ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

杞憂ならば...

広島、長崎の原爆記念日。そして、東日本大震災の被災地の状況...。
昨日の続きを少し補足追加します。誤解なきよう申し添えますと、ささやかな私なりの好みと印象を綴っているまでで、もちろん、異なる立場や見解の方達を断罪するということではありません。
これら一連の話をすると、主人が「なんかそれ、旧社会党共産党の人が言っているみたいだな」と。実は、昨日挙げた文献資料にも、三名の方が、似たようなコメントを出されていました。
そのうち一人は、私も学生時代からお名前だけは存じ上げていた、いわゆる「赤い牧師」赤岩栄氏の辿った経緯を、現状の先駆け事例として、痛ましい思いで綴っていらっしゃいました。カール・バルトマルクスの思想を両刀使いのように二本立てで実践された揚句、キリスト教会がキリスト教会として成立不能に至ったということのようです。
もう一人は加藤常昭先生で、率直なだけに温かくユーモラスな口調で「奇妙なことに共産党を思い出しました。」「前衛として、これを指導するのだという意識は明瞭でした。皆態度は紳士的であり、丁寧な言葉で接してくれましたが、そこに見え隠れする優越意識は時に閉口するほどでした。」(芳賀力(編)『まことの聖餐を求めて教文館 2008年 p.247)と述べられています。
これはまさに、私自身も途中で(あれ?もしかして?)と、感じたところと直結します。
三人目の方は、まだよく把握できていない点があるので、控えさせていただきますが、本質が崩壊するのではないかとの危機感を抱いていらっしゃる点では、いずれも共通しています。
どのような思想を持つかは個人の自由です。ただ、私が感じたのは、(それなら別にキリスト教じゃなくてもいいのでは?)(今では、NGOの方が遥かに専門性も高く資金力もあるのでは?)ということで、従って徐々に、主人が言ったような「気が抜ける」感覚を抱かされるようになったということです。

以上、杞憂ならばいいのですが。