ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ヒラリー・ハーンのリサイタル(1)

行ってきました!ヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタル。午後2時から、兵庫県立芸術文化センターです。
詳細は、後でゆっくり書くこととして、まず第一印象から....。
さすがは世界中で評価が高い方だけあって、目に強い力がこもった愛らしい顔立ちでありながらも、非常にゆったりと落ち着いて安定感のある温かく深い演奏でした。パフォーマンスばやりの昨今ですが、それとは全く対照的に、わくわくした高揚感や体内で音が跳ね返るような感覚というのではなく、静かに耳の奥でいつまでも音色が繰り返し響いているような体験を与えてくださった演奏会だったと思います。
衣装がまた気品にあふれていて、舞台の上では髪の色と同色に映るような、茶色のシンプルなオーソドックス・スタイル。太めの同色のリボンをウエストの右前で蝶結び。フレアースカート全体にちりばめられたラメ入り刺繍のような模様飾りが、照明に当たってキラキラ輝くすてきなドレス。彼女のCDジャケットは、正直なところ、あまり好きではなかったのですが、これなら、年齢的にも雰囲気の上でもよく合っているのではないか、と思いました。
演奏中も、知名度の高いアジア系演奏家がやるような、顔の表情を大袈裟にしたり、これ見よがしにテクニックを振りかざして「どうだ!」と言わんばかりの格好をするというような、余分なものが一切なかったので、非常に好感を持ちました。こういうスタイルこそがいいのだということを、もっと業界の方達は広めていただきたいものです。
ちょっと残念だったのは、ピアノ。これまたすごいテクニックの方だと思うのですが、私が感じたのは、ピアノの音がちょっと大き過ぎないか、出過ぎていないか、ということです。普段は、CDやラジオでばかり聴いている曲なので、「こういうものなんですよ」と専門の方はおっしゃるかもしれませんけれども、私にとっては、少なくとも、江口玲氏とギル・シャハム氏、ロバート・マクドナルド氏と五嶋みどりさんのリサイタルで体験した限りにおいては、もっとピアニストがヴァイオリンを立てて、控えているところに輝きが増すのではないか、と感じたのです。「あのピアニストは相当の方だね」と言えるのは、やはり、一歩下がって引き立て役を演じていらっしゃるからではないかなあ...。素人なので間違っているかもしれませんが、ちょっとそんなことを感じました。
一つには、視覚的な問題があります。ヒラリー・ハーンが落ち着いた品のいいドレスだったので、金髪の伴奏者が、この寒いのに背中を広く開けた真黒なドレスで出て来られると、(ちがう、ちがう、主役はこっちなんですけど)と、目のやり場に困ってしまう、ということです。それに、舞台袖に戻る際の歩き方も、ヒラリー・ハーンは堂々と背骨をまっすぐにしていくのに対し、ピアニストが手をぶらぶらさせているので、(二人はどのぐらい組んでいるのだろう?それとも、日本基準に合わせて、急遽、レベルを下げたのかなあ)などと考えてしまいました。
と、思っていたら、休憩時間にご年配のおば様達が、「ピアノのフォルテがねえ」と喋っているのを小耳にはさみました。また、主人が後で、「あれ、無伴奏でもよかったんちゃう?って言ってたおじさん達が後ろにいたよ」と教えてくれましたので、それほど外れてもいなかったのかも...。
