パピ先生ことR・パイプス先生
早くも水無月に入った。
先月17日、94歳で老衰のためにマサチューセッツ州のベルモントで逝去された故リチャード・エドガー・パイプス名誉教授については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180527)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180529)、喪主を務められた御長男のダニエル・パイプス博士(68歳)が、5月30日付で長文の追悼文を御自身のウェブサイトに掲載されている(http://www.danielpipes.org/18366/he-has-lived-richard-pipes-1923-to-2018)。
恐らくは立場上、公的な文章としての体裁を整えられたのであろう、万感の思いを冷静に落ち着かせ、端正で美しく知的な文章を、淡々と時系列に書かれた。
孝行息子ではあるが、親子として、言葉にならない言葉、表に出さない経験や感情を、本当は内側にもっとたくさん秘めていらっしゃることであろう。
この追悼文および数枚のお写真については、既知の事柄が多いものの、実は寡黙なダニエル氏が珍しく秘話を披露されている箇所も幾つか含まれており、過去6年間の拙い訳者として、何とも悲喜こもごも、言葉にならない思いがある。
家庭人としてのリチャード先生の本当のお姿は、ダニエル氏が中東フォーラム会長を退き、膨大な執筆量の個人ウェブサイトも閉鎖し、一切の公人としての活動を止めた後に、私人として密やかに語られる部分もあるかもしれない。あるいは、全く語られないところにこそ、真実が存するのではないだろうか。
即時共有性や瞬時の拡散性やアクセス数の多寡競争が特徴のインターネット時代であっても、だからこそ、じっくりと行間を読み取り、背後の事情を理解し、御家族それぞれの立場を慎重に考える必要もある。だが、そんなことをしているうちに、直接にお目にかかる機会を永遠に失ってしまった。
いつかまた米国へ行けるチャンスが到来したならば、ウォルサムのイスラエルの家記念公園へ行こう。御逝去の翌日、ダビデの星を一つ付けた白い木製のお棺を真新しい米国旗で丁寧に包み、ダニエル氏が唱えたヘブライ語のカディシュと共に、長く充実した人生の良き同伴者でいらした奥様のアイリーンさん(93歳)ならびに、お嫁さん方や孫娘さん達が見守る中、埋葬された場所である。そこで、一人静かに小石を置くことになるだろう。
その方が私にはふさわしいし、ゆっくりとリチャード先生とお話できるような気がしている。
孫娘さん達には、それぞれに思うところがおありだろう。お嫁さん方は、なおさらのことであろう。ポーランドでのご誕生から米国での最期の旅立ちに至るまでの、実に多彩かつ重厚なご生涯の中で、私が触れさせていただくことのできた部分は極僅かでしかない。
だが、日本人である我々が知っておくべき事柄が、少なくとも一つある。
He was an oenophile and a connoisseur of the arts, especially classical music, and he collected the complete Fifty-three Stations of the Tōkaidō of Japanese ukiyo-e artist Hiroshige.
歌川(安藤)広重の東海道五十三次の収集家でいらしたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。
ホロコーストで信仰を喪失したご両親(ダニエル氏の祖父母)とは対照的に、リチャード先生はますます神の恩寵による導きを確信するようになったと述べていらした。
そして今、以下の言葉を私は思い浮かべている。ここでの「エノク」とは、パピ先生のことである。
「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」(創世記 5:24)
(日本聖書協会『新共同訳』(1987年)より)
今後、さまざまな意味が明らかにされることであろう。