小さな島国のこびとの心得 (2)
こびとの学習(続)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180423)
マタイによる福音書19章1節−9節とマルコによる福音書10章1節−12節には、次のような話が記されている。ラビ的応答のイエスの言に注目を。
ガリラヤを去り、ヨルダン川のユダヤ地方で、ファリサイ派の人々がイエスを試すために問うた。
ファリサイ派:「(何か理由があれば)夫が妻を離縁することは、律法に適っているか」
イエス:「創造主は初めから人を男と女とに創造された」「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。
ファリサイ派:「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのか」
イエス:「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」「不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる」。
福音書は「クリスチャン聖書」「キリスト教聖書」と呼ばれる文書の一つなので、これはユダヤ教徒には該当しないことになるのだろうか。
日本では、結婚に際して「縁談」と言う言葉を用いる。「縁」とは、人知を遥かに超えた目に見えないものの力の働きを仏教的に表現している。聖書では、「神が結び合わせてくださった」と表現されている。
日本語版ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/)によれば、「ファリサイ派」について、以下のような見解が記されている。
ファリサイ派(פרושים)
・古代イスラエルの第二神殿時代(紀元前536年 - 紀元70年)後期に存在したユダヤ教内グループ。本来、ユダヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、ユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊後はユダヤ教の主流派となってゆき、ラビを中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作っていくことになる。現代のユダヤ教の諸派もほとんどがファリサイ派に由来しているという点においても、歴史的に非常な重要なグループであったと言える。
・ファリサイの意味は「分離した者」で、律法を守らぬ人間と自らを分離するという意味合いがあると考えられている。現在ではファリサイ派という名称は使われず、「ラビ的ユダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。
・ヘブライ語で「分離する」という言葉に由来するファリサイ派の源流は、元をたどればセレウコス朝シリアのアンティオコス4世エピファネス時代のヘレニズム強制政策に反発したハシディーム(敬虔派)にまでさかのぼる。ファリサイ派とサドカイ派は同じころ、ハスモン朝時代の一時期に現れたと考えられている。
・ファリサイ派は新約聖書中でイエス・キリストから度々糾弾されたり、対立する場面がある事が知られている
・フラウィウス・ヨセフスは著作の中で、ユダヤ教の四学派の一つとしてファリサイ派を挙げている(他の三つはサドカイ派、エッセネ派、熱心党)。ヨセフスがあえて不適切な「学派」という言葉を用いたのは、ギリシア哲学に親しんでいた当時の地中海世界の読者を想定していたためであった。ユダヤ戦争の終結までは、ファリサイ派も含めユダヤ教において特定のグループが主流派となることはなかった。
・ファリサイ派は常にサドカイ派と対立
・貧困者に支持者の多いファリサイ派
・ヘレニズム文化に対して柔軟なサドカイ派と、否定的なファリサイ派
・ファリサイ派は民衆の中に入ってモーゼの律法の精神を生きるよう説いていた
・神殿の崩壊後、神殿に拠っていたサドカイ派は消滅したため、ファリサイ派がユダヤ教の主流派となっていった。こうして会堂に集まって聖書を読み、祈りを捧げるというファリサイ派のスタイルが、ユダヤ教そのもののスタイルとなっていった
・C.M.ドゥブノーフ『世界史』(Weltgeschichte)「ファリサイ派は精神的国家の唱道者であり、サドカイ派は政治的国家の唱道者」
・初期キリスト教徒たちとユダヤ教主流派となったファリサイ派との間に確執があったためで、それが福音書においてファリサイ派がイエスの論敵として描かれた動機の一部であるとする説もある。
・ナザレ派のユダヤ人キリスト教徒に手を焼いたファリサイ派
・ファリサイ派をイエスの論敵として書かせた背景
・ファリサイ派から追放されたユダヤ人クリスチャンが書いたマタイによる福音書にあらわれるファリサイ派とイエス派の争いが、反ユダヤ主義になったとする見解がある
・パウロ時代のファリサイ派は、恩恵宗教ではなく、功績宗教であり、ファリサイ派は律法への熱心で正統ユダヤを代表していたが、神殿が破壊された後に、残されたのは律法だけであったという
・ファリサイ派の礼拝は人を神の高みに引き揚げようとするのに対し、サドカイ派の礼拝は、神を人に引き下げようとするものであるという。またファリサイ派は復活を信じていたとされる
・パウロはクリスチャンたちを撲滅しようとしていたファリサイ派であった
・メシアニック・ジュダイズムでは、ユダヤ教の内部の主要な派はファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派の3つ、それからイエシュア(イエス)を信じるナザレ派であったとする。神殿崩壊後はファリサイ派だけが指導力を持ち、ユダヤ教の他の形態を排除するようになり、ナザレ派を呪うブルカット・ハ・ミニームの呪い文がユダヤ人の祈りに加えられたと推測する。
(部分抜粋引用終)
イザヤ書62章
1節
シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず
エルサレムのために、わたしは決して黙さない。
彼女の正しさが光と輝き出で
彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。
4節
あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく
あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。
あなたは「望まれるもの」と呼ばれ
あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。
主があなたを望まれ
あなたの土地は夫を得るからである。
6節
エルサレムよ、あなたの城壁の上に
わたしは見張りを置く。
昼も夜も決して黙してはならない。
主に思い起こしていただく役目の者よ
決して沈黙してはならない。
また、主の沈黙を招いてはならない。
主が再建に取りかかり
エルサレムを全治の栄誉としてくださるまでは。
《出典:日本聖書協会『新共同訳』1987年》
(参照)横浜の有名な教会では、以下のような説教があった。
(http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message070610es.htm)
・申命記の第24章1〜4節に記されている教えに注目したからです。そこには再婚についての規定が示されていて、1節には次のようにあります。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し家を去らせる」。これは、妻に「恥ずべきこと」があった時の夫の離婚を認める規定です。ここで夫の離婚事由となる、「恥ずべきこと」については、様々なことが言われます。「不貞行為」を指すと言う人や、「夫が別の女性を好きになった場合」、「料理を焦げ付かせた場合」等を主張する人もいたようです。先ほども述べたように、当時離婚というのは、夫にのみ認められていたのです。ここで、「離縁状」を書くという条件が付けられているのは、離縁状があることによって、その女性は再婚することが出来たからです。律法の中に、このような離婚や再婚について定めた規定があることから、離婚することは律法に適っていると主張したのです。
・創世記の2章には、人間が男と女に創られたことの意義が記されています。最初の人アダムを創られた神は、18節にあるように、「人は独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言われます。ここで「彼に合う助ける者」というと、一方的に仕えるヘルパーのようなものを想像するかもしれません。しかし、ここで言われている、「彼に合う助ける者」とは、向かい合って、助け合いつつ共に生きていく者、パートナーを意味します。
(部分抜粋引用終)