ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

繁栄している幸福な家庭

早いもので、お正月三が日も今日が締めの日。
我が家の場合、病気のために、主人の体が突然固まって動かなくなることが増え、夜中に何度か起きたり、たった二、三分の単純な行動にも、十分、三十分、時には一時間半から二時間もかかったりするようになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161205)。
三回以上は行く夜中のお手洗いも、二時間ぐらい帰って来ないので、見に行くと固まって呆然と座っていたりもした。
一週間ほどの長期休暇なので、たまっていた疲れが出たことと、薬の飲み方と効き方、組み合わせ方にもよるのだが。
だから、風邪一つ引くわけにもいかないし、これ以上、病気を増やさないように、少しでも現状維持が保てるようにすることが、私達の課題だ。
私としては、何事も早目に予定を立てておき、できることからさっさと始めないと、とても通常の生活は営めない。旅行もリサーチも、できる時にしておかなければ、本当に人生後悔山積だと考えて、やってきたつもりだ。
こんな生活を過去十八年ほど続けてきた。
「もっと人生、ゆっくりと構えて」「毎回、研究発表をしなくてもいい。三年ぐらい、休みなさい」「主婦業と研究を兼業するから悩みが生まれる。どちらか一つにしなさい」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081202)などと平気で言ってくる人がいたが、とんでもないことである。真に受けて一緒にのんびりと動いていたら、私自身の人生の持ち時間が半減、否、全滅してしまう。先を見越して動いているのに、よくそんなことが言えたものだ、と時にはイラっとくる。
「介護の人を頼めばいいのに」という話も、現状を知らない人が勝手に言っているだけだ。まだ現役で仕事を続けている以上、他人を入れるほどのことはない。かえって煩わしくてストレスになるだけだ。お金もかかる。
幸いなことに、本を読むことや音楽を聴くことや文章を書くことが私は好きなので、気晴らしというのか気分転換は、比較的うまくいっていると思う。
また、主人の方が先輩だが、晩年の父と同じ病気なので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)、私にとっては大切な時間を二重に過ごしているようにも感じている。
それに、動きが緩慢に遅くなっていくだけで、痛みはなく、脳の判断力や理解力に問題があるわけではないのは幸いだ。また、研究の進展が著しく、新薬開発も期待している。
初期の頃、しばらく通っていた京都市内の女性の主治医(とても有名な方だとのこと)から、「これは悪い病気じゃないのよ。お宅の場合は、タチがいい方ね。明るく生きていきなさいね」とお声掛けがあったことをよく思い出している(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080827)。その後、主人を診察室から外に出して、私に向かって個別に「大変ねぇ。でも、悪い病気じゃありませんからね」と励ましてくださったことも、とても力強く思われる。
何事も、初期作業が大切だということだ。
昨日は、お墓参りに。主人の実家は神道なので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150103)、いつも榊を用意していくが、今年初めて、新春として、笹の葉や松も加えた少し華やかなものにした。また、一時期は入院して寝たきりだったのに、主人の母が今では外食を楽しめるほどまで回復したのには、非常に驚いた。少子高齢化だと騒がしい一方で、老人医学の発展には目を見張るものがある。
ところで、子どもの頃、主人はおじいちゃんと一緒にご飯を食べていたという。おじいちゃんは大きなお茶碗、末っ子の主人は小さなお茶碗で、その日あったことをいろいろと話しながら、おじいちゃん自製のちゃぶ台を囲んでいた。その後、兄と祖母が食べ、最後に夫婦で、という順だったらしい。
主人の母が、朝起きてから寝るまで、くるくると働き詰めだったというのは、全く誇張ではない。
明治生まれのおじいちゃんは、戦争で全てを失っても大黒柱として一人立ち上がり、新たに住む場所を探して家を再建し、親を早く亡くした姪や、妻側の悪ガキの甥っ子を引き取って、自分の子と同様に育て、学校まで出したらしい。面倒見が良く太っ腹だったようで、近所の悪童も堂々と叱りつけていたと何度か聞いた。
89歳で死の床につくまで、おじいちゃんは、ずっと働き通しだったと言う。これは、結婚式を挙げる何ヶ月も前から、時々繰り返して主人がつぶやいてきた話だ。
主人と結婚を決めた理由にはいろいろあるが、気楽な核家族で好き勝手に暮らしてきた私にとっては、三世代同居の窮屈さや因習の中にあって、いろいろと見聞きしながら育った主人の経験知が必要だ、と願ったことがある。歳を取っていくと人がどのような状態になるのかを、家の中で見て成長してきたので、多少のことでは動じない落ち着きがあり、非常に根気や粘りがあると、最初から私は感じていた。また、小学校一年生から大学生の頃まで、一人で電車に乗って夏休みを過ごした田舎の祖父母も含めて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、双方の直系全員が真面目に生きてきて、人の道を外すようなことをせず、常識的なタイプだったということも大きい。
戦後民主主義や戦後教育の落とし子世代あるいは団塊の世代が、今、孫までいる状態だが、国力がここまで下がったことをもっと自覚していかなければ、と痛感する。
祖父母の代、あるいは親の代で、誰か一人でも生命循環に逆行する非常識な行動を取ると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161217)、その場ではうまく逃れたつもりであっても、その三世代先に負の影響が現れることを、よく自覚していただきたいと思う。
ここで、久しぶりにN響のヴァイオリン奏者の根津昭義先生のホームページから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161013)。

http://www.nezu.ms/tubuyaki.html

「隣の両親の家に4世代が集まって新年を祝いました。」

(部分抜粋引用終)
演奏家のみならず、教育者でもいらっしゃる根津家は、優秀な家系で社会経済的にも非常に恵まれていると昔から羨ましかったが、やはり心構えや努力の仕方が違うのだろうと拝見している。四世代が集うとは、決して当たり前のことではない。
昔は、(幸せだと思われると妬まれるのではないか)と警戒して、自分の問題点だけを表に出すようにしていたこともあったが、全く間違っていた。
繁栄している幸福な家庭から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130630)、少しでもあやかりたい。