ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「つんぼ桟敷」に置かれて

http://www.office-takashima.com/blog/


2014年1月14日


(質問)
女性がお嫁に行き苗字(姓)が変わったら、実家不動産など実父母の遺産を相続する権利は無くなるのでしょうか?
(回答)
・勘違いされている人も多いようですが、結婚して夫の苗字を名乗ったとしても、実の父母についての遺産相続権が失われるなどということはありません。
結婚しても親子であることに変わりはない以上、相続権にも影響がないのは当然です。
・現在の法律(民法)では、子供であれば、嫁に行った娘だろうが、家の跡取りとなる長男だろうが、遺産を相続する権利は相続分を含めて同じです。長男が次男よりも相続分が多いこともありませんし、長男、長女、次男の3人の子供がいたとすれば、相続分は3分の1ずつでまったく同じです。

(部分抜粋引用終)
「つんぼ桟敷」という言葉がある。聴覚障害者にとっての差別用語なので、現在では公に使用してはならないということだそうだ。だが、意味を辿ると、これほど的確な表現はない。「関係者でありながら、情報や事情などが知らされず、疎外された状態」を指す。

要するに私は、文字通り「つんぼ桟敷」に置かれてきたということだ。

1.父が亡くなって四年目になるが、第一子の私には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)、理由もなく遺産ゼロ。私が働いて貯めた一年分の貯金通帳さえ、いつの間にか取り上げられている。祖母からのお祝い金も全部取り上げ。ちなみに、晩年の父と、結婚後一年で診断を下された主人は、同じ難病患者。父は「ユーリのところは大変だから、悪いようにはしない」と電話で言ってくれていた。2008年より前には、時々父から電話やメールがあり、「連絡をくれるのは、ユーリだけだ」とも書いてあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)。記録済み、保存済みである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151216)。
2.亡くなった父の遺産分けとして、親に黙って海外挙式をした妹は株通帳を譲られたそうだが、未だに私には相手の紹介もなければ、職も知らされていない。
3.年賀状だけは妹に送っているが、今年は寒中見舞いが松の内に届いた。配偶者の親が12月に亡くなったので賀状はないとの由。だが、その場合は葬儀に呼ばなければならないのに、私には知らされていなかった。しかも、その親も素性不明で、父が亡くなってから届いた複写の戸籍謄本と表向きの名前が全く異なる。これは一体全体、どうしたことなのだろうか。
4.ある時、父が驚いて「あれ、何を考えているんだ?何か話を聞いているか?」と私に電話を掛けてきたことがあるが、その時も私には全貌がつかめていなかったので、不明なままだった。
5.妹には黙って出産した子が一人いるので、私の預貯金などは、民法上、その甥にわたることになるが、家に招いても来ず、お祝いを送ってもキックして睨みつけてくる。普段着で父の葬儀に出席した。挨拶も返礼もない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151212)。
6.義母から聞いた話として、弟は家族で昨年から海外に住んでいるそうだが、挨拶もなく、住所も全く知らされていない。その弟は、税金を払わなければならないほど、父の遺産を受け取ったと、かなり前に電話で私に言った。
7.父の苗字を引き継いでおきながら、父の通夜にも葬儀にも喪主の弟(長男)嫁は来ず、孫も堂々と欠席だった。そして、私が二十代の頃から墓地が確保してあったのに、いつの間にか処分して、何と樹木葬http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160302)。私は主人と二人、納骨式にも呼ばれなかった。
8.この嫁は、母方の祖母の法事にも子ども(つまり祖母の曾孫)と共に欠席。理由は旅行。

他にもいろいろあるのだが、どうしてこんな非常識な事態になったのだろうか。

少なくとも、私が小学校三年生の頃までは、父方の従姉妹達と寝泊まりしたり、旅行に出掛けたり、年賀状のやり取りもあった。両系の祖父母がいずれも健在で、同じ区内在住だったので、行き来も頻繁で賑やかだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150215)。土地を購入して庭付き家を建てられたのも、祖父母の援助があったからだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)。

以前から書いているように、両親は、大学進学率が10パーセントだった時代に四年制大学を卒業し、父は都市銀行の管理職だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160225)。従って、戦後の昭和時代として、経済的にも学歴の上でも、平均よりは恵まれていた階層だったはずなのだ。何よりも信用第一の職だったので、父は堅気で真面目だった。私も、その「堅実さ」を自分の誇りともしながら育ってきたはずだった。

父方母方の大おじ達は、医学部の教授だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161219)。だから、私が本好きで勉強好きなのは、ごく自然だと思っていた。むしろ、自分の成績がもっと遥かに良かったら、ひょっとしたら跡を追えたかもしれないのにと、申し訳なく思っていた。

