ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

二人の大統領が冒した行動

「メムリ」の過去引用リストは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA)。

メムリ(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP10916


緊急報告シリーズ  Special Dispatch Series No 109 Nov/9/2016

「二人の大統領が冒した致命的歴史的行動」
イガル・カルモン(MEMRI創立者で会長)、アンナ・マフジャル・バルドゥチ(MEMRIのロシアメディア研究プロジェクト長)


アメリカの指揮と軍事介入によって、ISIS(イスラム国)の拠点ラッカは陥落し、今やモスルからの駆逐が予期される状況となり、バラク・オバマ大統領は、狂暴独裁者サッダム・フセインとその政権打倒を目的にジョージ・W・ブッシュ大統領が着手したプロセスの完了を間近にすることになった。それは、シーア派イスラムのなかで最も戦闘的なイランのヴェラーヤテ・ファギーフ(Velayat-e Faqih、法学者の直接支配)が勢いを得ることであり、イランはインド洋から地中海まで覇を唱える地域大国となり、トルコとサウジアラビアを脅かすようになる


イラクにおけるスンニ派支配のミレニアムに終止符を打った


ブッシュ政権は、民主的諸原則からみて与えるに値するとして、イラクの多数派であるシーア派社会に、有利な立場を認める一方、スンニ派に対しては、その勢力に応じた政権内配分を付与すべくつとめた。しかしその試みは、シーア派の政治家達によってあいまいにされ、消失していった。その政治家達はイランに支援され、コントロールされているのである。アメリカは、スンニ派に対する応分の権力配分を守ることができず―イラクにおけるアルカイダを支援したとしても、見返りはなかったわけである―それだけではない。シーア派イランの子分になりさがったイラクの首相マリキ(Nouri Al-Maliki)の手に、スンニ派を引き渡してしまったのである。マリキはスンニ派の権力をすべて剥奪してしまった。マリキ政権時代スンニ派のリーダーシップは、至当崇高なる支配者としての地位から、数年のうちに地に落ちて、少数派として踏みつけにされる。かつての被統治者の足下におかれたのである。シーア派指導者は、アメリカの対応に戸惑い、無力感に襲われた。


ISIS―権力喪失に対するスンニ派の暴力的具象化


スンニ派の大半がたといISISの残忍性を嫌悪しているとしても、この組織の台頭は、スンニ派の反撃の一形態であった。アメリカが加勢する形でスンニ派は権力を喪失し、シーア派の足下にひれ伏すことになった。2014年6月、アブバクル・バグダディ(AbuBakr Al-Baqhdadi)はカリフの宣言をしたが、ISISはそれよりもずっと前に始まっている。それは、ザルカウィ(Abu Mus`ab Al-Zarqawi)に始まるのである。ザルカウィは2004−6年にシーア派アメリカ双方をターゲットにして攻撃を始めた。彼はシーア派を、イラクに対するスンニの正当な支配権の強奪者とみなし、イラクスンニ派の後退責任をアメリカに帰すのである。2006年、アブオマル・バグダディ(Abu Omar Al-Baghdadi)がイラクイスラム国(ISIS)成立宣言をした。その時点でISISはスンニ派の寄せ集めであった。イスラミスト、非イスラミストそしてバース党員もいた。更に、アルカイダが西側との戦闘を優先しているのに対し、もともとISISは領土獲得とそこへの移住(hijra)を第一に考える。西側に対するジハードは二の次である。これは、宗教上、思想上そして戦略上優先順位の一番下にある。ISISにとって、イラクシーア派とイランは、西側よりもっと重要な攻撃対象なのである。しかるに、西側がこれと戦うようになったので、順位を変えた。西側所在の支持者に対するISISのメッセージすべてに示されている通りである※1。


スンニ派シーア派イランの覇権を受入れるか?


