレー語3種)を検索で調べてみましたが、過去記事にも、エスペラント運動の報告がないようでしたので...。

では、当該記事を検討してみましょう。中国でエスペラントの習得者が多いことは、全人口の割合から考えなければならないと思いますし、どういう人々が運動家なのか、背景を知る必要があろうかと思います。さらに、マレー語とエスペラントが似ているというのは、私に言わせれば嘘です。この方は、機能面を重視するあまり、現実の言語意識を無視しているように思われます。もっと言えば、失礼ながら言語学の基礎教養があまりないようです。

最後の「パスポート」の話は、休憩時間にS子さんもおっしゃっていました。ただ、例えばロータリークラブの会員が国際交流の一環として相互にホームスティをしているのと、実質面でどのように違うのか気になるところです。また、正直なところ、学生時代から20代の独身時代までならば、外国の他人のおうちに無料で泊めてもらうシステムを利用することに遠慮がないのですが、世帯持ちになってしまうと、ちょっといろいろ考えてしまいます。ことばは通じるとしても、性格や暮らしぶりなどが合うかどうかなど…。普段使わない気を使ってしまい、かえって疲れたりして...。いったん自己の生活型ができてしまうと、外国の旅では、むしろホテルで落ち着いてゆっくりと休む方が、充実した時を過ごせるように思います。

と、ここまで書いてきましたが、続きはしばらくお休みとさせていただきます。早朝、主人の兄から電話があり、主人のたった一人のいとこが、まだ30代半ばという若さで、ガンのため急逝したとの連絡が入りました。都市在住でしたが、ご両親の出身地である山奥の田舎(主人の母の故郷)で見送るとのことです。今日一日、なすべきことを済ませ、私もできればお手伝いに行きたいと思っています。