ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

皇族方の真実こそ国史の中軸

過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160107)に書いた竹田恒泰語られなかった皇族たちの真実−若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」小学館文庫2011年)が、秋月瑛二氏によって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%B7%EE%B1%CD%C6%F3)、二年の間隔を置いて二度綴られていた。以下抜粋を。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1541359.html


2008/06/23


竹田恒泰・語られなかった皇族たちの真実(小学館、2006)


・聖旨伝達−1945年8月の終戦詔勅後に、朝香宮支那軍、竹田宮は関東・朝鮮軍閑院宮は南方総軍の現地へ「特使」として出張して、詔勅のとおりに混乱なく終戦(敗戦)を受容させるべく詔勅を「伝達」した。残る東久邇宮(稔彦)は首相となった(p.143-)。


・御陵差遣−1945年10月、昭和天皇はご自身で敗戦報告と請願のために神武天皇明治天皇大正天皇の御陵に参拝したいが、残る一二〇の歴代天皇の御陵には各宮で代拝してほしいと言われた。高松宮は関西、三笠宮は九州、朝香宮は大阪、東久邇宮(盛厚王)は京都、竹田宮は四国・淡路島、閑院宮は奈良の各地域の陵墓を分担して代拝した(p.152-)。


・著者・竹田恒泰明治天皇四世の孫で、現在の皇太子・秋篠宮と同じ世代。「私の世代には八人の未婚の男系男子がいる。この八名は各々が身の内に責任を感じるべきであると私は思う」とある(p.232)。また、「私の一つ下の世代に、賀陽家に二名、東久邇家に一名、合計三名の男系男子がいる」らしい(p.232)。


竹田恒泰明治天皇四世の孫と言っても、明治天皇の第六皇女・昌子(竹田宮恒久と婚姻)の曾孫なので、明治天皇との関係ではたぶん男系男子とは言えない。


・旧竹田宮家そのものがいずれかの時点で皇統から分かれた家系で、竹田恒泰の曾祖父である竹田宮恒久が天皇家の血統の男系男子だからこそ竹田恒泰もそうなのだと思われる。


1906年に北白川能久親王の長男の前記竹田宮恒久が創立した宮家だ。そして、北白川宮家とは伏見宮家第一九代邦家の子・智成が1870年に初代となって創立し、上記能久親王は智成の弟で、第二代になる。


伏見宮家とはかつては最古の世襲皇族で、北朝第三代の崇光天皇(九三代後伏見天皇の孫)の子の栄仁親王が初代、栄仁親王の孫は一〇二代・後花園天皇(現在の天皇の直系の祖先)で、その弟の貞常親王伏見宮家第三代だった。初代栄仁親王から皇籍離脱したときの二四代博明王(前記一九代邦家親王の四世の孫)まで「550年も」続いたらしい。


・皇統の危機が語られたのは、紀宮清子内親王(現黒田姓)以降、現皇族内で誕生されたお子さまがつづけて9名も内親王(女性)だったことによる(p.27参照)。


・9名続けて男女どちらかが連続して生まれる確率は1/2の9乗で1/512=ほぼ0.2%にすぎない。


・歴史は決して<必然的>なものではない

(部分抜粋引用終)

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1541714.html


2010/04/04


竹田恒泰 語られなかった皇族たちの真実(小学館、2006)


室町時代北朝天皇崇光天皇今上天皇が125代とされるその間の代数には含まれていない)の遠い子孫(男系)


明治天皇の玄孫だとの意識の方が強いと思われ、かつそのことを彼は「誇りに思っている」


竹田恒泰の父方(・祖父方)の曾祖母は明治天皇の第六女・昌子内親王


・女性を介して、彼は明治天皇の血を引いている


崇光天皇の孫の貞成親王が、今上天皇との共通の祖先


・今上陛下は、男系でのみたどって、明治天皇の曾孫


・男女(息子と娘)の違いを無視すれば、今上天皇陛下と竹田は、明治天皇の曾孫と玄孫の違い


・最も近いのは<東久邇宮>家だ。男系では、他の宮家と同じく、崇光天皇の子で<伏見宮>家の祖の栄仁親王の子の上掲・貞成親王後崇光院、1372〜1456)が今上天皇との共通の祖先になる。


・<伏見宮>家から分かれた(伏見宮邦家の子の)<久邇宮>朝彦の子で<東久邇宮>家の初代となった東久邇宮稔彦(元内閣総理大臣)の妻は明治天皇の第九女・聡子(としこ)内親王だ。その二人の間の子どもたち、さらに孫・曾孫たちは、明治天皇の(女性を介しての)子孫でもある。


東久邇宮稔彦と聡子の間に生まれた長男の盛厚は、昭和天皇の長女の成子(しげこ)と結婚している。従って、盛厚・成子の子どもたちは、昭和天皇の孫であって、現皇太子・秋篠宮殿下(・清子元内親王)と何ら異ならない。母親は、今上天皇陛下の実姉、という近さだ。


・将来については<女性>を配慮し、過去については<女性>の介在を無視する、という思考方法上の矛盾


・「女系」では、昭和天皇、そして明治天皇に「血」が明確につながっている旧皇族旧宮家)もあるのだ。


北白川宮家と朝香宮家も、明治天皇の皇女と結婚したという血縁関係がある。


・4つの宮家以外は、明治・大正・昭和各天皇との間の<女性>を介しての血縁関係はないようだ。やはり、男系でのみ、かつての(室町時代の)皇族の「血」とつながっているようだ。

(部分抜粋引用終)