優秀な学問司祭を輩出してきた「イエズス会」(Societatis Iesu)に関して、ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/)からの抜粋を以下に。
私の関心の焦点は、昨秋訪問した、既にムスリム密集地区と化しているパリ郊外の「サン・ドニ」(http://ja.danielpipes.org/article/16324)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170407)、学生時代に頻繁に閲覧して演習発表に活用した「日葡辞書」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080310)、日本でも活動中の「解放の神学」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130522)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160311)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160803)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170518)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170523)である。
・カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設。世界各地への宣教に務め、日本に初めてキリスト教をもたらした。
・宗教改革以来、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。
・現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。
・イエズス会の主な活動は高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱。
・イエズス会の保護者は聖母マリアの数ある称号の一つである「道の聖母(Madonna Della Strada)」。
・イエズス会の指導者は終身制で総長とよばれる。現在の総長はアルトゥロ・ソサ師である。会の総本部はローマ。略称はS.J.であり、中国や古くの日本では「イエス」の漢訳が耶穌であることから耶穌会(やそかい)とも呼ばれた。ジェズイット(Jesuit)教団とも。
・1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志(スペイン出身のフランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、ポルトガル出身のシモン・ロドリゲス、サヴォイア出身のピエール・ファーヴル)がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ聖堂(現在のサクレ・クール聖堂の場所にあったベネディクト女子修道院の一部)に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てた。この日がイエズス会の創立日とされている。彼らは清貧・貞潔の誓いとともに「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」という誓いを立てた。
・1556年のロヨラの逝去時までに、イエズス会はすでに三つの大陸で74の大学を運営。自由教育のさきがけとして知られるイエズス会の教育方針は、ルネサンスの人文主義者が発展させた当時の新潮流である古典研究とカトリック教会で長年にわたって研鑽されてきたスコラ学を無理なく融合させたものとして大きな意味を持っていた。世界のイエズス会の統一教育指針となった「ラツィオ・ストゥディオールム」(学事規定)は信仰教育だけでなくラテン語・ギリシア語および古典文学、詩文、哲学、非ヨーロッパ語、科学、芸術の学習を課した。
・イエズス会学校ではその地域特有の言葉の文学および修辞学の学習を奨励した結果、各国における法律家や官公吏の重要な養成施設となった。教育事業によってイエズス会はポーランドのようなプロテスタントが急速に普及していた地域をカトリックに回帰させることになった。現代でも世界100カ国以上にイエズス会の経営する学校がある。
・イエズス会は当初から世界各地での宣教活動を重視し、優秀な宣教師たちを積極的に派遣した。最も有名な宣教師はフランシスコ・ザビエルである。彼は西インド植民地の高級官吏たちの霊的指導者になってほしいというポルトガル王の要請にしたがって1541年にインドのゴアへ赴いた(ゴアはアジアにおけるイエズス会の重要な根拠地となり、イエズス会が禁止になった1759年までイエズス会員たちが滞在していた)。ザビエルはインドで多くの信徒を獲得し、マラッカで出会った日本人ヤジローの話から日本とその文化に興味を覚えて1549年に来日。二年滞在して困難な宣教活動に従事した。
・日本でのイエズス会事業はその後、ルイス・フロイスやグネッキ・ソルディ・オルガンティノ、ルイス・デ・アルメイダといった優秀な宣教師たちの活躍で大きく発展した。日本人初のイエズス会士は薩摩国(鹿児島県)出身のベルナルドで、彼は日本人初のヨーロッパ留学生としてポルトガルに渡り、1553年にリスボンで入会して修道士となった。1561年には琵琶法師であったロレンソ了斎が入会。有名な天正遣欧少年使節を計画したのはイエズス会の東洋管区の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノであった。
・1580年に大村純忠が長崎の統治権をイエズス会に託したことは、長崎をイエズス会専用の港にすることで南蛮船がもたらす利益を独占しようとした大村純忠と、とにかく戦乱の影響を受けずに安心して使える港を探していたイエズス会の両者の利害の一致によるものであったが、スペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩ではないかと疑いの目をむけた豊臣秀吉は1587年にこれを取り上げて直轄領とした。日本における宣教活動は大きな成果を得たが、最終的に江戸幕府による迫害によって宣教師と協力者たちは処刑・追放となり、正保元年(1644年)マンショ小西の殉教を最後に日本人司祭も存在しなくなり、イエズス会は日本での活動を終えた。
