イスラエル・モデルは高度過ぎ
とりあえず...。
(http://www.canon-igs.org/blog/security/)
2017年6月20日(火)
●先進国で相次ぐテロと現在中東で追い詰められている「イスラム国」との直接の関連を調べても、意味はないかもしれない。なぜなら、現在我々が目撃しているテロは「組織によるもの」ではなく、「思想によるもの」だからだ。
●ベルギー・イギリス・フランスなどで相次ぐテロを見ると、その犯行にこれまでのような宗教性、組織性、専門性が感じられず、増々幼稚性、衝動性、アマチュアリズムが深まっている。この種のテロは今後も減ることがないだろう。
●日本がモデルケースとすべき国としては、常にその種の脅威に晒されているイスラエルがベストだろうが、彼らのやり方は今の日本には高度すぎ、高価すぎるかもしれない。
●頻発するソフト・ターゲット攻撃への対抗策は、はっきり言ってない。テロリストは卑劣な連中で、最も脆弱な標的を最小のリスクで狙い、最大の恐怖と衝撃を与えようとする。狙われないように普段から抑止していくしかない。
●五輪を控える日本でも、狙われたら防ぎようがないので、これまで以上の厳しい対テロ抑止策、防衛策、情報分析などが求められるのだが、日本の一般市民の意識がそこまで高まっているようには思えない。
(無断抜粋引用終)
イスラエルをモデルとするには、今の日本の状態では、「高度すぎ、高価すぎるかもしれない」との由。
日本の中東イスラーム研究者の責任は甚大ではないか?