「予備軍は100人以上確保」
昨日の補足をすると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180722)、奈良の興福寺に隣接する地には、1930年に設立されたという聖公会の教会があった。和風建築の教会ということで名高いが、似たような教会は、京都の伏見でも見かけたことがある。やはり聖公会だったと記憶する。いずれも幼稚園が併設されていた。
思うに、戦前と戦後では、来日宣教師の質が異なっているのかもしれない。私の好みでは、戦前の方が良かった。戦後は、「敗戦国の民族に原罪意識を植え付けて、二度とアメリカに立ち向かえないようにする」という戦略がミエミエのところがあって、どうもいただけない。
戦前には、このような場所に教会を建てるなどとは、相当の熱意がなければできないことだ。
ところで、教会の壁に「子供達の目線で」という意味の説明書きが提示されていた。それはよいとしても、その隣の建物が「女性センター」で、「おひとりさまの不安を解消」云々と書いてあったのには、うんざりした。
「子供達と同一目線」で活動した先に、「おひとりさま人生」が待っていて、「女性の目線で」助言をするのだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100303)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151216)?
そもそも、「おひとりさま」になった理由は、男女雇用機会均等法を真に受けて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161230)、男女が平等に社会で活躍すべきであるという信念で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151207)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160313)、勉強に仕事に頑張った末のことではないか?
中には、本人の責任ではないが、家族や環境が不適切なために、婚期を逃したり、巡り合わせがなかった事例も含まれるだろう。だが、そのような人の場合は、最初から自覚があり、周囲もそれなりに配慮するので、「おひとりさま」を公言することは控えるように感じられる。
「自分の人生は自分で責任を取る」「女性も仕事を持って自立を」という呼び掛けに素直に応答して実践した結果、最終的に個立もとい孤立してしまったとしたら、どうすればよいのだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170111)。
他人事ではない。私だって、危うくそうなりかけたのかもしれないからだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)。
私の周囲には、まだ結婚せずに、忙しく大学で教え、休みの日には、女の海外一人旅をしたり、高級ホテルのおひとりさまコースを堪能したりしている女性達が少なくなかった。研究者等は、お目が高いというのか、若い頃から一直線に人生目標を達成することでプライドを満たしてきたタイプが多い。若い頃には「結婚は、したくなったらすればいい」「仕事をしている姿が、女性は最も美しい」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160825)と無責任なことを言い、仕事がおもしろくて夢中になっているうちに、時は流れ、いざ結婚しようかと思った時には、条件その他で「相手がいない」という事になってしまう。
「結婚のために仕事を辞めることはない」と最初から言われてしまうと、(だったら、もっと若い時に候補者を確保しないと)と思ってしまう。
私が男だったとしても、そんな自我中心タイプの女性とは一緒になりたくないですね。
「生涯を共にしたい」と感じられる瞬間があるかどうかが大切だ。
さて、「おひとりさま」対策に関連して、以下の八幡氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C8%AC%C8%A8%CF%C2%CF%BA)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Yawata+Kazuo)の提言は、実は我々一般国民の家系のためにも、充分に応用可能ではないだろうか。換言すれば、傍系の高円宮家はともかくとしても、天皇家が今大変な状況にあるのだから、一般国民の場合、それを遥かに上回って好調とも言い難いのではないだろうか。
戦後の憲法のために、突然他国民によって与えられた「自由」と「個の尊重」のために、学校でも基本を教えることがなかった。少なくとも私の世代はそうだった。そのツケが、今このように誰の目にも否定できない現象として表われていると言えるのではないだろうか。
(http://agora-web.jp/archives/2033844-2.html)
「皇位継承予備軍は100人以上確保しないと危険」
2018年7月21日
八幡 和郎
・危機的状況に早く取り組むように提言したが、当時はそういう議論が雅子妃にプレッシャーをかけるからダメだという頓珍漢な人までいて対策が遅れた。
・「女帝・女系容認」「男女問わず長子優先」という極端にラジカルな報告がまとめられ、皇室室典範改正が強行されようとした。
・皇族や旧宮家の意見は無視された。のみならず、三笠宮寛仁殿下が批判的な感想を漏らされたら宮内庁長官から注意されたり、懇談会の委員だった岩男寿美子氏が、外務省の後援を受けた英文誌で殿下を「時代錯誤の考えには驚くほかない」と批判する事件まであった。
・竹田氏は、4つの宮家を常に置いておくと言うことを提案している。それは、11宮家のうち存続しているものをすべて復活させるとか、現在の当主を宮様にするというのでなく、適当な若い男子をもって選び出せばいいのではないかという意見だった。
・①従来のルールによる男系男子の原則でなんとかならないか努力をして、どうしてもうまくいかないならということでないと女系に求める正統性がない
②女系という場合には、今上陛下の四人の孫に限定する理屈は恣意的で、少なくとも明治天皇の子孫はすべて候補をすべきだ
③皇位継承を将来ともに安定させるためには、男系論・女系論が対象としている今上陛下の三人の女性の孫とか、旧宮家嫡系男子だけでは人数が付属しておりもっと広く予備軍が必要だ
④男系でも旧宮家の分家(戦前に臣籍降下)や皇別摂家(江戸時代に皇室から養子に出た人たちの子孫)まで含めて予備軍と考えるべきで、そのために、男系女系すべての公式名簿を皇統譜別表として作成すべきだ
(部分抜粋引用終)
2018年7月28日追記:『新潮45』(2018年8月号 pp.63-73)に、上記の八幡論説に関して、詳細なインタビュー記事と論考文が掲載されている。
また、村上政俊「「女系」から見た今上天皇」(pp.74-81)は、さらに興味深い論考文である。
簡潔にまとめると、今の天皇陛下には、織田信長と徳川家康の血が流れているが、豊臣秀吉は入っていない。さらに古くは、蘇我馬子や藤原道長の血も入っているが、天武天皇は入っていない。他にも、平清盛や石田三成や明智光秀や徳川秀忠の血が入っているが、東福門院は入っていないという。
このような話を中学生の頃から聞いていれば、日本史の骨格が浮き彫りになり、日本の特徴が自然と浮かび上がってくる。また、自分自身の家系を考え、結婚を意識するような年齢になった時にも、より確固たる態度が取れるだろう。
ひいては、子を持つ親にとっては、自分を通して子孫代々引き継がれていく血を考えて、世の中における自分の位置づけが明確になると同時に、育て方もおのずと厳粛になることだろう。
逆に言えば、存在する必要のない血は、自然淘汰されていくのだろう。
子供達は、それぞれ分に応じて精一杯、受け継いだ血を大切にし、自分勝手に処分してはならないことを学ぶだろう。