ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

曽野綾子さんについて

まずは、こちらの転写を。

2016年4月19日配信メーリングリスト


曽野綾子人間の分際』を読み解く


・「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり
・努力でなしうることには限度があり、人間はその分際(身の程)を心得ない限り、決して幸せには暮らせない。
・人間には「分際」がある。人間には変えられない運命がある。
生涯の勝ち負けには死ぬまでわからない。そもそも人間は弱くて残酷で利己的である。卑怯でない者はいない。人生には祈るしかない時もある。
・人生の本当の意味は苦しみの中にある不幸のない家庭はない
・うまくいかない時は、「別の道を行く運命だ」と考える。人間は死ぬ前日でも生き直せる。
・生涯における幸福と不幸の量は大抵同じ
・人間関係の基本は、ぎくしゃくしたものである。
誤解されても堂々と生きる。誰からも嫌われていない人は一人もいない。他人を傷つけずに生きることはできない。
人脈を利用する人に、本当の人脈はできない
・子供は「親しい他人」と思ったほうがいい。弱さをさらせば楽になる。
・大事なのは「見捨てない」ということ。「許す」という行為は生きる目的になりうる。
・愛ほど腐りやすいものはない。愛は憎しみの変型である。
幸せは凡庸の中にある。「もっとほしい」という欲望が不幸を招く。不幸を知らないと幸せの味もわからない。
・諦めることも幸せの必要条件。感謝することが多い人ほど幸せになる
・一度きりの人生をおもしろく生きる。「人並み」を追い求めると不幸になる。話の面白い人は、人より多くの苦労をしている
・報復すると人生が台無しになる。「流される」ことも一つの美学
・老年ほど勇気を必要とする時はない。老いと死がなければ、人間は謙虚になれない。誰でも人生の終盤は負け戦。
・昨日できたことが今日できなくても、静かに受け入れる。
・人間の一生は苦しい孤独な戦いである


※コメント
曽野さんの言葉は、歯切れがよくて気持ちがよい。長年のさまざまな修羅場を生きてきた彼女のグローバルセンスと物事の本質を見る目は、鋭い。
【発行】国際インテリジェンス研究所


◎国際インテリジェンス機密ファイル
http://archives.mag2.com/0000258752/index.html?l=utl0393bb6

(転載終)

曽野綾子さんに関する過去ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090829)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403)。
昨日のブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160825)でも触れた佐藤優氏は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BA%B4%C6%A3%CD%A5)、今年1月30日に、「曽野綾子は嫌いだ。権威で物を言っているから」「信じている神が違う」とおっしゃり、知り合いの女性の出産に関して、曽野綾子さんが発した優生思想と差別意識を問題視されていた。
その件について私は詳細を知らないので差し控えるが、全般的に、曽野綾子さんは言いにくいこともストレートにおっしゃるところがあるので、真意を誤解されていることもあるかもしれないとは思っている。
学生時代には、どちらかと言えば私も苦手だった。ただ、世界中に広がるカトリック修道院などに宿泊して来られた方ならではの独自の人脈があり、普通の暮らしをしている我々の知らない海外事情の話も多く、参考にはなると感じていた。また、ブルジョワ階級の出身だとご主人の三浦朱門氏(夫婦別姓!)がおっしゃっていただけあって、ストレートに物を言える立場にいらっしゃるのだと思う。
ちなみに、初めてイスラエル旅行をした2007年3月に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070725)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120309)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)、同じ旅団だった関学神学部出身のご年配の女性牧師が、「曽野綾子さんの率いるイスラエル旅行のグループに参加して、ヴィア・ドロローサを車椅子の障害者グループと共に歩いた経験がある」と、話してくださった。ご自身に関しては、結局のところ「淋しい独身の人生になってしまった」とおっしゃりながらも、「曽野綾子さんは旅行中とても気さくで、決して高みから物を言う近寄りがたいタイプではない」と、私の問いに対して断言されていた。この巡礼の旅によって「奇跡で病気が治る人もいる」と、以前、NHKテレビで曽野綾子さんがおっしゃっていたことを覚えているが、その女性牧師は「精神的なものでしょうけどね」と理性的な解釈を施しつつ、「曽野さんは狭量な人ではない」とも、再び付け加えられた。
最初に読んだ『太郎物語』で、出身地の名古屋が低く位置づけられているのを学生時代に知り、世間を学んだ思いでいたが、だからと言って何ら立腹の種にもならなかった。唐突に物をおっしゃるところはあるけれど、こちらが知らなかったことをエッセイなどで教えてくださる方だと思い、書店で立ち読み程度にご著書を見てきた。うちの主人は若い頃、何冊か曽野綾子さん(および三浦朱門氏)の作品を読んでいたことがわかっている。