長らく私は、自分に非があるからだと(言う人が周囲にいたので)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161117)、真剣に反省し、(それほど皆さんはご立派なのかしら)と思い、(もっと真面目に努力していかなければ、家族としても、親族としても、私は受け入れてもらえないのだ)などと思い詰めていた。

だが、ブログを書いてみて、この頃ますます、公明正大に真っ直ぐに生きていくことの大切さと継続性の強みを、つくづく実感するところである。勿論、ブログなどは何ら証拠にも証明にもならない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)。電子文字の上、誤字脱字や字句修正などが、後日でも可能だからである。だが、「つんぼ桟敷」に置かれて孤立無援のまま、いいように周囲にあしらわれてきたならば、私にも立場というものがある以上、あるがままを表明していかなければならない。その権利は充分あるはずである。

晩年に数年間、アルツハイマーを患って施設にも入っていた祖母について(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161115)、同居していた家族が遺産確保のために戸籍改竄を行っていたという事件のことを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160113)、先程、主人に話していた。面倒なトラブルには関わりたくない性格に加え、主人の病気のこともあって、私が長らく関わる余裕もなかった事件である。後に裁判判決も出たらしい。

初めての話ではなかったのに、私が話している途中で、主人が顔をくしゃくしゃにして泣き出したので、びっくりした。「どうしたの?」と聞くと「だって、あまりにもおばあちゃんがかわいそうじゃないか。そういうことを高齢者にしてはいけないんだよ!」

実は、主人は生前の祖母に会ったことがない。東日本大震災の後の法事の時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110502)、初めて写真を見たのだ。結婚前は、訳の分からないドタバタ騒ぎで、会ってもらうどころではなかった。父と二人で結婚式の出席をお願いに上がっても、叔父叔母からはお茶も出されず、「わかってますから」と、当然のように欠席にされてしまったのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170107)。

だが、無意識のうちに予定して祖母の誕生日に結婚式を挙げた私が、後で「初孫の結婚式だから、本当は新幹線に乗って、下鴨神社の柱(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161109)からそっと見たいと思ったけど」と祖母が言っていたことをもう一度言うと、あれから19年以上も経ったのに、主人が「それは、あんまりじゃないか!」と泣き出したのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161116)。

この当事者は、祖母と同居だった従姉妹が結婚する時にも、親同士の顔合わせで文字通り「ババ抜き」をした。ある日突然、祖母が大きな荷物を持って私の家へ来て、「今日はここに泊まらせてもらう」と宣言したから、よく覚えている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170107)。その時も、私は厄介な揉め事に関わりたくなく、また、知りたくもなかったので、「おばあちゃん、どうぞ」と普通にもてなしたのみだった。

いつも家へ祖母が来た時には、歩いて十分ぐらいの私鉄駅まで、私は見送りに行った。その時、妹や弟が何をしていたのかは、どういうわけか、全く覚えがない。

この戸籍改竄問題は、私が是非とも納得しておきたい事柄である。ここが明確にならないままに、私自身、神経が逆立っているような苛立たしさと落ち着きのなさを感じつつ、日々を送ってきたからである。個人情報保護法どころではない。私が初孫なのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110502)、孫の立場を差し置いて、血の繋がっていない人が祖母の娘の座を占めているのだ。

人権侵害とは、こういう事例を指すのではないか。保護されるべきは、私の側なのだ。

祖母の家で、私は産湯をつかわせてもらった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)。最初の孫だったから、とても可愛がられたことは、アルバムのたくさんの写真が証明している。同じ誕生月だからということで、宝石がついた指輪を中学生の頃から少しずついただいてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161229)。受験生だった時には、夜遅くまで勉強する私のために、手袋を編んでくれたし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161222)、長じては、私のマレーシア赴任を大喜びしてくれ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)、孫達を連れてクアラルンプールへ遊びに来た(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110502)。茶道を習うように勧めてくれ、基本的なお茶道具を揃えてくれたのも、祖母であった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161217)。最も重要なことには、無理難題を突きつけて、全力を挙げて潰されそうになった主人との結婚を押してくれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170107)。

家系について、戦前と戦後とではガラッと価値観が変わってしまったので、事ある毎に、少しずつ女学校の話などを聞かせてくれた祖母だった。一度、祖母宅へ呼ばれて、尋常小学校一年の時の平仮名の手習いを見せてもらったことがある。兄弟が医学部教授でもあったからか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)、今から考えても、最も話が若々しく通じる印象のある祖母だった。

