ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

悲しみの中の安堵

月氏が以下のような文章をブログに書かれていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180527)。御遺族が知ったら、悲しみの中でも、ほっと安堵されることだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)。
本というものは、このように感情移入して読むべきものなのかもしれない。逆に言えば、これほど感情移入できるほどの内容を持つ本を書くべきなのかもしれない。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/cat_1255373.html


秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記
2017/05/20  18:00


1552/R・パイプスとL・コワコフスキが隣に立つ写真から。


・こんなことを書きたくなったのも、一枚の写真を書籍の中でたまたま見た(たぶん初めて気づいた)のがきっかけだ。外国の、かつまた自分には私的な関係はこれっぽっちもない人々のことながら、その死を思って、涙が出た。

 
Richard Pipes, VIXI - Memoirs of a Non - Belonger (2003)。


・このp.133に、つぎの4名が立って、十字のように向かい合って何か語っている写真がある。1974年、イギリス・オクスフォードでのようだ。右から。中の二人の表情が最もよく撮れている。


・アイザイアー・バーリン(Isaiah Berlin)、リチャード・パイプス(Richard Pipes)、レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)、イタリアの歴史学者フランコ・ヴェンチュリ(Franco Venturi)。


・最後の人だけ名前も知らなかったが、R・パイプスの初期の研究対象と同じく19世紀のロシア、および1789年以前のヨーロッパについて主として研究したようだ。以下、() は写真のときの年齢。
 Isaiah Berlin、1909.06〜1997.11、満88歳で死去 (65歳)。
 Leszek Kolakowski、1927.10〜2009.07、満81歳で死去 (47歳)。あの、L・コワコフスキだ。
 Franco Venturi、1914.05〜1994.12、満80歳で死去 (60歳)。
そして、Richard Pipes、1923.07〜 (51歳)。


・前回に2015年2月付のR・パイプス著の「序言」に言及したが、そのときすでに、満91歳なのだった。


・そして、自分には私的な関係は一切ない人物だが、この人もいずれは亡くなるのだと思うと(自分も勿論そうだが)、涙が出た。誰もがみんな、いずれ死んでいく。


・リチャード・パイプスについて書かれている日本語文献は、多くない。

(部分抜粋引用終)