ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

高円宮家絢子女王殿下の御婚約

今日は午後三時からきっかり13分間、NHKテレビで記者会見を拝見した。
落ち着いていて、雰囲気もお色合わせもお似合いの雰囲気だった。
それにしても、高円宮妃久子殿下の手腕は素晴らしい。今の時代にあって、素直に応答されたお二人も、大変にお見事だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180629)。
三笠宮崇仁親王殿下には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171013)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171202)、最もお若い孫娘様でいらっしゃるので、御父上と御一緒にお慶びのことであろう。

The Japan Timeshttps://www.japantimes.co.jp/


Japan’s Princess Ayako says she and fiance Kei Moriya hit it off from the start
by Sarah Suk(Staff Writer)
2 July 2018


Princess Ayako, a daughter of a late cousin to Emperor Akihito, said Monday she hit it off with her husband-to-be Kei Moriya from the time they first met last December at the introduction of her mother, Princess Hisako.
Also Monday, the Imperial Household Agency said the 84-year-old Emperor fell ill earlier in the day, experiencing dizziness and nausea due to cerebral anemia, a condition where there is insufficient blood flow to the brain. His public duties for the day were canceled.
The 27-year-old Princess Ayako, the third and youngest daughter of Princess Hisako and the late Prince Takamado, made the remark at a joint news conference with Moriya at the Imperial Household Agency, held several hours after the agency formally announced their engagement.
In the morning, the princess and her mother paid a call on Empress Michiko, but the Emperor did not attend, according to the agency.
“I am worried that the Emperor is not feeling well, but I was able to meet with the Empress and receive warm, cordial words from both their majesties,” Princess Ayako said, adding that she wants to keep the content of their message to herself.
She is set to marry Moriya, 32, in October. He works for shipping firm Nippon Yusen K.K., also known as NYK Line.
“I met Mr. Moriya for the first time in December last year, and I remember that our conversation got so lively that it didn’t feel like we had just met and that I had so much fun that I forgot about time,” said the princess, who serves as honorary patron of the Canada-Japan Society, a public organization that promotes mutual understanding and friendship between Japanese and Canadian nationals.
Shortly before the introduction, Princess Hisako was reunited with Moriya after a 10-year hiatus at an event commemorating the 20th anniversary of the Tokyo-based nonprofit organization Kokkyo naki Kodomotachi (Children Without Borders), for which his late mother, a long-time friend of Princess Hisako, had served as an executive board member. Moriya is currently a board member.
“As I met him many times, I became attracted to his kind, smart and decisive nature,” Princess Ayako said. “I don’t know what my mother’s intentions were in introducing him to me, but as the two of us went to various places together and shared our time and memories, we became naturally drawn to each other. I think we were able to come this far thanks to the wonderful ties started by our mothers.”
Moriya, a commoner and graduate of Keio University in Tokyo, said his first impression of Princess Ayako was that she was “bright and positive” and as he got to know her better he was drawn to the way she engages with anyone with warmth and kindness.
“I also felt we grew closer as she expressed understanding toward the emotional impact of suddenly losing a parent,” he said, referring to the death of his mother, Kimie, in 2015. Princess Ayako’s father passed away in 2002.
Moriya refrained from disclosing what he said in proposing to her, but the princess revealed it occurred this year after the two dined at a restaurant.
“It was so sudden that I couldn’t give my answer right away,” she said. “But as our relationship developed, also involving our families, friends and acquaintances, I thought he was the one for me and gave a positive response in April.”
The couple will become officially engaged in a traditional court ceremony called Nosai no Gi on Aug. 12, and their wedding ceremony is planned for Oct. 29 at Meiji Jingu Shrine in Shibuya Ward, Tokyo.
Under the Imperial House Law, a princess loses her Imperial status if she marries a commoner.

(End)

産経https://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020024-n1.html
2018.7.2


守谷慧さんの父、治さんのコメント 「この度、女王殿下とのご内定をいただきましたことにつきましては大変畏れ多いことであり、有難きことと感謝申し上げております」


宮内庁の山本信一郎長官のコメント 「絢子女王殿下には、成年皇族として、多くの公的なご活動に心を込めて取り組まれてこられました。また、高円宮妃殿下のご活動をお支えになるなど、これまで女王としてのお役割を十分に果たしてこられたものと存じます。守谷慧氏は、絢子女王殿下のご結婚のお相手にふさわしい誠に立派な方であり、本日お二方のご婚約がご内定になりましたことは、私どもにとりましても喜びに堪えないところでございます。この度のご婚約ご内定に当たり、心からお祝い申し上げますとともに、お二方の末永いお幸せをお祈りいたします」

(引用終)

産経https://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020023-n1.html
2018.7.2