今後、具体的な詳細を調べてみたいと思うが、祖母が認知症になってしまったのを良いことに、祖母の遺産を受け取るために、同居していた誰かが戸籍改竄したようだ。その理由は、夫が病気で先に亡くなり、遺産分けでは嫁は無関係のため、受け取る立場を作るためだったらしい。

(2017年1月18日付ユーリ後注:正式な裁判記録を見た上でなければ、今の私には詳細は未詳だが、2013年1月に父のお見舞いに行った時にその話が出て、どこまで理解できていたかは別としても、愚かな細工だということで、父も一緒に笑っていたので、恐らくはそういうことであろう。勿論、突然そんなことを聞かされても、当時の私には何のことやら全く訳がわからず、呆然としていた。とにかく、私達親族に承認も取らず、説明もなしに、いつの間にか「養女」に居座ったのだ。「戸籍改竄」とは、一言の承諾もなしに勝手に密かに改変したという意味である。祖母が遺産相続あるいは税金対策のために、養子縁組話を本当に持ち出したのかどうか、私は全く知らない。だが、それならばなぜ、同居の孫娘の結婚の際、「ババ抜き」で親同士の顔合わせ等をしたのだろうか。また、なぜ亡くなって数年経ったのに、祖母のことを私に悪く言ったのだろうか?私が直接、その話を電話で持ち出した途端、「きゃ!そちらにも書類が行っているの?あれはね、あれはね」と慌て始めたので、不審に思った次第である。だが、その後の会話は、「テレビを見る暇もないぐらい忙しかった」という明らかな嘘話や、私のあら捜し尋問や私の家の探りに方向付けられた。嘘だと直感したのは、祖母が私の家に来た時、「テレビを見ている時、おばあちゃんが部屋に入って行くと、さっと正座する」「一緒にテレビを見ていて、こういう感想を述べた」等という話を覚えていたからである。)

だが、そんな細工をしなくても、普通ならば、長い間、夫と姑の介護をした嫁に対する配慮があるものだ。本当の娘は私の母親と叔母のみなので、公的書類に偽造と虚偽を行ったということで、詐欺罪である。

主人の場合は、田舎の祖母(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)に家事を躾けられ、手作りの薬草茶を飲ませてもらい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161226)、大阪とは違う味のおいしいカレーを作ってもらい、きれいな井戸水でパンツを真っ白に洗ってもらいながら、小学校一年から大学生までの毎夏を過ごしたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、「おばあちゃん」という言葉に、愛情のこもった懐かしい思いを抱いている。最後に御見舞をした時には、「おばあちゃん、ありがとな」と、職員の女性が思わず「もういいですよ」と笑うほど長い間、水差しでいつまでも水を飲ませていた。「僕の嫁さん」と紹介した時には、「人形みたいな子やなぁ」と目を細めていたおばあちゃんだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)。勉強と仕事に夢中になって、なかなか結婚しなかった主人を「あの子は健康さえ気をつければ大丈夫」「自分で嫁を見つけて連れてくるから」とどっしり構えていたおばあちゃんだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161222)。

主人のアルバムを見ていると、背丈が足りなかったので台に乗っかって、一生懸命に車の屋根をホース水で拭き掃除している写真があった。何をしていたのかと思ったところ、「本家のお姉さんの車に乗せてもらったから、お礼に掃除していた」ということだった。

このように、とても素直で伸び伸びして可愛い少年だったので、「遺産目当ての結婚ではないか」だの、「いくら主人、主人と立ててみても、嫁には遺産はないのよ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161227)だの、「大阪のお母さんが怒っているに違いない」だの、「親が病気なのに海外旅行なんて」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)だの、「そのうち、そっちも脳がボロボロになって徘徊するわよ。見ていらっしゃい!」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)、「あなたには入るお墓があってよかったわね!」等、何を言われているのか、私には皆目見当がつかず、ただただ、困惑し混乱するばかりだったのだ。

恐らくは、自分が法に反すること、罪を犯したという意識がないタイプなのだろう。また、お正月、春分、お盆、秋分と、年に四回はお墓参りを欠かさなかった私達の暮らしが、全く想像の範疇にないのだろう。病気のことで私に「申し訳ない」と謝りこそすれ、主人の母は一度も私に怒ったことはない。むしろ、御見舞に行くと手を握って「ありがとう」。

会ったこともないのに、何の根拠もなく、腹いせに事実に反することを堂々と言ってのけるのは、どういう神経なのだろうか。恐らくは、そういう血が誰かに入っていて、代々受け継がれていき、そのような恐ろしい行為に出るのだろう。

やっと私も目覚めた。長い間の目眩ましによって置かれた「つんぼ桟敷」から、もうそろそろ降りて来て、本来の仕事に専念しなければならない。