ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

昨今の風潮(3)

まずは、おととい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160623)と昨日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160624)のブログの続きを。これで完結。

http://japan-indepth.jp/?p=28607


2016年6月25日
朝日新聞若宮啓文氏を悼む その5 見事な“反面教師”朝日新聞に問う」


古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授
古森義久の内外透視」


朝日新聞では主筆や論説主幹といえば、ともに新聞の論調をつかさどる責任者である。だから若宮氏の在社中は私は同氏の名前をあげて、その名で発表した紙面上の記事に対して疑問や批判を呈してきた。明確な質問状と呼べる雑誌の論文もあった。
・しかし残念ながら若宮氏は私の批判には反応してくれなかった。一度だけ若宮氏が東京都内の大学での講演会で私の名前をあげて、反論めいた発言をしたという簡単な記録がインターネットに載っていた。だがそれだけだった。しかしやはり私の批判は知っていたことだけは確認できた。
・若宮氏が亡くなった今、私がこうして追い打ちのような批判めいた一文を書くことも死者の霊に鞭打つような非礼な面があるかもしれない。しかし今の私の一文はあくまで朝日新聞の言論の代表だった若宮氏への批判であり、朝日新聞そのものへの問いかけだともいえる
・とくに若宮氏だけに限らず、朝日新聞全体の言論性に責任を有する人であれば、他のどなたにでもぶつけたい公開質問状に等しいといえる
・コメントは差し控えたが、その訪中の理由が「中国政府関連団体が若宮氏の著書の出版記念パーティーを開くために同氏を招いた」とされていた点には驚いたので、自分の考えを述べた。
・中国政府といえば、世界でも最悪の言論弾圧機構そのものである。政府関連団体も共産党の指令で動く一枚岩の組織である。言論の自由を最大に尊重するはずの日本の言論人がその言論弾圧機関から自らの言論活動を祝ってもらうために、わざわざ中国にまで出かけていくというのは気味の悪いジョークのように思えた。
・若宮氏の訃報が載った朝日新聞は「若宮さんと交流の厚かった趙啓正・元中国国務院新聞弁公室主任(閣僚級)からの悼みの言葉」をも掲載していた。趙啓正氏といえば中国共産党の対外宣伝の大物であり、私が北京に駐在していた時期は現役のばりばりとして内外のメディアを監視し、統制していた。こういう人物と親しく、気に入られるというのは若宮氏の人柄や人徳のせいかもしれないが、少なくとも私には考えられない「交流」だと感じた。
・私は朝日新聞の特殊な傾向については遥か昔から体験し、目撃し、指摘し、批判してきた。その考察は単行本だけでも『朝日新聞の大研究』(稲垣武井沢元彦両氏との共著 2002年、扶桑社)、『朝日新聞は日本の「宝」である』(2014年、ビジネス社)、『なにがおかしいのか? 朝日新聞』(2014年、海竜社)と、3冊によって発表してきた。
・わが日本が国の運命を左右する分岐点に立ち、選択に迷ったときは、朝日新聞の主張をみて、その正反対の道を選べば、だいたいは成功するから、「宝」としての価値があると主張したことが理由である。
・日本が戦後の独立を果たすとき、朝日新聞ソ連や共産圏諸国を含めた相手との「全面講和」でなければだめだと主張した。日本はその道とは反対の「多数講和」の道を選んで戦後の平和や繁栄を得た
日米安保条約に対しても朝日新聞は事実上の反対という立場をみせた。だが日本は日米安保条約を結んで、機能させ、戦後の平和と安定を得た。戦後の日本にとっての二つの最大の選択に関して朝日新聞は見事な反面教師となったわけである。
・日本は今やまた憲法改正や安全保障政策の根本的改変など大きな選択を迫られつつある。朝日新聞はその改変への反対キャンペーンを打ち上げている。日本が日本らしく、そして国家らしく進もうとすることへの激しい反対だともいえる
・だから私のこの一文は若宮氏個人への批判ではなく彼が代表した朝日新聞全体への問いかけだとみなすのが自然に思える。とはいえ68歳で唐突に逝った若宮氏にはまだまだ活躍してほしかった。私の質問状にも答えてほしかった。だがその機会はついに得られなかった若宮啓文氏のご冥福を心からお祈りしたい。


(雑誌月刊「WILL」2016年7月号からの転載)

(部分抜粋引用終)
次は、昨日のホットな英国の投票結果。

http://hirobuchi.com/archives/2016/06/post_726.html


June 24, 2016
「離脱派の心中にある反欧感情」


EUを離脱するか、それとも残留すべきかを問う英国の国民投票が行われました。


1.根強い反欧州大陸感情  EU離脱派は英国民の間に昔からある「反ヨーロッパ大陸感情」に訴えた。この「昔から」というのは、すくなくとも210年くらい前です。ヨーロッパ諸国をほぼ制圧したナポレオンは、次の標的として、イギリス侵攻を計画していました。イギリスのいくつかの大河の河口には、フランスの軍艦が入ってこられないように、両岸に鉄の杭が埋め込まれ、杭と杭の間には太い鉄の鎖が張り渡されました。今でもポーツマス(ポート河の河口)などにはこうした杭が残っています。「災い(わざわい)は大陸からやってくる」という、皮膚に染みついた嫌悪感と恐怖感は、とくに非インテリ階級の間に根強く残っています


