ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

核の部分に目を向けて

英国のEU離脱に関する過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160701)の続きを。再び、古森氏に同意。
確かに、日本では経済中心から見た英国非難が目立った感がある。でも、経済以前にもっと大切な核の部分に、なぜ目を向けないのだろうか。
これは、翻って日本にも跳ね返ってくる態度である。インテリだ、エリートだと自負している人達は、自分の予想に反した判断が選挙で示されたとしたら、やはり低所得者層、低学歴、低社会階層、低い知的レベルの人々が、目先のことだけに振り回されて誤った判断をしたのだと、堂々と言明し、公に嘲笑するのだろうか。
それに、格差があってはならないと、もっともらしく訓示を垂れる人々は、大抵、高所得者である。何だかなぁ、という気がしないでもない。

http://japan-indepth.jp/?p=28782


2016年7月2日


「カネだけで論じられぬ英EU離脱」
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授
古森義久の内外透視」


・英国の欧州連合EU)離脱に対しての日本の論評がいかに平板、短絡かを示す実例として、アメリカでさらに出てきた分析を紹介しよう。
・「英国のEU欧州連合)離脱を大災害として非難することは不毛であり、米英両国と残りの欧州が協力して新たな国際秩序を築く好機とみなすべきだ」
アメリカの国際政治学の大御所ヘンリー・キッシンジャー国務長官がいま全世界で熱く論じられる「ブレグジット(英国EU離脱)」について米側大手メディアの論調をたしなめるような一文を発表した。6月末のことだった。 
キッシンジャー氏は英国民の今回の判断を過ちだとして叩くことは間違いでありEUが本来の理想を遠ざけ、硬直化しすぎた点こそ問題なのだと説いていた。
・日本での論調はもっと激しいようにみえた。「危険な孤立主義ナショナリズムの暴走だ」「ダークサイドの極右や極左の台頭だ」
・このように侮蔑のにじむ反応がときにはヒステリックな語調で表明されていた。英国民はそれほどに無知で偏狭なのかといぶかるほどの決めつけもあった
アメリカ保守派の長老政治評論家ジョージ・ウィル氏は「歓迎すべき英国の国家地位の復活」と題する大手紙への寄稿で次のように論じていた。
・「官僚的な統制で化石のようになったEUにより英国は自国の法律の60%以上を押しつけられ、EUへの従属を強いられてきた。英国民はこの自国の主権の喪失に反対したのだ」
・「自国の主権と価値観とアイデンティティとで生きるという決意はフランスにも広がっており、各国の主権を抑える超国家組織としてのEUはいまや存在自体を問われる危機に面した」
・「英国がEU離脱の結果、孤立するという指摘があるが、国家の地位の復活こそ主権に基づく国際的関与への前進となる。その際、米英の『特別な関係』がこれまでより大きく機能する」
イスラム系移民の大量流入や英国独自の社会福祉の際限のない拡大などはその主権の侵害だというわけである。英国EU離脱を単に通貨や株価に象徴される金融や財政の損得とは異なる次元で考える見解といえよう。人間集団の機能のあり方はまず国家を優先すべきか、国家を超えた組織に従うべきか、という根源の課題でもあろう。
・ワシントンでいま注視される若手の国際政治学者アーロン・マクレーン氏がもっと踏み込んだ指摘をしていた。同氏は英国のオクスフォード大学にも学び、ワシントンの超党派シンクタンク「新米国安保研究センター」から今年、「次世代の研究者賞」を受けた。「ブレグジット破局ではなく好機である」と題する論文で次のように書いていた。
・「今回の英国の国民投票は欧米のいわゆるエリートにとって超国家による統治を未来の不可避な出来事だとする『夢』の排除だった。この『夢』は一般人の愛国心の誇りや国民国家への愛着を非合理で自己破壊だと断じてきた。この『夢』は死んでいないがいま阻まれた。だからエリートたちはがっかりして感情に走り、英国民の判断を叩くのだろう

(部分抜粋引用終)
そんなに英国の離脱選択を小馬鹿にするならば、まずは欧州大陸で英語を使用することを禁じたらどうか。三十年前の私の小さな経験では、(旧西)ドイツではドイツ語で、と言われたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160625)。
EUの多言語主義には、労力の無駄が相当あるとも聞く。英国に移住したポーランド系80万人の中には、英語ができないため、ポーランド語の標識がある地域も存在するらしい。これでは、英国内にポーランド村ができたようなものだ。それでも、いいのだろうか。