ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

夏越祭・献血・横山大観展

話は前後する。先月末、二度目の夏越祭に行ってきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170630)。
今年は土曜日で、前日の不安定な雨模様とはうって変わり、晴天だったので、目算で100名ほどの老若男女がぎっしりと集まっていた。
神主さんも嬉しそうで、満面の笑み。昨年の禰宜さんは確か青い装束だったと記憶しているが、今年はお二人とも白い装束に黒の浅沓を履いていらした。また、「神職が唱えますので」という説明もなく、お二人が見事に補完された形で一緒になさっていた。
自祓いは、私の場合、なぜか回ってこなかったので省略させていただいた。目の前に立派な玉串が供えられてあり、威厳を感じた。
おもしろかったのは、昨年とは神主さんの説明が多少違っていたことだった。備後国風土記に記された言い伝えが元になっている茅の輪くぐりの神事について、「備後の国ってどこかわかります?」「今の広島の福山です」と。また、『古事記』の三貴子のお話もあり、三柱の天照大神素盞嗚命と月読尊が改めて紹介された。

以下は、北海道にある神社に奉職されている方の説明である。以前、「解放の神学」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%F2%CA%FC%A4%CE%BF%C0%B3%D8)の解説をされていて(http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20070510)、今の神職の試験では、キリスト教マルクス主義化についても出題されていることを知って感銘を受けたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/comment/20170523)、引用させていただく。

http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20180701


・夏越の大祓(水無月の大祓とも云います)は、「その年の、元日から6月末日までの半年間の罪穢れを祓うと共に、残り半年間の無病息災を願う神事」として、宮中や全国津々浦々の神社で広く斎行されてきました。
歴史的には、後述する“蘇民将来伝説”に絡んで、夏に流行る事が多かった疫病を防ぐための神事としても執り行われてきました。
大祓詞を宣る
宮司が、神様の鎮まっておられる本殿に向ってではなく参列者と対面しているのは、通常の祝詞が人から神様に対して感謝やお願い事を申し上げる「奏上」という形を採るのに対し、大祓詞は、神様が人の口を使って人に対して述べられる「宣読」(宣る、宣う)という形を採っているためです。
大祓詞は、神様を奉ったり神威発動を期待する祝詞ではなく、唱える事に重きを置き、それによって清浄さを招いて、ひいては良い結果をもたらそうとする、祝詞・祭詞等の中では実はかなり例外的で特異な祝詞なのです。
・切麻で自己祓い

(引用終)
(ユーリ注)文末の「切麻で自己祓い」は、ご近所の神社では「自祓い」とされていた。

三十分きっかりで終わるところが、人気を集める工夫なのかもしれない。これが一時間だと長過ぎる。また、氏神としての役割から、細かな強制がないのもいい。実はこの神社は1300年以上の歴史を有し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080419)、聖徳太子像も保存されているらしい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180329)。
足腰を鍛えるにもよい場所であって、中高生がクラブ活動でストップウォッチ片手に走っている時もあり、私のように日課として上り下りしている中高年も多い。
ところで、先月上旬にお掃除をしていた禰宜さんに、大和言葉で「なごし」と読むのだと注意されたが、しばらく国文学から離れていた間に、すっかり読み間違えたことに、顔から火が出るほど恥ずかしかった。だが、もう一件、自分の言葉について恥ずかしいことが発生したのだった。

七回目の経験として、夏越祭の後、町内を無料で走るワゴン車を往復利用して、献血をしに行った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180628)。すぐに手続きが済み、帰りの時刻にもぴったり間に合って、献血後の貧血目眩の心配もなく、非常にスムーズに行った。
ところが、大失敗その二。
献血をテーマにした俳句を三つ作る応募葉書がついてきたので、喜んで考えていたのだが、気がついたら脳内で自動変換してしまい、季語なしの無季俳句になってしまった。これではまるで標語ではないか!
仕方がない、もう送ってしまったのだから、諦めよう。

さて、7月1日には、横山大観展京都国立近代美術館)の前期を見てきた。
阪急バスとJRと京都地下鉄と京都市営バス阪急電車をフル利用しての往復だった。
横山大観といえば、偶然だったが、立派なお墓を拝見したことがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100329)。
大勢の人々で賑わっていたが、大変に疲れた。その理由は三つあり、(1)作品の解説が、多少人を食ったような斜に構えたような文章だったこと、(2)館内のレストランの料理の匂いが作品を展示している場所まで漂ってきたこと、(3)集まった人々にも口臭を全く気にしないケースが多々見られたこと、である。