イスラム世界の90%を占めるスンニ派は、イラクにおける敗北を認め、新しく形成された戦略地政学上のヘゲモニー、即ち、インド洋から地中海に至るイランの覇権を受入れるのであろうか。


イランの指導者達は、他国を攻撃したことは一度もない、といつも強調する。それが如何に真であっても、多数派のスンニとの直接対決では勝ち目がないことを認めているからにすぎない。本当のバランス・オブ・パワーがはっきり判っているので、彼等はスンニ世界との直接対決を避けてきた。スンニ派と向き合う時には、アラブを代理に使ってやってきた。


国家の安全保障に対するイランの脅威が強まったことに対し、二ヶ国がこれを許容しない。トルコとサウジアラビアである。トルコの場合、オスマン超国家主義者のエルドアン大統領は、新シーア支配体制に黙従することはない。一方サウジアラビアは、既に脅威をうけている。即ち、イランの支援するイエメンのフーシ反徒は、サウジの南部に脅威を及ぼし、聖地管理者としてのサウジの役割に、イランが異議を唱えているのである。更にISISは、イラクスンニ派社会で蘇える可能性もある。その地域でスンニ派世界から多々支援を期待できる。更に又、シリア−イラク領内基地からISISを駆逐することは、西側諸国から参加したタフな外人戦闘員は自国へ戻り、そこで報復をやる事を意味する。その攻撃対象は、主としてアメリカ、及びほかの有志連合であり、シーア派の人間もターゲットになるだろう。


イラクスンニ派社会、トルコ、サウジアラビアそしてほかのスンニ世界からみれば、アメリカはイラクシーア派とイランに味方する裏切り者という立場に、自ら追いこんでしまった。スンニからみれば、アメリカは共和党民主党の如何を問わず、スンニ支配のミレニアム(今日のイラク)に終止符を打っただけでなく、核兵器取得意図でイランを罰する代りに、その意図を認めイランを核保有国として認め、制裁を解除してしまった。そのイランは現在も弾道ミサイルの開発を継続し、テロリズム支援、人権侵害を続けているのである※2。


アメリカはどうしてこうなったのか


フランクリン・ルーズベルト大統領の時代から、アメリカは世界秩序の創造とその維持を保証してきたのに、それが地域の混乱に手を貸すことをやった。そしてその混乱が西側にスピルオーバーする形勢にある。アメリカは一体どうなったのであろうか。2003年4月のイラク侵攻の頃、専門家と政治家が、さまざまな側面を公に論じた。曰く、サッダムは大量破壊兵器を持っている。化学兵器を含む大量殺人兵器を自国民に使うなどサッダムは人権侵害者である。イラクは隣国を攻撃するゴロツキ国家である。そのゴロツキ国家に対する制裁体制がゆるんでいる。イラクに民主々義を導入する話等々。結論が間違っていたものも、いろいろある。しかるに、検討されなかった問題がひとつあった。支配をスンニからシーアへ移す歴史的転換行為である。ISISをモスルから駆逐する問題も、リスクを伴なう。シーア派の部隊が、政府軍と民兵隊を含め、モスル攻防戦を当地のスンニ派に対する復讐祭へ変えていくだろう。そして、作戦が成功裡に完了した後、何が起きるかである。


ブッシュ政権が歴史的変化の見地から考えなかったわけではない。政権は考えた。しかし、それが狙った変化は、イラク民主化であった。一方、殆んど無視された変化が、サッダムの排除と代表制統治会議の設置によって、スンニ支配の安定というミレニアムに、終止符が打たれたことである。悪の排除については、いつもよくよくの訳がある。戦略上或いは倫理上の理由である。そしてそれがひとつの考慮をあいまいにしてしまい、その考慮は決定的瞬間にいつも抜け落ちる。その考慮とは、かくかくしかじかの政策導入で、前よりも悪い状況になるのではないかということである。これは現実に起きたし、今後もっと悪いことになるかも知れない。


