ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

あるべき秩序を取り戻す

最新号の日本イスラエル親善協会広報誌には、池田明史副会長による待ちに待った文章が掲載されていた。以下に部分抜粋を。

・2018年5月にイスラエルは独立宣言発出から70年の節目を迎える。
・この70年間で確実に変化し、イスラエルにとっては「好転」と看做してよい戦略環境の変遷もある。
・サイクス=ピコ協定やバルフォア宣言など大英帝国の100年前の二枚・三枚舌外交に帰責させ、イスラエル建国を非嫡出子に擬えて「中東のあらゆる混乱の根底にパレスチナ問題がある」との言説が大手を振って罷り通っていた時代は、おそらく過去のものになったと言える。
・その主因を一義的にパレスチナ問題やイスラエル建国の経緯に求める言説は、いわゆる「アラブの春」が前景化した2011年以降一挙にその信憑性を失った
・「パレスチナ問題の解決」すなわちイスラエル国家の殲滅を呼号して、これと干戈を交え続けてきたアラブ陣営の独裁者たちが、実は自分たち自身の権力維持の方便として、あるいは支配下の人々を動員する際の有用なシンボルとしてそうした言説をことさらに利用してきたという経緯も容易に理解されるような事態が、眼前に展開することとなった。
パレスチナ問題は数多ある中東の諸問題のうちの一つであって、その解決が必ずしも他の諸問題に連動しているわけではなく、それらの解決や減殺に帰結するわけでもないという当然の認識を迫っているに過ぎない
「諸悪の根源」というプロパガンダの虚妄性が暴かれたからといって、パレスチナ和平の実現による問題の解決を求める国際社会の声が掻き消されるわけではない。
・希望と懸念が交錯するなかで、イスラエルは建国70周年を迎える。70年といえば、預言者エレミヤが古代イスラエルの民に示した「バビロン捕囚からの解放」に要する年月と重なる。(エレミヤ書29章)

(部分抜粋終)
上記の要約は、実は1990年代からダニエル・パイプス先生がビデオ講演(https://www.c-span.org/video/?15414-1/occupation-liberation-persian-gulf)や論文等で、鋭く厳しく主張し続けてきた路線と一致する。ようやく、日本でも公に認められるようになって、私としては喜んでいる。
現実や事実を撹乱する勢力(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171212)(偽書『シオン賢者/長老の議定書』のアラビア語訳の流布(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080621)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120709)(http://ja.danielpipes.org/article/12158)(http://ja.danielpipes.org/article/12310)(http://ja.danielpipes.org/article/12508)(http://ja.danielpipes.org/article/13262)(http://ja.danielpipes.org/article/13808)(http://ja.danielpipes.org/article/14511)(http://ja.danielpipes.org/article/14644)(http://ja.danielpipes.org/article/16246)(http://ja.danielpipes.org/article/16704)、ヒトラーの『我が闘争』のアラビア語訳の流布(http://ja.danielpipes.org/article/16704)(http://ja.danielpipes.org/article/12158)(http://ja.danielpipes.org/blog/11561)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)、旧ソ連KGBスパイの暗躍(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150809)、イスラミストによるマルクスレーニン思想の模倣継承)によって知的理解の秩序が乱れると、これほどエネルギーや時間を浪費するということの証左でもある。
広報誌には、「イスラエルから見た日本と日本人」と題して、ベン=アミ・シロニー先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171018)が寄稿されている。その部分抜粋を以下に。

・私は、当時の知識人が日本はアジアを解放するために聖戦を行っていると信じ込んでいたことに、心を打たれました。また私は、日本が民主主義をとっていなかったにもかかわらず、しばしば誤解されているようなファシスト独裁でもなかったことを学びました。
・特に私が興味を引かれたのは日本の天皇の存在で、それは他の国の王や皇帝と異なっているということでした。
・考えれば考えるほど、私はユダヤ人と日本人の間に、共通する重要なものがあることを確信しました。
日本社会の強みは伝統の維持です。伝統というものは、しばしば進歩を妨げるとされていますが、開放性や変化に対する即応性に結びつけば、進歩を促進することが可能となります。保守的な社会であったお陰で、日本人は崩壊することもなく、変化することができたのです。基本的制度や価値観があまり変わらずに存在したという自覚がセーフティーネットとなり、日本人を崩壊させることなく、高く、遠くへ飛躍させました
・この点に関しては、ユダヤ人と日本人との間に、一つの類似点がありました。ユダヤ人も自分たちの宗教、結束力、言語、聖典や価値観を守ることで迫害を生き抜き、他のすべての分野に新生面を開くことができたのでした。
・日本人の伝統的な道徳性の例がたくさんあります。その一つは、戦争の前と戦争中にユダヤ人を助けたことです。
・22年6月12日のことです。イスラエルの地に対する国際連盟委任統治権を、バルフォア宣言に基づき英国に渡すという、サン・レモ会議の決議を日本が支持したことを評価し、上海のユダヤ人コミュニティが内田外相の名前を記したのでした。日本は当時、この会議に参加した4大国家の一つでしたから、日本がこれを支持したことは重要でした。

(部分抜粋終)
今、戦前戦後を巡る昭和史の見直しが徐々に主流になりつつあるが、既に海外の学問の現場では、私の世代が学校で教わらなかった日本史の肯定的な面が理解されていたのである。このことを銘記して、今後に備えたい。
今年一年は、いろいろなことがあった。特に、三十代からの主人の難病が進行し、転倒して頭や顔を大怪我したり、インフルエンザに罹患したり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170630)、肺炎で入院したりもした。また、私の方もストレスが蓄積して、右目のヘルペスが燻った状態であった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171214)。従って、予定していた仕事も遅れ気味になったり、見送ることになって、本当に残念でもあった。
だが、そのことを契機として、さまざまな方々に支えられ、助けていただき、本当に感謝の連続であった。それと並行して、公私両面における自分のアイデンティティの見直しと深化および強化にも努めた一年だったと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171218)。乱読のようだが、手探りで求めていく内に、ようやく自分が子ども時代に馴染んでいた物の見方や考え方が蘇ってきて、今後の勉強や仕事の課題に、方向性の確信が与えられたのは大変に重要なことだった。
つまるところ、この二十年から二十五年の「失われた時間」を知的にも情的にも取り戻す時期に至ったということである。世の中を扇動して撹乱されていた正体が明確になりつつある昨今、自分の拠り所に立ち戻り、前を向いてしっかりと歩んでいきたいと願っている。

今年も大勢の方々にアクセスしていただき、誠にありがとうございました。皆様におかれましては、どうぞ良いお年をお迎えください。また、来たる平成三十年が、どうか輝かしく満たされたものでありますよう、祈念申し上げます。