2.理性よりも感情に訴えた離脱派  EUに残留すべきと考えた人の多くは、「理性的に物を考える人々」でした。彼らには残留のメリットと離脱が生み出す大ダメージがはっきりと見えていました。そこで彼らは国民の理性と良識に訴えて、この闘争を勝ち抜こうとしました。しかし離脱派は、もっと具体的な、民衆の情緒に訴える方法を選びました。東欧諸国(旧ソ連圏)からの移民が英国人の仕事を奪っているとか、英語を話せない移民が増えたために、暮らしにくくなった、というような、誰でもが理解できる争点を選んだのです。理性と感情が争えば、感情が勝利することが多いものです。理性派は英国民の民度を買いかぶりすぎていたと言えます。これは日本にも当てはまることです。


3.「大陸は孤立する」というメンタリティ  これも昔から根強い国民感情です。少し解説が必要ですので、これについては改めて解説させていただきます。

(部分抜粋引用終)
これに関しては、フェイスブックからの転載を(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)。

ユーリ:離脱しない方が経済的には日本にとってもいい、という予測を聞いていましたが、私は英国は英国らしくあって欲しいと願っていました。勿論、日本への風当たりも大きく、安穏としていられませんが、だからこそ、国防問題や憲法議論も真剣になる契機になればと願うものです。
「残留派はロンドン、リバプールマンチェスターなど大都市部やスコットランドで強みを見せた」とありますが、地名を見ただけでも、状況が想像できそうというもの。経済云々以前に、思想やイデオロギーが合わないと、誇りも活力も発揮できず、徐々に停滞するという経験を、私自身が持っているためです。
上記のフェイスブック転載のキャロライン・グリックさんをどうぞ。アメリカ育ちの彼女はイスラエルに帰還されましたが、筋を通した主張を勇敢に続けています。

ユーリ:素人ながらも、(これは英国は離脱するだろうな)と予想していた私。結果を知ってすぐに、長い歴史を想起して、英国らしいと思いました。ですが、ネット情報も含めて日本の報道は、ポピュリズムに負けたとか、低所得者層が後先を考えずに離脱を選択してしまったとか、何だか民主主義制度を馬鹿にした論評が多過ぎませんか?

ユーリ:私は1986年の春に初めて英国を訪れ、三週間、ホームステイしました。当時のボーンマスやロンドンの中流家庭の人々は、欧州を「コンチネンタル」と呼んでいたことを今でも思い出します。飲み物は紅茶であって、コーヒーは「コンチネンタル」の人々かアメリカンが飲むものだと、少々軽蔑的に、あるいは距離を置いた呼び方をしていました。

ユーリ:その後、欧州に飛ぶと、旧西ドイツのペンフレンドから、「ここはドイツなんだから、ドイツ語を話しなさいよ。あんた、いつもドイツ語で手紙書いてくるじゃない」と即座に言われたことも覚えています。結局、EUとは経済統合とローマ・ギリシャ及びユダヤキリスト教文明の絆を軸とする協力体制だとは言うものの、本音の部分では長く複雑な歴史が横たわっているのだ、と思った次第。

ユーリ:でも、こんなことを言っていると、三十年前のことなんて今は昔だ、と笑われるんでしょうねぇ。老兵は去るべし。

(転載終)
イスラエルの主張も、今後は徐々に学問的にも公に立証されていくだろう。これからが本格的に勝負の時だ。

追記:一部意見を異にするが、全面的に同感したブログを以下に部分抜粋。

http://conservative.jugem.jp/?day=20160625

英国、欧州連合離脱を祝う
2016.06.25


・日本での反応を見ると、やれ株価下落や円高に振れたことを憂えたり(自国の貨幣価値の上昇を悲しむのは不思議な習性である)、やれ「そのうちにリーマンショック級の衝撃が来る」と言った安倍首相の「予言力」を褒め称えるなど、かなり頓珍漢なものが多いが、この機に英国の決定の意味を理解することは重要である。

・端的に言えば英国は停滞と後退と閉鎖と隷属を拒否し、発展と前進と開放と自主独立を選択したのである。英国は自由を求める人々全てが向かうべき方向性を示したのである。

欧州連合とは専制のシステムである。ブリュッセルの本部から欧州連合を支配するのは選挙で選ばれたわけでもなく、説明責任もない一握りのエリート官僚たちである。人々は彼らが誰なのかも、何をしているのかも知らない。
欧州連合の官僚たちは密室で議論しながら次から次へと規制を作り出す。規制の目的は欧州連合域内の産業保護である。保護される産業と保護を与える官僚が手を握り合っているわけである。

欧州連合エリート官僚は愚劣な規制を山のように作り出す。人々は朝起きて夜寝るまで彼らの何千・何万・何十万もの規制をくぐりぬけるわけである。

・関税や輸入枠は目に見える貿易障壁であるが、規制は見えにくい障壁である。欧州連合においてはこの規制が増える一方なのである。

・かつて戦後の英国は社会主義そのものであった。国内の産業は全てが規制でがんじがらめで経済は停滞した。一方戦後のドイツは強力に規制撤廃を推し進めて繁栄した。

・英国が欧州連合を離脱して得るのは欧州連合のメンバーとしては得られなかった市場である。一方失うのは衰退する欧州連合がらみの市場である。得るものは大きく、失うものは小さい。

・スイスは欧州の中心だが欧州連合加盟国ではない。この国は世界でも最も規制の少ない国の一つであり、同時に最も豊かな国の一つである。彼らは自由貿易を重んじて輸入障壁を下げ、そのかわりにモノの豊かさと経済の活性化という恩恵を享受している。

英国民は賢明であった。彼らは正しい方向性を選択した。

追記:
欧州連合保護主義であるだけでなく、反ユダヤ主義である。彼らはイスラエルの領土であるいわゆる「入植地」原産の産品について特別に表示することを義務付けている。この目的はイスラエル・ボイコットである。

(部分抜粋引用終)