高円宮妃久子さまは2日、絢子さまと守谷慧さんのご婚約内定にあたり、宮内庁を通じて「ご感想」を発表された。全文は以下の通り。

 出会いからあまり時間が経っていないのですが、二人でしっかりと意思確認をしており、相性がとてもいいように感じます。
 ご家族での海外生活も長く、ご本人も留学と海外勤務を経験していらっしゃいます。また、ロンドンで活躍されていたおじい様の守谷兼義氏は、里の父と同様、海外にて日本の戦後の復興のために真摯に努力しておられた方です。
 そのように考えると、カナダへの留学を機に、国際交流の重要性に気づかれた宮様もお喜びと存じますし、二人の経験してきた様々なことが、将来、国際交流や福祉、スポーツ、教育など宮様が大切にされていたことに繋がっていくのかもしれません
 私としてはご両親を存じ上げており、亡くなったお母さまの、深い愛情をもって世界の子供たちと接するお姿を思い出すと、そのお母さまに育てられたご子息はしっかりとした価値観をもつ優しい青年であろうと思い、結婚に賛成いたしました。
 良いご縁と喜んでおります。

産経https://www.sankei.com/life/news/180702/lif1807020034-n1.html
2018.7.2


ご会見全文
高円宮妃久子さまの三女、絢子さまと、守谷慧さんの記者会見の全文は以下の通り。


 −−ご婚約が内定した現在の率直なお気持ちをお聞かせください。きょう午前、皇居・御所ではどのようにご報告し、天皇、皇后両陛下からどのようなお気持ちを伝えられましたか。そのお気持ちをどのように受け止めていらっしゃるかも、お聞かせください


 絢子さま「ご質問にお答えする前に、まず、6月18日に起こりました大阪北部地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災された方々が一日も早く、落ち着いた生活を取り戻されることを心から願っております。では、ご質問にお答えいたします。本日、このように婚約の内定を発表することができまして、うれしく思いますとともに、身の引き締まる思いでございます。天皇陛下におかれましては、今朝ほどよりご気分がすぐれないとのことで、ご案じ申し上げております。そのような中、皇后陛下にさきほどお目にかかることができ、皇后陛下より、両陛下の温かくお心のこもったお言葉をいただきました。その内容につきましては私の心のうちに、そっととどめておきたいと存じます」
守谷さん「この日を迎えることができまして、うれしく幸せなことと存じます」


 −−出会いから半年あまりでの婚約内定となりました。お互いのどのようなところにひかれたか、プロポーズの時期や言葉などを含め、出会いから結婚の意思を固められるまでの経緯を具体的にお聞かせください


 絢子さま「守谷さんとの出会いは、報道にもあります通り、母からの紹介でございます。守谷さんのお母さまが生前、ご尽力なさっていたNPO法人『国境なき子どもたち』の設立20周年記念レセプションにて、母が守谷さんと約10年ぶりに再会いたしましたことがきっかけでございます。私が初めて守谷さんにお会いしたのは昨年12月のことで、初対面とは思えないほど話が盛り上がり、時間を忘れて楽しんだことをよく覚えております。その後、何度もお会いするうちに守谷さんの優しくスマートで決断力のあるところに魅力を感じ、結婚を前提としたおつきあいを始めまして、今年に入り、レストランでお食事をした後にプロポーズをされました。あまりに突然のことでしたので、お返事は保留させていただきまして、その後、お互いの家族、友人、知人を含めておつきあいをしていく中で、この方ならと思い4月に『よろしくお願いいたします』とお答えいたしました。私に守谷さんを紹介した母の思惑がどうであったのかはわかりませんが、2人でさまざまな場所へ行き、時間や思い出を共有していく中で、自然とお互いに惹かれ会い、今日という日を迎えられましたことは、両母親のつないだ素敵なご縁だったのかなと思います」
守谷さん「明るく前向きな方ということがですね、私が絢子さまに抱きました第一印象でございました。その後、ご一緒する中で、どなたに対しても温かく接する優しさという部分に強くひかれまして、しだいに生涯をともにしたいという気持ちが芽生えてまいりました。また、このような場で申し上げることが適切かどうか、分かりかねる部分もございますけれども、親を突然亡くしたことによる心情の変化、そのようなものに理解を示していただき、心の距離がさらに縮まったと、このように感じます。プロポーズの言葉につきましては、このようなお話も含みますことから、2人の胸のうちに秘めさせていただければと存じます」


 −−お二人でどのような家庭を築いていきたいと思われますか。普段、お互いをどのように呼び合っていらっしゃるかも、あわせてお聞かせください


 絢子さま「ありきたりなお答えかもしれませんが、笑いの絶えない明るい家庭を築いていきたいと思っております。私は父を、守谷さんはお母様を、と、それぞれかけがえのない家族を突然失った経験を持ちますので、今日あることが明日も必ずあるわけではない、という共通の認識を持っております。日常に慣れすぎず、日々の何気ない出来事にも喜びや楽しさを二人できちんと感じていきたいと思っております。呼び方に関してですが、私は慧さんと読んでおります」
守谷さん「本来は、宮さま、または、絢子さまとお呼びするべきかと存じますが、街中でお呼びすることを考慮するように、というお話がございましたので、私は絢子さんとお呼びをしております。理想の家庭像としましては、笑いの絶えない明るい家庭というものでございますけれども、何よりお互い尊敬のしあえる形でいたいと、そのように考えております」


