ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

片付けものをしながら

昨日は、メモや資料などの整理をしていました。対照的に、インターネットの時間が減ります。そうしないと、なかなか片付かないからです。
古い読書ノートを見ていると、よくこんなにもあれこれ読んだものだ、と我ながら呆れ返ります。特に、2007年3月にイスラエル旅行から帰った後は、2ヶ月ぐらいかけて、真剣にさまざまな立場の本と論文を集中的に読んで、ノートを作りました。これだけ勉強したなら、もっと論文が出ていても良さそうなものなのに....。
昨朝いただいた知り合いの聖書翻訳者のM先生からのメールに、こうありました。「イスラムとの交流は大切です。でも、自分たちの信仰には、聖書のみことばに立って生きていかないとむなしいです。」
M先生の場合、病気になられても、ビザの可能性が閉ざされても、不思議なように最適な時に、再び、現地語で聖書を必要としている共同体から招かれて、元の場所に赴かれているのです。あ、ムスリム地域じゃありませんよ、誤解なきよう...。
マネス・スペルベルが次のように言っています。
「聖書はユダヤ人たちの故郷です。聖書とその約束がなければユダヤ人は滅びていたでしょう。私たちは、滅びることのなかった唯一の民族です。何度打ちのめされようとも、決して真の意味で制服されたことはありませんでした。それは、大部分が聖書のおかげなのです。私たちは、身に担うべきものを、心の中にもっていたからです。それは、もともと失われるということがないものですから、失われずに残ったのです。それは、この先永遠に存在するものでもあります。」(「暮らしの中に織り込まれて」ハンス・ユルゲン・シュルツ(編)田口義弘ほか(訳)『私にとって聖書とは教文館1992年)p.245)
だとしたら、もっと自信を持って自分の勉強と研究テーマに打ち込んでもよさそうなものです。
さて、ここ2日ほど聴いているCDは、近所の図書館から借りてきた次の3枚です。
・『プリモ PRIMO 神尾真由子デビューヴァアディム・グラドコフ(ピアノ)BMG Japan2008年
チャイコフスキー国際コンクールで演奏された曲も含まれていますが、特におもしろく聴けたのは、シマノフスキ(1882−1893)の「神話〜3つの詩 Op.30」(アレトラーザの泉/ナルシス/ドリア−ドとパン(牧神))、そしてストラヴィンスキー(1882−1971)の「イタリア組曲」です。
・『シューマンマーラー編)交響曲第1番第3番他ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団/リッカルド・シャイー(指揮)DECCA2007年
N響アワーでおなじみの「春」(Op.38)と「ライン」(Op.97)です。
・『フルトヴェングラー交響曲第2番ワイマール・シュターツカペレ/G.A.アルブレヒト(指揮)BMG2003年
2枚入りです。コンサート会場で演奏されるとしたら、客層はロマンスグレーの落ち着いた人々だろうと想像されるような曲です。BGMにも案外合うので、片付けものをしている時など、最適です。