ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

携帯を握ったまま亡くなった

フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)の転載を。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21889420U7A001C1000000/


「NHK女性記者に労災認定 過労死、残業159時間 」
2017/10/4


労基署は佐戸さんが亡くなる1カ月前、時間外労働が159時間に上ったと認定した。佐戸さんは東京都庁を担当、13年6〜7月の都議選や参院選を取材。参院選の投開票があった3日後の24日に死亡した。
(引用終)

← ユーリ:女性の31歳は微妙なお年頃。まだ体力的には二十代の気分でいるし、仕事も男性以上に頑張らなければ認められないし、「結婚に逃げる」と思われたくもないし....。(あと二、三年仕事をしてから結婚を考えよう)と思っているうちに、お相手が見つからなくなっている、という。


← ユーリ:形式的な男女平等の掛け声の弊害も思う。「選挙取材は、男性でも体力勝負で、記者稼業はきつい」と、日経新聞に就職した首都圏の知り合いの男性が、二十年ぐらい前、私に言った。


ユーリ:「男女雇用機会均等法」の間違いは、従来から「女性に向いた職種や働く場」だとされてきたことを、劣勢とか差別だなどと煽動したこと。私の世代は、ちょうど混在期にあたり、ある意味では、うまく利用できた面もあるが...。看護婦、助産婦、保健婦、歯科衛生士、保母、小中学校の教師、女医、美容師、校正、医療事務など、もっと女性がクリエイティブに必要とされる職種ならば、男性と椅子取り競争にもならず、誰もが納得する。女性記者ならば、政治面よりは、家庭欄や医療面で力を発揮していただきたい。フェミニズムを宣伝しなくとも、書くことはいくらでもあるはず。昔の母性保護法は、よく考えられていた。女性に深夜労働をさせず、パート時間も工夫されていた。そうすれば、家庭文化も花咲き、男性が安心して仕事に出掛けることが出来て、子ども達も安定して育っていたのだ。

(転載終)
男女雇用機会均等法」に関する過去ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%CB%BD%F7%B8%DB%CD%D1%B5%A1%B2%F1%B6%D1%C5%F9%CB%A1)。
《追加記事》

http://www.asahi.com/articles/ASKB46CRVKB4ULFA02G.html


・NHKや遺族の説明によると、亡くなったのは、入局9年目だった佐戸未和(さど・みわ)さん。05年3月に一橋大法学部を卒業後、同年4月に記者職としてNHKに入局。鹿児島放送局で5年間勤めた後、10年7月から東京・渋谷の首都圏放送センターで勤務していた。同センターでは、主に東京都政の取材を担当。都庁の記者クラブに所属していた。亡くなる直前は、13年6月の都議選、同7月の参院選の報道にかかわった。参院選の投開票から3日後の7月24日ごろ、都内の自宅でうっ血性心不全を起こして急死した。

・亡くなった時も携帯を握ったまま

(部分抜粋終)
二十代から四十代まで自分が外で仕事をしてみて感じたことは、女性の場合、男性とは異なった手間暇の時間やお金やエネルギーが消耗されるということである。お化粧は不美人なりにバッチリと、美容院は毎月必ず数時間。これだけでも時間を取られる。それに、体型がどんどん変わる年代に、スーツを季節ごとに何着も揃えていかなければならない。平日のみならず、週末にも研究会や講演会があると、家の用事がどんどん溜まっていく。食料の買い物は、結局、圧力鍋で大量に作り置きしたものや、時にインスタントやレトルトの食材で間に合わせることにもなる。
体力作りとストレス解消のために、電車に乗って隣の市までプールへ泳ぎに行っていたこともあるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080423)、これで半日はつぶれてしまっていた。
うちの主人は国内外での一人暮らしが長く、明治生まれの田舎の祖父も、同じく明治生まれの同居の祖父も、家の仕事を率先して手伝うタイプだったので、スーパーの食材を買ったり、肉じゃが等の煮物を作ったりすることは全く平気だった。今でも夜、勤務帰りにバスの待ち時間ができると、電話をかけてきて「何か買うものないかい?」と聞いてくる。だから、大変に助かるタイプなのだが、それでも、大学での非常勤講師でさえ、外の仕事に責任を持つことが、いかに家の中をざわつかせるかに気づいた。
与えられた仕事を責任を持ってきちんとつとめようと思ったら、どなたかが公的な場で繰り返されているような「心を込めて」程度では、全くお話にならない。
まずは、職場環境と先輩や同僚の状況を理解しなければならないし、過去の経緯を知って現在を把握し、自分に何が求められているのかを直観しなければならない。非常勤とは言っても、一定期間、若い人達に何がしかの影響を及ぼす以上、単に自分の授業だけコマ数をこなせばいいのではない。
土曜日曜の講演会や研究会でも、特に海外からの著名な講演者や発表者のお話を理解しようと思えば、相当以上に専門論文を読み、最低でも代表的な著書の二冊以上は目を通しておかないと、自分が発言するかどうか以前に、トピックの位置づけさえわからないのだ。
私の場合、「働きたい」「男性と肩を並べて仕事で勝負したい」という気持ちは、最初から全くなかった。以前から書いているように、出産時の経験のため(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170913)、母親に「顔も見たくないから、早く家を出て行ってほしい」(!)とよく言われていたし、私自身のお金(祖父母からのお年玉やお祝い金等)も取り上げて、行動や精神の自由を奪ったりしていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170831)、「とにかく早く自活したい」という願いのみで、ここまで来た。
小学生の頃から本をたくさん読んだのは、家の中で理不尽に叱られてばかりで人付き合いに疲れていたことと、文字を読むことが好きだった以上に、自分が納得のいくように世の中を理解したかったからである。
親が教えてくれなければ、自分で考えるしかなかった。
幸い、母方の祖母や父が体を張って守ってくれていたことと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170116)、家系的に、祖父母や両親の学歴や経済面が平均より恵まれていたこともあって、何とか道を踏み外すことはなく、ここまで生きて来られた。
それだけに、全く文脈が異なるものの、上記の女性のようなことには敏感に反応してしまう。
私だって、一歩間違っていたら、どうなっていたかわからないのだ。
父はいつでも、「人生は思い通りにいかない。お金も時間も、余裕を持っていないと駄目だ」と私に諭していた。全く異存はなかったが、余裕を持とうにも、お金を取り上げられたり、出かける直前になって、あれこれと難癖をつけて遅刻させられたりすると、最初から計画を立てることの意味そのものも、虚しくなっていた。緊張感で力を入れた目を血走らせながら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090119)、貴重品を詰め込んだ重い鞄を肩にかけて、パンプスにストッキング姿なのに、いつでもどこでも分刻みで走り回っていた。
よくここまで来られたと、感謝以外の何ものでもない。
上記女性については、「高給取りエリートだから」という揶揄もあるようだが、事の本質として、それはあまり関係はないのではないかと思う。それよりも、職種の問題がある。
携帯を握ったまま亡くなっていたとすれば、インターネット上のめまぐるしい瞬発情報に追われて、睡眠も充分でなく、常に気の休まらなかった生活だったことが想像される。健康管理上、都会の女性一人暮らしの心身の危険性も考慮すべきである。
体力勝負の政治記者生活を、女性が(あるいは男性も)いつまで続けられるのだろうか。ある程度の年齢別による配置転換の工夫も、場合によっては必要ではないだろうか。