ブログ開始10周年記念
明日、この日英両言語のブログは開始10周年記念を迎える(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/200706)。
閲覧してくださった皆様方に、心より感謝申し上げます。今後、いつまで続けられるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
ブログを始める前は、いわゆる「炎上」やら何やらを心配して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090214)、自分で読書ノートやファイリングを作って済ませていたが、「人の反応を気にしないで、不特定多数に向けてブログ発信してみたら、何か新しい展開があるかもしれないよ」と後押ししてくれた主人のおかげで、今日まで来た。
確かに新展開があり、お陰さまで、ダニエル・パイプス先生やその他の素晴らしい方々と知り合いになることができ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)、視野が格段に広がって今に至っている。
10年前のことは、今でも昨日のように覚えている。長い間ずっと、主人からホームページを作成するように勧められていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101027)、なかなか踏み出せなかった。ところが、10年前の明日の夕方近く、ふと思い立って「はてな」ブログのサイトを見つけ、試しに単純な自己紹介をしてみたのだった。「はてな」にした理由は、研究上の知り合いの何人かが開設していた(但し、現在は開店休業中らしい)ことと、立ち上げが簡単そうだったからだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080622)、みるみるうちにアクセス数が上がっていき(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080104)、その後は毎日、ブログを開くのが楽しみになったのだった。
初めの頃は、タイマーを設定して、一時間以内で書き終わるように目標を定めていたが、内容が重なってくると、時間など気にしていたら浮わついたことしか書けないことに気づいた。また、公開できるような裏表のない首尾一貫した勉強生活を心がけるようになってから、精神生活まで変わってきたように思う。
とにかく、「継続は力なり」を信じて、前進あるのみ。
6月17日の土曜日には、主人の先輩同僚だった方が版画を出品して見事受賞されたというので、展覧会のお誘いを受け、二人で天王寺まで出かけた。お久しぶりだったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141114)、ひと目見たら忘れられない、モダンかつオーソドックスな作品で、構図が素晴らしい。お年賀状で見慣れているためもあるが、すぐに「あ、○○さんの作品だ」とわかる。個性を狙った現代風のものというのではなく、お人柄が素直に出ていて、オブジェが何とも味わい深い作品なのだ。
今は定年退職されているが、センター長も務められた、主人の元上司の方も美術館に来られた。結婚披露宴でお目にかかって以来、二十年ぶりだと昼食時に申し上げると、水杯で乾杯してくださった。仕事面では厳しく、やり手タイプでいらしたようだが、主人に対しては長い間、本当に細やかにお心遣いいただいたことに感謝している。主人のことを「俺の子分」とおっしゃっていたが、いい上司に引き立てていただき、いろいろとご配慮いただいたおかげで、かれこれ十数年来の進行性の神経難病を抱えながらも、何とか勤務を続けることが可能になり、私も自宅でブログを書きながら暮らすことができるのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070708)。
また、主人と同じ部署で働いている女性二人とも知り合いになった。男性が圧倒的に多い職場で仕事を続けていく女性達は、さぞかし気合が入っているのだろうと思うが、やはり神経の使い方が違う。主人が家で私に職場について何を話しているか、気にされているのかもしれないが、それは全く心配ご無用。むしろ、「会社の女性達は、よく頑張っているよなぁ」という話がいつも中心なので、楽しくお話が弾んだ。
一期一会だと思い、記念としてデジカメで撮ったお写真をメール添付でお送りすると、数時間後には丁重なお返事が届いたのには、(やはり、ここが違う)と思わされた。
パイプス旅団で知り合ったアメリカ人には、主人の勤務先を英語の正式名称でスラスラと言える人もいた。それもそのはず、日本企業もしっかりと米国経済に貢献して、信用と雇用を生み出し、日本の企業文化からアメリカが益を受けているという証左である。1990年代前半に、主人はパイプス先生のご実家近くで留学し、一旦帰国後、再び駐在員として、計四年間アメリカを経験させていただいたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)、私共の今は全て、主人の勤務先の上司や同僚の方々が道を備えてくださったからこそ、と断言できる。
他にも、まだ書くべきトピックがたまっているが、今日は時間の関係でここまでに。
最後に、ツィッター(https://twitter.com/ituna4011)の転載を。
『大阪を古地図で歩く本: 古代難波から戦国大坂、維新大阪まで“歴史の謎解き”めぐり』(KAWADE夢文庫) ロム・インターナショナル(編)(https://www.amazon.co.jp/dp/4309499384/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_TYJszbRMHGK3V … via @amazonJP)を昨日、本屋さんで買ってみた。どうやら記述にミスが多いらしい。
(転載終)
ツィッターと言えば、こんな数字に遭遇した。
(https://twitter.com/ituna4011)
Your Tweets earned 3,333 impressions over the last 28 days
@ituna4011
・Tweets, current page. 5,339
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・Followers 32
・Likes 1,353
(転載終)
よい記念になった。