ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

乏しくなった日本語の世界

メーリングリストから。語彙だけ豊富でも、表現力と内容、つまり実質が伴わなければ....

齋藤孝語彙力こそが教養である



・語彙力を鍛えれば、一目を置かれる存在になれる。



・語彙が豊かになれば、見える世界が変わる、ということ。教養は言葉の端々に表れる


・人は、どんな人を「頭がいい」と感じるのか。語彙とは、教養そのものである。


・本や映画、テレビなどメディアからのインプット、さらには人生経験からのインプットがあるから、豊かな語彙がつくられる


・たくさんインプットしているということは、古典文学から最新のハリウッド映画まで、先人の紡ぎ出した言葉や言い回し、リズム、そこに込められた教訓をみにつけているということ。


語彙とは「教養」そのものである。しかもその教養は、会話の表現力や説明力に直結し、一瞬にして自分の知的レベルを映し出す


・日本語の語彙は、他言語に比べても非常に豊富である。そのため、レベルの差が開きやすく、語彙力にギャップがある者同士だとコミュニケーションが円滑に回らなくなる


・デザイナーの原研哉さん「ある企業にて、工場で働いている人たちの仕事の能率があまりに悪いので、試しに国語のテストをしたら、びっくりするくらい語彙が少なく、成績がよくなかった
たしかに、『うぜーな。メシいこうぜ。マジっすか?』くらいの言葉で済んでしまう世界がある。それはマズいと思って、その企業は国語教育をはじめたんだそうだ。それで、彼らが国語が少し面白いと思い始めたあたりから、俄然、仕事の効率がよくなった」

(部分抜粋引用終)

「日本語の語彙は、他言語に比べても非常に豊富である」とは、曖昧過ぎて客観的裏付けに乏しい。学生時代には、もっと「科学的根拠」を出すように指導されたものだが。また、「うぜーな。」「マジっすか?」という言葉は、少なくとも昭和時代には耳にすることはなかった。