 −−ご結婚の意思を、それぞれのご家族にどのようにお伝えになり、どのようなお言葉がありましたか。絢子さまはお父様を、守谷さんはお母様を亡くされていますが、婚約内定にあたりご両親にどのような言葉を伝えたいと思われますか


 絢子さま「はい。母からの紹介ということもあり、折に触れて母には報告をしておりましたので、改めて何か結婚の意思を伝えるということはいたしませんでした。また当初より結婚を前提としたお付き合いと考えておりましたので、自然な流れで家族にも会わせて、父には温かく見守ってくださるようお願いいたしました
 守谷さん「絢子さまと家庭を築きたい旨、家族に報告をしましたところ、当初は大変に驚いていましたけれども、その後、おめでとう、手を取り合って幸せな家庭を築くように、という言葉がありました。絢子さまとの出会いに関しましては、私は家族、また関係する皆様につないでいただいたご縁だと、そのように信じておりますので、ありがとうございます、このご縁を大切にしてまいります、とこのように伝えました」


−−絢子さまにおたずねします。皇族としての日々を振り返り、どのような思いをお持ちですか。皇族の減少についてのお考えもお聞かせください。学んでこられた福祉分野の活動を含め、今後どのような生活を思い描いておられますか


 絢子さま「皇族としての日々を振り返りますと、ありがたくも、さまざまなものに触れ、学ぶ機会をたくさん頂いた27年間でございました。成年皇族として果たすべき役割を私なりに果たしてきたつもりではございますが、それが十分であったかどうかは分かりません。結婚により皇籍を離れるまでは、皇族としての責務を果たすよう、より一層努力をし、結婚後には、これまで得てきたことを糧にさまざまなことに取り組んで参りたいと存じます。皇族の減少は、事実として起こっていることではございますが、その先の制度を含め、私がコメントする立場にはありませんので、発言を差し控えたいと存じます。私は大学時代より、福祉分野を学び、研究して参りました。この『福祉』という言葉には、幸せや豊かさという意味があり、福祉は自分が関わる人の幸せのために動くことであると、私は考えております。ですので、学んできた児童福祉や高齢者福祉が今後どのように活かせるかは分かりませんが、守谷さんやご家族を幸せにできるよう、努めて参りたいと存じます


−−守谷さんにおたずねします。皇族の方を妻とすることをどのようにお考えでしょうか。ご自身の性格や大切にされている事、座右の銘などをご紹介いただき、お仕事やお二人の出会いのきっかけとなったNPO活動の展望もお聞かせください


 守谷さん「皇族の方を妻としてお迎えすることは、大変に恐れ多いことでございまして、ただ一方で大変にありがたく、光栄なことと存じます。座右の銘といたしまして、『日進月歩』といいますでしょうか。一歩ずつ、あるいは半歩ずつでもですね、常に前向きにということを心がけておりまして、うまくいったことだけではなく、自らの過ちや失敗、つらかったことを糧とし、時には反省をし、常に前に行けるように、そのような心づもりで取り組んでおります。仕事にも同じ姿勢で臨みたいと思いますし、またご質問のあったNPOの活動につきましても、助けを必要とされる方々に少しでも貢献ができるようこれからも尽力して参りたいと存じます。以上でございます」

(引用終)

ところで、6月29日と7月1日には、注文してあった本二冊が届いた。

榊原喜佐子『大宮様と妃殿下のお手紙』草思社(2010年2月25日)
阿川弘之高松宮と海軍』中公文庫(1999年4月1日)

最初の一冊には、大正天皇のお妃様でいらした貞明皇后様(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160314)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161030)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180629)と三男のお嫁様に当たる高松宮妃喜久子殿下(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171204)のお手紙のやり取りと、宮中での御言葉遣いや御作法が、妹君でいらっしゃる筆者によって丁寧に綴られている。
ページをめくるだけでも身の引き締まる思いがするが、本来の宮中文化とは、そのように、一般国民が簡単に触れることのない聖域であったはずである。そういうことをわきまえていれば、秋篠宮家の眞子内親王殿下の婚約内定発表のような一連の出来事に、我々が振り回されることもなかったであろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170820)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170823)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180313)。
二冊目も高松宮妃喜久子殿下に関連する貴重なお話で、薨去された夫君の御手許品である『高松宮日記』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171017)の刊行に至るまでの経緯が、内部から語られている。