前に、小菅優さんと庄司紗矢香さんのリサイタルが、同じ兵庫県立芸術文化センターで開かれた時にも、似たような感触を持ちました(参照:2007年7月4日付「ユーリの部屋」)。つまり、どちらも群を抜いた才能の持ち主で人気も評価も高いのに、その二人を女同士で合わせてしまうと、どこか(ん?)と感じさせられてしまうという...。もっとも、この時には、小菅優さんが、何度も紗矢香さんを振り向きつつ、随分気を使っての演奏でした。また、袖に戻る時も、「すごかったじゃない、どうしてあそこまでできるの?」という感じで、小菅さんが紗矢香さんを称賛している姿が目に何度も入りました。ただし、この時のドレスも色違いの同型をわざわざ演出するなど、強い個性が並ぶと、かえって互いにはじき飛ばしてしまうのではないかなあ、組み合わせや演出を採算と合わせて考えるのも、エージェントの力量如何なのに、と思いました。もちろん、だからといって、いずれも演奏会が失敗だというのでは全くありません。そうではなく、ここのホールには、特に最近、すごい演奏家達が次々来てくださるけれど、こういう感触を一度持ってしまうと、ポスターを見ても、出かけるのを少し考えてしまう、ということです。
ただ、これも本当に、内情はわかりません。私が勝手に感じている的外れなものかもしれないと思っています。
というのは、サイン会があるというので、アメリカ出身の若手ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンなのだから、やっぱり現代作曲家バーバーのヴァイオリン協奏曲でサインをいただきたいと思い、ものすごい長蛇の列をコートを着たまま並んで待っていました。(バーバーは、ギル・シャハムの演奏で持っています。参照:2007年7月28日付「ユーリの部屋」)待ち時間には、本を読んでいる人もいるようなホールです。私は、買ったばかりのCDの解説書を読んでいました。
さて、サインをいただく番が来ました。アシスタントの日本人女性が、「お二人のサインですか、一人ですか」とわざわざ尋ねられたので、思わず、「お二人です」と、ピアニストにはプログラムを、ヒラリー・ハーンさんにはバーバーと彼女のために作曲されたエドガー・メイヤーの協奏曲(世界初録音)が入ったCDのご本人の解説欄(日本語訳)を、と差し出したつもりでした。ところが、気づいた時には....
どうしてそういう成り行きになったのか、手がすべってしまったのか、ピアニストのヴァレンティーナ・リシッツアさんが、見かけによらず、とてもかわいらしい細く高い声で、うれしさ満面の笑みをたたえながら“Thank you!”と、ヒラリー・ハーン自身による解説書の方に、自分の名前を書いてしまったのです。(あら!)と思った時には、後の祭り。隣に座っていたヒラリー・ハーンさんに、言葉を交わす余裕も失せてしまい、慌てて、後ろの白紙ページにサインをいただき、“Thank you very much”と言うのが精一杯。
じっと顔を上げてまなざされましたが、普段の私だったら、そこで何かお礼を述べていたのになあ。「温かく深い音色に感銘を受けております」などと。もっとも、若い気さくなアメリカ人らしく、何やらベラベラとマネージャーらしき女性(足を組んで態度がいまいちだった)としゃべりながらの作業でした。
私の後ろにもまだまだ長い列。ただ、みどりさん、庄司さん、小菅さん達のような日本人演奏家の時と違って、カメラを向けている人は、ほとんど見かけませんでした。
駅の方に向かいながら、ふと感じました。あのヴァレンティーナ・リシッツアさんは、ヒラリー・ハーンと今回ペアで日本の演奏旅行ができたことが、うれしくてたまらなかったのかもしれない、と。舞台上では、以前タシュケントの空港で見かけたような、ごついロシア系金髪女性を思わせるような印象だったので、ついこちらも、第一印象だけで厳しい感想を持ってしまったのだけれど、本当は、この不景気のご時世に演奏会場へ足を運んだ人々を、温かく受け入れていたのかもしれない、と。
この方のピアノのソロ演奏を、今後、聞いてみたいものだと思いました。
う〜ん、それにしても、「サイン事件」によって、私の中では、何だか、立派な料亭で食後にぬるいお茶漬けを出されたかのような感じになってしまいました。サインといえば、実は、ギル・シャハム氏から直々にいただいたCDサインが、いつの間にか消えてしまっていたのです。何度も聞いていたので、機械の熱で蒸発してしまったのでしょう。これほど悔しいことはありません。ですから、今回は念を入れて、解説書の方にサインしていただくつもりだったのに....。どうも、うまくいきませんねえ。

演奏会の様子は、明日にまた書かせていただきます。