・イエズス会内部には、アメリカ大陸と同様に、武力による日本・明国の征服を主張する者もあった。ヴァリニャーノなども書簡でこの考えを述べており、九州のキリシタン大名を糾合し、長崎を軍事拠点とする計画であった。
・宣教地で働くイエズス会員たちはその土地の文化や言語の学術的研究をすすめ、ヨーロッパに紹介した。たとえば1603年に発行された日葡辞書(Vocabvlario da Lingoa de Iapam)は非常に画期的かつ浩瀚な内容で、現代においても17世紀の日本語の貴重な研究資料になっている。
・現在この分野でもっとも活発なのはインドとフィリピンであろう。各地のイエズス会学校は所在地の文化に適応した教育を行っているが、「人生のモデルとしてのキリスト、生涯教育のスタートとして知的・霊的教育」という共通の教育目標を掲げている。
・ラテン・アメリカでは解放の神学の熱心な推進者として多くのイエズス会員が知られている。解放の神学は時に微妙な政治の領域へ踏み込む危険があるため、カトリック教会において物議をかもしてきた。教皇ヨハネ・パウロ2世は数度にわたってその行き過ぎを非難している。
・2008年1月15日、ローマで開かれていた第35回イエズス会総会において前述のコルヴェンバッハ総長の退任に伴い、日本の上智大学に学び同校において教鞭を執ったこともあるスペイン人会士アドルフォ・ニコラス神父を新総長に選出。広島での活動が有名で上智大学で教鞭もとっていた28代ペドロ・アルペ総長に続く、日本に縁の深い人物の総長就任となった。
・2013年3月13日、2月28日のベネディクト16世の退位に伴い前日12日から開幕したコンクラーヴェにおいて、イエズス会出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(ブエノスアイレス大司教)が第266代ローマ教皇に選出され、教皇フランシスコを名乗る。
・イエズス会員の養成は、霊的養成、知的養成、司牧活動(世界のいずれの場所でも働ける修道者としての)養成の三つの分野からなる。イグナチオ・デ・ロヨラはルネサンス人であり、会員たちにどんな仕事でもすぐにできるようあらゆる分野での準備をしておくことを求めた。司祭養成には(当該人物の学歴にもよるが)通常10年から12年かかる。
・つねに世界のどこでも活動できることを求めるイエズス会において、現代の会員たちは英語の習得が求められている。英語が母語である会員にはスペイン語の学習が求められる。
・イエズス会は近代において、プロテスタント側のみならずカトリック側の人間からも、さまざまな陰謀の首謀者と目されることが多かった。
・イエズス会は「より大いなる善」のためなら、どんなことでもするというイメージをもたれており、そのため教皇や各国元首暗殺、戦争、政府の転覆など、あらゆる「陰謀」の犯人とされた。さらにイエズス会の組織の強力さとその影響力の大きさのゆえに、教皇とバチカン市国を陰から操っているのは、実はイエズス会総長であるという噂が、まことしやかに吹聴されてきた。
・現代においても、イエズス会員について「過度に進歩的であり、特定の話題において教会の公式な教説に反することを説くことがある」と批判されることがある。たとえば、人工妊娠中絶手術、司祭の独身性、同性愛、奴隷貿易及び、解放の神学などの話題が、それにあたる。
・アルフォンス・デーケン(Alfons Deeken):哲学者、上智大学名誉教授。死生学研究で有名。
・カール・ラーナー(Karl Rahner):20世紀を代表する神学者の1人。
・ジョアン・ロドリゲス:ポルトガル出身。安土桃山時代の日本で布教。『日本大文典』・『日本教会史』の著者。
・中浦ジュリアン:天正遣欧使節の副使。福者。
・パウロ三木:16世紀の日本人、日本二十六聖人殉教者の1人。
・原マルティノ:天正遣欧使節の副使。
・ピーター・ミルワード(Peter Milward):英文学者、上智大学名誉教授。
・フーゴ・マキビ・エノミヤ=ラッサール(Hugo Makibi Enomiya-Lassalle):禅に傾倒し、日本に帰化した司祭。
・フランシスコ:第266代ローマ教皇。ベルゴリオ枢機卿。
・フランシスコ・カブラル:戦国時代末期の日本を訪れたイエズス会宣教師。
・ペトロ・カスイ・岐部:17世紀日本の殉教者。福者。
・ヘルマン・ホイヴェルス(Hermann Heuvers):第2代上智大学学長。エッセイで著名。
・ヨゼフ・ピタウ(Joseph Pittau):上智大学学長、グレゴリアン大学学長、バチカン教育省局長を歴任。
・ルイス・フロイス(Luis Frois):16世紀、ポルトガル出身。戦国時代の日本に到来し、『日本史』を表す。
歴代総長一覧
初代:イグナチオ・デ・ロヨラ(1541年-1556年)
28代:ペドロ・アルペ(1965年-1983年) 長く日本で働く。医学を学んでおり、原爆投下時の広島に居合わせたため、会員を率いて救護活動にあたった。
30代:アドルフォ・ニコラス(2008年-2016年)1936年スペイン生れ。過去に日本管区長を務め、上智大学で神学を教えていた。また、東アジアでの布教、司牧活動を長期間行った。
上智学院設置校
・上智大学(東京都千代田区)
・上智大学短期大学部(神奈川県秦野市)
・六甲学院中学校・高等学校(兵庫県神戸市灘区)
・栄光学園中学校・高等学校(神奈川県鎌倉市)
・広島学院中学校・高等学校(広島県広島市西区)
・上智福岡中学校・高等学校(福岡県福岡市中央区)
イエズス会系列校
・エリザベト音楽大学(広島県広島市中区)
(部分抜粋引用終)
参考:イエズス会に言及した過去ブログの一覧表(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%A4%A5%A8%A5%BA%A5%B9%B2%F1)から、特に抜粋したものを以下に。
(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090430)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170512)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170529)
以上。