求められる洞察力


この記事は、過去を振り返って書かれた。執筆者は、当時そのような洞察力を持っていたと、主張するつもりはない。批評家のなかには、大半がヨーロッパ人であるが、国の性格と構造を変えることになるから、侵攻は正しくないと論じた人もいる。我々はほかの者と同じように、この意見は法的側面に偏りすぎていると考え、侵攻作戦は正しいと信じたのみならず、大量殺害に直面している人々のための介入として、アメリカに課せられた倫理的義務である、とみた。


ブッシュ・オバマの政策によってもたらされた歴史的変化が如何なる結果を生み出したか。殆どの人が予見できなかった。民主々義体制の導入(ブッシュ)、新しい地域均衡の確立(オバマ)いずれも然りで、問題が生じる


悪を目の前にした時、何をすべきか。これは当然考えなければならぬ挑戦である。大量殺害の危機に直面する少数派は、アメリカがこれと戦う道義的責任を感じて欲しい、と願うだろう。しかしながら、この道義的責任は、構造的変化を導入することなく、果さなければならない。ジョージ・ブッシュ(シニア)は、砂漠の嵐作戦でこのバランスをうまく両立させた。サッダムをクウェートから叩きだし、その軍事力に多大な打撃を与え、制裁も課した。しかし民主々義導入のためサッダムを始末することはしなかったのである。


世界の民主々義諸国は、独裁者の軛につながれて呻吟する人民を救けるべきであり、救けることができる。しかし、構造的変化の仕事は、その人民の責任である。更に、反独裁勢力を支援するにあたっては慎重の上にも慎重を期し、どれが支援に値する民主的進歩的勢力であるかを、見極めなければならない。オバマ大統領は、この点で重大な過ちを犯したエジプトのムスリム同胞団を支援したのである。この組織は民主的でも進歩的でもない。オバマが犯した過ちは、これだけではない。2009年に起きたイランの民衆蜂起の時オバマは、民主的なグリーンムーブメントを暴力で弾圧したイスラム共和国政権の側についた。個々のケースに構造的変化を導入するのは、控えなければならない。専門家がこのルール適用上助けることはできる。しかし、このルール堅持の究極の責任は、指導者にあるのである。


※1 ISISが西側に対するジハードを優先順位の最下位に置いている証拠は、ISISスポークスマンの故アドナニ(Abu Muhammad Al-Adnani)のステートに沢山ある。例えばISIS戦闘員に対するメッセージの中で、「イスラム国は、おまえの嘘つき政府とメディアが主張していることと違って、おまえの国を相手に戦争したことはない。我々に敵対行動を仕掛けた側は、悪者である。悪者は、経済が破綻し、相応の仕返しをうける。我々と戦うため、子供を戦場へ送りださねばならなくなる。そしてその子供は片輪で或いは精神に異常をきたし、或いは又棺に入れられて戻るのだ。ムスリムに対する恐怖で、国外旅行はおろか通りを歩くことすらできなくなり、夜は不安でおちおち眠れなくなる。おまえの十字軍が失敗した時、その代償は測り知れないものとなる。我々はその国の心臓部をつく。その後お前達は他者に対する攻撃が二度とできなくなるのだ」と述べた。更にISIS戦闘員に対しては、「何故世界は総がかりで牙をむくのか。何故不信仰の者共が侵しに来るのか。オーストラリアが部隊を送るというが、遠隔の地オーストラリアに何の脅威を及ぼしているというのか。カナダだってそうである。どんな関係がるのだ」と言った。次を参照。MEMRI JTTM report Responding To U.S.-Led Campaign, ISIS Spokesman Calls To Kill Westerners, Including Civilians, By Any Means Possible, September 22, 2014.


※2オバマ大統領がイラン政権のためにいろいろやったにも拘わらず、国際孤立から救いだしたにも拘らず、オバマ政権は、何の報償も受けなかった。それどころではない。これまで以上にアメリカは大サタンと罵倒されているアメリカ国籍者の逮捕、アメリカ兵の逮捕と凌辱などさまざまな敵対行動に直面している。“アメリカに死を”というスローガンが益々声高に叫ばれ、反米煽動がエスカレートしているのである。

(転載終)